第10話 土生家

「何やってるんだ、このフリムン馬鹿野郎


 コウジは軽トラックから降りるなり、そういい放った。なぜか嬉しそうにしてやがる。

 幸いにも、ガス欠で立ち往生した場所から少し坂を下ったあたりでスマホが電波圏内になったので、おれはコウジに連絡を取り、ヤツの軽トラックでピックアップしてもらった。

 今やすっかり無用の長物となってしまったスクーターを荷台に積み込み、厳重にロープで固定し終えると、おれはトラックの助手席に乗り込んだ。運転席でにやけ顔をしているコウジにバナナの入った袋を押し付けて「やるよ」とぶっきらぼうにいい放つ。


「ガス欠おこして獲物に逃げられるなんて、こんな間抜けな探偵は今まで読んだ小説では出てきたことがないぞ」


 そういったコウジに反論したかったが、現に借りを作っている身だったので「悪かったな」と不貞くされるだけにした。コウジはバナナでチャラにしてくれるほどヌルい男ではない。


「ところで、この道はどこにむかっているんだ」


 ヒメコが消えた道の先を指さしたずねると、ヤツは考える素振りも見せずに、「市内方面に抜けることができる林道だ。何ならこのまま林道を抜けてみるか? ヒメコの足どりをたどれるぜ」といったが、おれはその提案を断わり、逆にコウジを待っている間に考えていたことをヤツにきいてみた。


「なあ、ハブキチさんってなんで生活保護を受けているんだ?」

「個人の情報だし、俺の口からはいえん。でも、どうしても知る必要があるなら、今からハブキチさんの家に行ってみるか? なんならおれも付き合うぜ」

「そうだな。じゃあ、手間をかけて悪いけど、付き合ってくれ。確認したいことがあるんだ」

「この手伝いは高く付くぜぇ」


 コウジは意地悪な笑みをはり付けたまま、車をUターンさせて県道方面にむかった。日はすっかり暮れて、県道を行きかう車のヘッドライトが、ついさっきまでの林道とはまるで別世界のように眩しかった。


     🐍


 県道沿いのガソリンスタンドでガス欠のスクーターにガソリンを入れ、それから土生さんの自宅にむかった。彼は市内のはずれにある文化住宅に居を構えていた。

 突然訪れたコウジの顔を見て一瞬怪訝な顔を見せたが、「まあ、どうぞ」といって土生さんはおれたちを招き入れると、台所の小さなダイニングテーブルにむかい合って座った。コウジは土生さんにおれの渡したバナナの袋を「これ、お土産」といって差し出した。あのバナナも案外役に立った。


 土生さんの自宅は随分と散らかっていて、ものが散乱していた。今までは掃除なんかはヒメコがやっていたのかもしれない。彼女が出ていったことで、部屋が荒れ放題になっているのだろう。おれはあまり人の生活空間を凝視するのもよくないだろうと思い、視線を土生さんに戻す。


「土生さん。先日、おれに依頼もらった件なんだけど……」


 そう切り出すと、土生さんは少し難しい顔をして、首を捻った。


「すみません。実は、私、非常に物覚えが悪くて……どちらさんだったかね?」

「どちらさんって、昨日おれの事務所に依頼にきたじゃないですか? 娘さんのことで」

「ああ、そのことで。すみませんね、物忘れもひどくて、人の顔が覚えられなくて」


 ひどいというレベルの話か? とおれは首をひねる。土生さんがおれの事務所をたずねてきたのは昨日の朝、それも彼の方からやってきたのに、おれの名前も思い出せないというのはちょっと異常だ。


「それで、土生さん。あんたが探してほしいと依頼してきた娘さんのことだけど、一応見つけることはできたんだ。ただ、まだ彼女の居所までは特定できていない。それと、あんたが心配していた犯罪に手を染めるようなことはしていないとも思う。だけど、危険なことをしていることは間違いない。彼女は今ハブハンターをしているみたいなんだ」

「ハブハンター、ですか?」


 要領を得ない様子で土生さんはオウム返しにいった。おれはうなずいて続ける。


「夜の山に入って、ハブを捕まえるんだ。それを役場に持って行って金にしている。ヒメコには二回、自宅に戻るように説得したけど、結果は両方とも失敗した。ただ、彼女が頑なにここに戻ることを拒否するのは、なにかここを出るきっかけとか、そういうことがあるのか、もう一度確認したかったんだ。例えば彼女といい争ったとか」

「わかりません。我慢強い子でしたから、私が知らない内に心の中に何かを溜め込んでいたかもしれません」


 さっきの記憶力の悪さでは仕方がないか。と、おれは質問の仕方を変えてみることにした。


「ところで、あんたが生活保護を受けるようになったのはいつ頃だった?」


 土生さんに問いかけると、彼はコウジを見やって「いつだったかな?」とたずねる。コウジはふっと短い息をひとつついていった。


「二年前だよ。奥さんを病気で亡くしてからだ」

「ああ、そうだった」

「奥さんの入院やらの治療費がかさんだ上に、ハブキチさんも脳卒中で倒れて仕事ができなくなったんだ。生活保護申請に来たのはその後だ」


 コウジの言葉におれの中に、おれは一瞬言葉をのんだ。コウジを見遣ると、つい口調を強めてきいた。


「土生さん、脳卒中で倒れたことがあるのか? どの程度のものだったんだ?」

「程度か? 医者からあまり重労働はしてはいけないという程度にはいわれていたようだけど? 割と復帰は早かったんだ。けれど、結局は物忘れのこともそうだけど、復帰した会社でもいろいろとあって、退職せざるを得なくなったってわけ。それで、おれのところに保護申請に来たんだよ。おれが申請を受理したからよく覚えてる」


 そのとき、おれの中にぽつりぽつりと浮かんでいた小さな点が、まるで手と手を結んでいくように、一本の糸となりつながり始めた。それは、おれの心の奥底にしまい込まれた過去にむかって伸びていき、鮮やかな色を伴って、しかし、重く苦しい空気をまとって古い記憶を蘇らせた。


「土生さん。もしかしたら、娘さんはあなたのことを嫌がって出ていったんじゃないかもしれない。むしろ彼女は、罪の意識に苛まれているのかもしれない」

「罪の、意識?」


 土生さんとコウジの声が揃う。おれはうなずきながら、あの日、おれが受けた言葉を思い出していた。

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