第10話 最後の瞬間、ひとつになる

「が、あ……」


 頭から落ちたナイドは小さく喘いだ。地に落ちた衝撃でも意識を失えず痛みに悶えている。出血もしていたがまだ生きている事を確認したロックはコンテナから飛び降り【ROCKING’OUT】の座席に跨った。


「俺はまだ、この気が済んでないんだよ……」


 ハンドルを握り再びエンジンが動き始める。産まれたての小鹿のようにナイドは足掻いたがその場を動けていない。

 ロックがナイドを殺してしまう、ナイアにとって最悪の結末が迫り彼女は必死に呼びかける。


「やめてロック!! もうこれで兄さんは捕まえられる! だから……殺すなんてダメだよ!」


 甲高い声でナイアは叫んだ。これにはレイジを問い詰めていたマイもナイアの方に注目せざるを得なかった。頭部から血を流すナイドも発声自体は未だ可能のようで、ナイアに便乗。


「そ、うだ……! 僕はもう、負けた……! だから殺さないで、くれ……」


 おぼつかない両手を前に突き出し敗北宣言まで行った。しかしロックの怒りをさらに掻き立てるだけ。


(……そうやって命乞いしてきた人達を、お前は見逃した事があるのか?)


 ナイドの発言が決め手となり、ついに車体が前進する。大した距離はないが車体とコンテナとの圧迫が行われようとしていた。ロックの思考は既に殺意が大半。つい先日まではナイドは殺さず、自身やナイアへの謝罪をさせようと意気込んでいたが呑まれてしまっている。今までの人生で一番の憎しみを向けていた相手を、この手で始末できるのだと。ロックは既にジャムを直接殺してしまっている。“殺す”ハードルは幾分か下がっていた。


「ロック……お願い、やめて」


 震えたナイアの声。涙が一滴、頬を伝って零れ落ちた。制止の言葉は先程からも必死に上げていたが。その姿を見たロックはかつての自分を思い出す。イアが死に至るその時、泣き叫んでいた自分を。


(あの時、俺の言葉はイアに届かなかった。だけど今のナイアの言葉は、俺にしっかりと届いてた。さっきからずっと。だったら俺が……やるべきことは)


 ロックの手によって【ROCKING’OUT】は急ブレーキ。


(過ちを繰り返さない……そう決めたはずだったのにな)


 しかし車両は急には止まれない。スピードが落ちたとはいえバイクの前輪がナイドの腰に直撃し、血を吐きながらロックと見つめ合った。


「き、みは……」

「……黙ってくれ」


 ナイドへの哀れみと、自らへの怒りが篭っていたロック。寸前で思いとどまったがバイクでの圧迫はしてしまった。するとナイドは力をなくし、ついに倒れた。


「兄さん!」


 コンテナから降りたナイアは急いで駆け寄る。ロックはバイクを後退させてから降車した。ナイアの腕の中で目を閉じるナイドは、どうやら意識を失っているだけで命に別状はない様子。レイジとマイも近づき状況を確認する。


「い、生きとるんか?」

「殺しちゃったの?」

「息はある……多分、落ちた時に頭を打ったのがいちばん大きい傷かも」


 すぐに病院に連れていけば死なせずに済む、素人ながらもそう判断できた。その時ラディがとある過去を零す。


「オートレースしててさ、思いっきり転んで頭打った人は見たことある。そのあと、一切動けなくて思考も止まった植物状態になったって。もしかしたらナイドもそうなるかもね。救急車くらいは僕が呼んであげるよ」


 コンテナから足をぶら下げ、見下ろすラディは馬鹿にするように言った。ナイドとラディの関係について、ロック達は知る由もなかったがその態度に良い印象は持たない。


「……早くラヴちゃんの方に向かうぞ」


 カプセルを取り出し人形ドールを収納したロックは背を向けて歩き出す。ラディ以外の3人が着いて行く。


「ごめん、ナイア。もしナイドがこれから目を覚まさなかったら……」

「今はそれよりも、急がないといけないかも」

「あ、あぁ……」


 ロックの殺意が本物だと、最も理解していたのはナイアだ。だからこそ直前で思いとどまったロックを責める事はしなかった。胸の奥からの衝動を抑え込むのは困難なのだと。ひとまずはロックが殺しをせず、ナイドが死ななかった事に安堵していた。


