第15話 手伝い料
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ヒメコの適切な応急処置のおかげで、入院から五日後には退院できた。左手はまだ腫れていて満足に動かせるレベルではなかったが、指が壊疽することもなく、日常生活には問題ないと診断されたからだ。
あの日以来、ヒメコもコウジも病室をたずねては来なかった。ただ、ヒメコに昔の話をしたことで、自分の中に巣食っていた「罪の意識」という毒を、少しは吐き出せたような気がした。
一度だけ、あしびばのマコトが病室をのぞいてくれたが、それも顔をみるなり、すぐに
「じゃあ、帰るわね。今日から新しいバイトの子が来るの」
と、お日様のような笑顔を見舞い品代わりにして帰っていった。
おれは事務所のあるテナントビルの前でタクシーをおりる。ビルの前には数台の自転車やスクーターが無造作に並んでいた。少し早いランチをしに来た客でもいるのだろう。
事務所に帰る前に、二階のあしびばに顔をだすことにした。一応、マコトに退院したという報告をしておこうと思ったのだ。
地中海のリゾート地を思わせるような、ナチュラルなウッドドアを開けると、ウインドチャイムがきらきらと澄んだ音色を奏でる。おれはこの音が大好きだ。
ただ、いつもなら店内に流れるストリングスサウンドにのせて、マコトの「いらっしゃいませ。いつもの場所にどうぞ」という暖かな声色が聞こえるのに、今日は違っていた。
「いらっしゃいませー!」
無駄に元気で、若くて張りのある声だと思って、視線を奥にむけると、カウンターの前に、エプロン姿の若い女の子が立っていた。おれは、呆気にとられながら彼女の名前を口にした。
「ヒメコ? 何やっているんだ、こんなところで?」
「何って、アルバイトに決まってるでしょ。誰かさんのせいで、ハブ捕りの仕事ができなくなったんだから!」
不満をあらわにしながら口をとがらせるヒメコに、マコトは子供を叱る母親のような厳しさのある声で、「こら、ヒメちゃん。アキオさんはここのお客様なんだから、そんな言葉づかいしちゃダメよ!」と、注意をする。
すると、ヒメコはしゅんとして、ちいさく「はーい」と返事する。
おれがなにをいっても聞く耳を持たなかったあのじゃじゃ馬ヘビ娘が、こんなに素直に人のいうことをきくとは!
まるで面白い余興でもみているようなにやけづらを浮かべながら、いつものカウンター席に座ると、ヒメコが氷水のグラスをトレーに乗せてやってきた。
「あんた、じゃなかった。アキオ、もう大丈夫なの?」
ヒメコの言葉にまたもや、カウンターから「アキオさんでしょ!?」と、鋭い声が飛んだが、おれは左手を掲げてそれを遮った。
「アキオでいい。ヒメコとはなんだか他人な感じがしないから」
「だよね。一晩を一緒に過ごした仲だしね!」
ヒメコは意味ありげににやける。
「変ないい方をするな。付き添いの仮設ベッドを宿替わりにして寝てただけだろ」
「なんだ、ばれてたんだ?」
ヒメコはペロっといちごのような舌をのぞかせる。そして、いつものようにマコトが絶妙のタイミングでコーヒーをおれの前に差し出してくれた。
「おかえりなさい、しばらく見なかっただけで、随分と寂しかったんですよ?」
そういうマコトの隣で、ヒメコが茶化すような視線をむけている。おれは照れ隠しにちいさく咳ばらいをした。
「それにしても、なんでヒメコが?」
「コウジさんが紹介してくれて。ヒメちゃん、ここでアルバイトしながら、来学期から定時制と通信制の併用できる高校に通うんだって」
「やっぱり今の学校には行きづらいのと、父さんのためにも少しでも稼いでおきたいし。定時は夜の学校だし、さすがにハブ捕りはできないから、日中に働き口を探していたら、コウジさんが、ちょうどここのこと教えてくれたんだ」
あのつかみどころのない男も少しは役立つんだと、見直した。それに今回は、いろいろとコウジに世話になったし、ひとつ借りだな。
