元・超人気バンドのメンバーだったけど、訳あって南の島でなんでも屋を始めました
麓清
1 ハブの姫
第1話 あしびばにて
🐍
手にしたコーヒーカップを傾けながら、おれはいつものようにカフェ「あしびば」のカウンター席で朝刊に目を通していた。
最近はどこにいっても喫煙者の肩身はせまく、最近ではこうした喫茶店の店内でさえ、法律で喫煙が禁止されてしまった。
これまでなんどか禁煙にもチャレンジしてみたが、三日と続いたためしがない。どうせ、ここでの朝のコーヒータイムが終われば、ひとつ上のフロアの事務所兼住居に戻るのだ。今後も多分、おれの禁煙は成功しない。
地元新聞社のローカルなニュースに目を通していると、店主のマコトがおかわりの入ったコーヒーポットを片手に近づいてきた。
「アキオさん、おかわりはいかがですか?」
手にしたポットをついっと持ち上げて笑ってみせる。欧米人とのハーフタレントみたいに鼻梁の通った美しい顔立ちで、長い黒髪を頭の後ろでヘアクリップでまとめている。すりガラスのように柔らかな乳白色をしたほっそりとした腕は、南国人とは思えない白さと透明感だ。
おれはソーサーからほんの少しだけカップを持ち上げると、「ああ、貰うよ」とおかわりを頼んだ。
この店ではモーニングセットのコーヒーはおかわり自由だ。
普通は朝の忙しい時間、せいぜいコーヒーを二杯も飲めば、皆慌ただしく出勤していく。そんな中でたっぷり一時間、コーヒーを片手に新聞を読みふけっているおれは店にとって利益率の良い客ではないだろうが、そんなことをマコトは微塵も感じさせず、それどころか、いつでもおれがおかわりをしようかと思った、まさにそのタイミングにテーブルにやってきて、おかわりをきいてくれるのだ。
この店が事務所の下にあったのは偶然だが、おれがここを贔屓にするのは当然のことだと思うだろ。美人店員と上手いコーヒー、煙草は無理でも居心地がいい。
「いつも熱心に新聞を読まれるんですね」
マコトは興味深そうな瞳をむけて、注ぎ終わったカップをおれのまえにすっと差し出した。おれは取っ手(ハンドルっていうらしい!)に指を通し、口元にカップを近づける。香ばしく焙煎されたコーヒーの香りが目覚めには最高だった。
「仕事に繋がることもあるかもしれないし、まだまだ島のこと、知らないことのほうが多いからね」
「アキオさん、以前は東京にいらっしゃったんですよね?」
「ああ。出身は小さな片田舎の町だけどね」
「それで、今はまたこんな
マコトは軽く握った左手を口元にあてがいクスリと笑う。細い肩がかすかに揺れた。
おれの出身地は人口せいぜい数十万人の地方都市から、さらにバスで数十分もかかるような自然豊かな田舎だ。
田舎とはいえ、全国ネットのテレビは放送されていたのだが、おれは朝っぱらから媚びた笑顔の女子アナがきゃあきゃあとはしゃぎながら、東京のトピックスを垂れ流す朝の情報番組が大嫌いだった。
あいつらは、自分たちの今いる場所が、世界標準だと勘違いしているに違いない、そう思っていた。
だからといって、田舎の生活が好きだったわけじゃないし、都会へのあこがれもなかったわけじゃない。いや、当時は誰よりも東京にあこがれていたんだ。
何もない空っぽのおれでも、東京に行けば何かで満たされるんじゃないか、そんな甘い幻想を抱いていたおれは、高校を卒業するや、親の反対を押し切って中学から始めたギターを抱えて上京した。
音楽なら実力さえあればチャンスを掴めるはずだ。当時のおれはそう信じて疑わなかった。
店内に流れているBGMは、ストリングスカルテット。店長のマコト曰く、朝は賑やかな音楽よりも、爽やかで伸びやかなストリングスサウンドのほうが目覚めがいいのだとか。
まるで中世をモチーフにしたロールプレイングゲームの王宮のシーンのように優雅で流麗なハーモニーは確か『ハイドン』の『弦楽四重奏第十七番ヘ長調 セレナード』だ。
おれはどちらかといえば激しめのロックが好きで、実際そういう音楽を演奏していたんだが、マコトの丁寧な説明とちょっとした
ああ、それともうひとつ。
音楽といえばこれを忘れるわけにはいかない。それは、おれがこの島に足を運ぶきっかけとなった音楽。
それは古くから「シマ唄」と呼ばれている、この島独自の民謡だ。
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