「ラヴちゃんが、この中に居る……んだよね」


 廃工場内部へと早歩きで向かうマイ。



 *



 視力を失ったモントは昨日の記憶を思い出していた。軽トラ車内にてレイジと語り合った理想を。眠る直前の出来事だったため薄れていた記憶が、今になって。


「今年はな、ロック達と一緒に花見に行ったんや。荷台に座って弁当食べるのはなかなか非日常でおもろくてな」

「花見……ってなんですか?」

「そ、そこから説明せなあかんのか。桜は知っとるやろ? あれを見ながら飲食なんかをしたりするんや」

「皆さんと一緒に、食事…………」


「モントは海で泳いだりしたんか? スケボー乗れるならサーフボードもいけそうやけど」

「泳いだことはないです。その……もし行けたら溺れるのが怖いので、見守っててくれませんか?」

「おう。まぁ俺も泳ぐのは上手じゃないんやけれども」


「遊園地でジェットコースターとかも、ええやろ?」

「猫カフェでモントを猫に溺れさせたいって思えてきたわ」

「夏祭りとかも行ったことないんか?」


 もう叶わない、分かっているはずなのにモントは這いずって動く。かつては死を待っているだけの存在だった彼女が、生きるためにもがいていた。


(感じる。皆さんが近くに来てるって)


 聴覚がほぼ機能停止しながらも気配を感じ取る。


(あぁ……あと少し、あと少しだけ頑張れば)


 床には生々しい血痕が伸びた。うつぶせで動いていたため口と胸からの出血は衣服を派手に汚している。もう少しの辛抱で大切な人に会える、そう思いモントは足掻いていたが。その先を考える余裕はなかった。



 *



「え?」


 突如としてモントの視界が明るくなった。体勢は仰向けだ。時刻は昼過ぎだったはずが、夕焼けが差し込んでいる異常事態に困惑する彼女の前に、あの人物が現れる。艶のある緑色のショートヘアの女性。黒いパーカーと灰色のホットパンツを着用しているその人物。


「はじめましてだね、モント」


 約1ヶ月前。この廃工場でナイドに殺されたはずのイア。何故死んだ彼女がここに居るのか。


「……あなたがいるってことは、ここが死後の世界なんですか」

「ちょっと違うかな、だって私はさ」


 するとモントの視界右側から見覚えのある人物が。死んだ当時の、幼い少女姿のキーネも歩いてきていた。


人形ドールに残った残留思念、だとでも言えばいいよ」

「モントの“死んだ人間の人形ドールに変形させる”力はその人間が死亡した場所に行ったら使えるよね。モントはその私達の力を借りてるんだ」


 しゃがんだイアの手を取ってモントは立ち上がる。先程まで立つ気力も無かった身体が嘘のように。しかし2人の言葉を信じるのならば、死後の世界というのもあながち間違いではない。


「じゃあ、僕も……あなた達のようになってしまうんですか」

「いや、普通の人だったら私達とは会わないまま死んでいくけど、モントは特殊だから今こうなってるだけだと思うよ。まだ死んではいないはず」


 まだ死んではいない。モントは察した。あの出血量ではもう助からない。間もなく自分の命は消えてしまうのだろうと。


「結局僕は、何も成し遂げられないまま、死ぬんです」


 後悔は山ほどある。その中でもレイジとの約束を果たせなかった事は大きい傷跡になっている。諦めたモントだったが、イアはため息と共に励ましを送り始めた。


「モントはさ、頑張ってたよ。私よりも【LIAR】を使いこなしてるまであったし。うん……本当に頑張った。でももう一度だけ、頑張ってみない?」

「今更、何ができるんでしょうか」

「言い残したことあるでしょ。ほら、レイジに抱いてる感情言っちゃえ」


 モントの頭を撫でながらイアが言う。少しの静寂の後、赤面。早口な反論が行われた。


「な、何を……!?」

「好きなんじゃないの?」

「嫌いなわけではないですよ、そりゃあ……傷やたこだらけの手指で他人のために整備をする姿も、僕なんかにも優しく接してくれて笑う時の顔も。でも。僕なんかでは。僕なんか、レイジさんには相応しくないんです。この前まで生きてる意味がまるでなかった僕なんかではレイジさんの特別な人には……」


 いつまでも自分自身を卑下に扱い、気持ちに正直にもならないモントにイアは痺れを切らした。


「私はね、最期には嘘しか遺せなかった。ロックを心配させないための、後先考えない薄い嘘をね。後悔の意識は私にもある。だからさ、せめてモント。モントは本音を言ってよ」