そう思っていた矢先に、電話がなった。ディスプレイには例のハブ屋の主人、
『やあ、大澤君。具合はどうだい?』
電話口のキヨミチは陽気にいった。
「いろいろ世話になったな、ありがとう。今日退院して、戻って来たところだ」
『それはおめでとう。君のハブの買い取り金は俺が預かってるから、いつでも取りに来るといいよ』
「わかった、ところで今日はどうしたんだ?」
『そのことなんだけど、少し手伝って欲しくてね。頼めるかい?』
「もちろんだ。なんでも屋『ゆいわーく』は、法に触れないことと、物理的にできないこと以外のならなんでもやる」
『よかった。実は誰かのせいで、優秀なハブハンターの卵をひとつ取られちゃったんだ。そこで、君にハブハンターの修行をしてもらおうかなと』
「おい、本気か?」
焦ってきき返すとキヨミチは、ははっ、と短く笑った。
『冗談だよ。次のバイトの子が見つかるまで、昼間の店番を数時間頼まれてほしいんだ』
「わかった。ちなみに、おれは手伝い料はお金ではもらわないんだ。あんたの持っている、知識、人脈、ちょっとした技術。なんでもいい。おれがわくわくできるようなものを一つ寄越してくれたらいい。なにかあるか?」
『もちろん、手伝い料はハブの基礎知識さ。この島で生活するんなら、悪い話じゃないだろう?』
「もちろんオーケーだ」
『よかった。それで、いつから来れるかい?』
キヨミチがいうと、おれは「今からでも行くさ」と笑って電話を切った。
「誰からだったの?」
興味深そうにきくヒメコに、おれはコーヒーを一口飲んでから「あんたの師匠だよ」と答えた。
「今年の夏は、誰かさんのおかげで退屈しなくて済みそうだ。ハブの毒で病院送りは二度とごめんだけどな」
にぎやかな笑い声の花が店内の片隅に咲いた。
おれが今回のハブキチさんからの依頼によって手に入れた報酬は、ちょっぴり口は悪いが、家族思いの優しい友人だ。
「ねえ、アキオの退院祝いに今日の夜、みんなで集まらない? コウジさんも呼んでさ。それで、みんなにアキオの東京での話を聞かせてよ!」
「それはいいですね。アキオさんが活躍されていたというお話、私も興味ありますし」
そういってぱっと顔を明るくする二人に、おれは少しだけ首を振る。
「ありがとう。ただ、おれには東京での暮らしよりも、この島でのほうが刺激的だと思ってる。ここには、おれが持っていないものがいっぱいある。だから、おれは
そういって、残ったコーヒーを飲み干す。ちょっと調子に乗っていい格好をしすぎたか。
まあ、いい。今日はコーヒーのお代わりはなしだ。なんたって、さっそく仕事が入ったんだ。そうと決まれば、さっさとおれのスクーターで……
って、そういえばおれのスクーター、どうしたっけ?
「ああっ!」
短い悲鳴をあげながら、おれは立ち上がる。
あんたたちならもう知っているよな。調子に乗っていい格好をしたときほど、人は間抜けになりやすいって。
おれはくるりとヒメコのほうをむくと、両手を合わせて懇願するようにいった。
「悪い! ヒメコのスクーター、ちょっと貸してくれ! おれのスクーター、山の中に置きっぱなしだった!」
「はあ?」
大口をあけて呆れたように眉をしかめたヒメコだったが、次の瞬間にはゲラゲラと馬鹿笑いを飛ばしながら、ポケットからキーを取り出しておれに放って寄越した。
「この手伝い料は高くつくからね!」
ヒメコの笑い声に背中を押されながら、ドアをくぐって階段を駆け下りると、おれは彼女の一つ目お化けのようなスクーターにまたがる。エンジンを始動させながら、ヒメコへの手伝い料にはどんな話をしてやろうかと、自分の記憶の引き出しを探りながら、週末の仕事終わりを待ちわびるサラリーマンのような心持ちでアクセルを捻った。
透き通るような青い空には、濃厚な白を積み重ねた入道雲がどこまでも高くそびえていた。
島に本格的な夏が訪れようとしていた。
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