 イアの表情は悲しげだ。残留思念とはいえ、こもっている気持ちは本人のものとそう変わりはない。続いてキーネもアドバイス。


「私の方は何も言い残せなかったし。でもきっと今からレイジくんも来るよ」

「自分の気持ちには嘘つかない方がいいよ。一生後悔させることになるから。大好きなんだ、って。伝えようよ」


 優しい笑顔がモントを包んだ。残された時間は少ない。本音を伝えなければ、後悔したまま死んでしまう。


「……分かりました。僕の、本音を。レイジさんのこと。す、すきって。大好きです、って伝えます」

「私達には言えたね!」

「見てるからね、モントちゃん」



 *



「ラヴちゃん! 居るんでしょ!?」


 開けっ放しの扉から入ってきたのはマイ。愛しのラヴちゃんを求めてやって来たが、すぐに気がついてしまった。ロック、ナイア、レイジも続いて足を踏み入れた。


「え、あ………」


 マイの弱々しい声が静かな室内に響く。彼女の背中で隠れていた事で他の3人には見えていないが、引きずられたような血痕で想像できてしまった。恐る恐る、ゆっくりと歩き、その光景を目にする。


 身体中が赤く染まり、動かなくなっていたモント。

 つい先程まで出口を目指そうと這いずっていたようで、左手が力なく伸びている。


「っ……モント!!」


 すぐさまレイジは駆け寄ると首に手を回し持ち上げる。自らの膝の上に乗せるが右眼もなくなっている事に気づき、心臓の鼓動と呼吸が乱れる。モントはかろうじて呼吸自体はしていた。

 かつてここで死んで逝ったイアを思い出したロック。そしてナイアとマイは“ラヴちゃんがモントを斬り裂いた”という推測が浮かび動けなかった。


「まだっ、まだ生きとるって。血が……こんな、出とるけどきっと、助かる。助か──」


 自身を思い込ませる発言を遮るように、モントの左手がレイジの方に。


「モント!? 動くのはあかんって……!」


 右眼があった場所と口からは鮮血を垂れ流している。モントを抱きあげようとした瞬間だった。


 モントの口角が、少しだけ上がった。何かを発声しようと、口が開いた。しかしそれだけだった。そこまでだった。フルルへの代償として喉を捧げてしまっていた。何も言い残せなかった。

 レイジの両手は、考える間もなくモントの左手に向かった。手を繋ぎたいという想いに応えるために。冷たくなった細い手指を、レイジのごつごつとした両手が包む。


「────モント?」


 限界だった。モントの握り返す力がどんどん弱まっていくにつれて、レイジの胸の奥からの衝動が強くなっていった。

 そしてモントの左手は、レイジの両手から抜け落ちた。あまりにもあっさりと。


「モント、俺は……お前のこと」


 薄い笑顔を浮かべたまま、モントは力をなくした。膝の上で動かなくなった彼女を見て、レイジは今になってようやく自分の気持ちに気づいた。


「……好きに、なっとったのに」


 衝動と涙が溢れ出る。レイジは震え始め、自らを呪う。他には向けない特別な気持ち、愛おしいと想う心が芽生えていた事を。


「なんでっ、俺は! うぁ、あぁぁぁ……好きやって気づかなかったんや!! 何回でも、何回でも言ってやるから……モント、モント……っ」


 不格好に鼻水も撒き散らす。全てが遅かった。自分に戦える力がなかったせいで。もっと早くここに来れていれば。


 どうして、最後FINAL瞬間MOMENTになって気づいたんだ。


「俺はモントのことが好きだ! 昨日に約束もしたばっかり、やろ……? だからっ」


 身体を揺らしたが反応はない。その現実を受け止められなかった。レイジの脳裏には昨日のモントの明るい笑顔が過ぎる。だが目の前のモントは薄く笑ったままで、何の応えも返さない。


「なんで……モントが死ななきゃあかんねん! ナイドはまだ生きとるやろっ、あいつに比べたら罪も軽いはず、やって……」


 すると突然、モントの周囲に黒い煙と無数の手が出現した。【BE THE ONE】を使った時に出てくるものと同じ彼らはモントの身体のあちこちを掴むと、ひきちぎり煙の中に持っていく。


「な──にしとるんや!? 持っていかんでくれ……!」


 レイジは止めようと腕を伸ばすが、危険を察知したロックが後ろから抱きつき引き止めた。


「何するんやロック! 離せやぁぁっ」

「それに触れるな!!」


 無理やりに振り払おうとしたレイジだったが涙を浮かべるロックを見て取りやめた。ロックの言う通り黒い腕は危険な存在。レイジの服の袖が、ロックに引っ張られる寸前にひきちぎられていた。あれに巻き込まれてはレイジも無事では済まない。

 4人はただ見ている事しかできなかった。ロック達にとってたった数日、されど大切な時間を共にし戦った仲間が解体されていく様を。頭部や胸部、足もまるでパンのように衣服ごと軽くちぎられていき煙の中に消えていく。出血はしていない。


「モン、ト……行かないで、くれ」

「レイジっ……」


 レイジがそう静かに泣く姿を見て、ロックも我慢ができなかった。かつてこの場所でイアを失った自分と重ねてしまい。歯を食いしばりながら涙を流す。

 レイジの本音を感じ取っていたナイアも泣いていた。好きだと告白する純粋な気持ちが、届かずに砕け散っていく哀しい感覚。

 直視できなかったマイは両手で顔を覆い現実から目を背けた。マイは“あなたは特別”と言われ続け育った。現に『白』の力は特異ではあったが人形ドールによって生まれた被害に心を痛めていた。そんな中出会った、同じく記憶を失い特別な色を持つモント。


(ラヴちゃんが、こんなことしたの? どうして……どこにいるの? モントは、どうして死んだの?)


 一緒だよ、寂しくないよ。そう言って接した。そんなモントを殺したのは、愛するラヴちゃん。信じきれていなかった。

 モントの解体は流れるように終わった。最後に残った左手も、指がひとつひとつもがれた。

 何も残らなかった。モントが生きた証は何も残っていない。モントを知っている数少ない人物の記憶の中にのみ、残骸が残されているだけの存在となってしまった。これが『黒』の代償。


「モント……モントぉ」


 ロックのそばから離れ、先程までモントの身体があった場所まで歩いたレイジは崩れ落ちた。彼女の左手の温もりは、その両手にはっきりと残っているが。他には何一つとして、全てがなくなった。


「あぁぁぁぁぁぁ、ぐっ……ぅぅぅぅ」


 自らへの怒りが表れる。レイジは頭髪を掴んで毟るを繰り返す。ロックはこれを止める事はできなかった。イアを失った直後の彼も、自分の喉を痛めつけるほど泣き叫び、何者にも干渉されたくない気持ちがあったからだ。

 レイジの頭に巻かれていたハチマキも外れ、せき止められていた前髪が下ろされる。

 彼の慟哭は止まる気配がなかった。だが出入口の方から慈悲のある言葉が。事態を察した様子のラディ。


「……ジャムが言ってた。人が死ぬ時最後まで残るのは聴覚だって。だからさ、届いてたと思うよ」

「……そう、なんか」


 レイジの声は大人しくなる。振り向いた彼の顔はこの短時間で疲れきっていた。憂いを帯びた表情のまま立ち上がると、両腕を握り締め覚悟を決める。


「おいラディ。これはラヴちゃんがやったんか?」

「そうだろうね」

「どこに行ったんや」

「多分、世界政府本部。この様子だとタスクも巻き込まれたかな」

「……感謝するで」


 歩き始めたレイジ。当然、ロックは心配した。


「お、おいレイジ……急にどうしたんだ? お前らしくない──」

「俺に必要なんは……怒りだ! 俺が、この手で、ラヴちゃんをぶっ飛ばす!!」


 涙を振り払ってレイジは宣言する。以前モントに言った、自らの行動理由を破ってしまっていた。


『俺はイアを殺したナイドと、「MINE」を許さない。それにあいつが笑わなくなっちまった分、俺は笑うんや。ふざけるんや。あいつが変わっても俺は変わらない。変わらず支え続けて……全てが終わってから、あいつにも沢山笑ってもらうつもりやで?』


 長い前髪を揺らし、廃工場の外へと向かうレイジ。彼は変わってしまった。彼の理念を聞いた唯一の人物であるモントはもういない。嫌でも変わらなくてはいけなかったから。悲しみに押し潰されそうになり逃げるためにはこれしかなかった。一瞬でも怒りの感情をなくしてしまえば、再び涙が溢れ出し止まらなくなりそうだったからだ。


「モント……俺も死んだら、もう一度会えるんか?」


 他の皆には聞こえない、小さな声で漏らした。

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