第4章 あくどい、喪失

第1話 自らの親切心に堕とされた正義

 1年ほど前の話。雨が激しい夕方だった。既に日は沈み、ロォドは交差点で信号を待っていた。いつも通りの仕事終わり。何も変わらないはずではあったが、彼女の視界に老婆が入る。老婆はロォドと横並びとなり、中身が詰まったバッグを両手でなんとか持ち支えていた。


「うっ……重い」


 あまりの重量に独り言が零れている。 信号が青に変わり、人波は動き出したが老婆は苦労を見せた。速度も遅く、歩き出していたロォドとの距離も開いてしまう。


「……あの、持ちますよ」


 進んだ道を戻り、ロォドは優しい笑顔を向けた。


「え? いいんですか?」


(この様子だと、今までも手伝ってもらった事はなかったんだな)


 周りの人間の冷たさを感じながらも、ロォドはバッグを軽々と持ち上げる。重荷が無くなった老婆は雰囲気も明るくなり、お礼の言葉を送り続けた。


「ありがとうございます! 家族のために色々と買わなければいけないのですが……最近は歳のせいか歩くのも辛くって」

「あたしにも養うべき家族が居ます。あなたの気持ちも……一応は分かるつもりですよ」


 その後も世間話や家族の自慢話が繰り広げられ、結局ロォドは老婆の自宅まで送る事となった。幸い時間には余裕があり、老婆の家もそう遠くはなかった。


「本当にありがとうございました」


 悪意の無い笑顔。家の前で改めて老婆は頭を下げた。ロォドは仕事の都合上、犯罪者の追跡や事情聴取などで悪意には触れてきていた。それでもこのように人助けをする事で得られる達成感、そして感謝される事の喜び、他人の幸せは自身の幸せ。これを糧にロォドは生きていた。



 *



 そして30分後。ロォドは自宅であるアパートに。予定よりも遅れてはいたが、大きな問題は無い。はずだった。


「ただいま~……?」


 部屋の扉を開けるも、返ってくる言葉はなかった。靴は夫と息子の分があり、既に2人は帰宅済みだというのに。

 不審に思ったロォドは小走りでリビングへと向かう。茶色のフローリングが軋み、まるで悲鳴の様。待っていたのは残虐な詐欺グループの1人。


「…………え」


 ロォドの口からは小さな困惑しか出せていなかった。夫と息子の身体は縦真っ二つに別れ、頭や胴体の中身が少し零れ出している。リビングの照明はチカチカと不安定で、窓枠にもたれていた人物の顔も不鮮明。


「丁度帰ってきたか……他の住人にも勘づかれそうだし、ここでこれ以上戦闘を起こすのは愚策。じゃあな!」


 その人物はジャムだったが、ロォドは2人が殺された事によるショックでまともに追えはしなかった。ジャムは窓から飛び出し逃走。対してロォドは弱々しい足取りで2人に近づこうとしたが、目眩が襲い倒れ込んだ。


「どう、して……何が……?」


 人間だったものが辺り一面に広がっている。夫と息子はまるでお互いを暖めるかのように身体を寄せていたが、既に彼らの体からは温かみが失われかけていた。


「あた、しのせい……なの?」


 幼児退行したかのように、まるで子供の口調で2人だったものに語りかけたロォド。当然答えは返ってこない。


「あたしが、あの人を助けて……遅れたから?」


 老婆の手助けをし、失われた数十分。もしいつも通り帰宅していたのならば、2人を助ける事も出来たのではないか。ロォドはその考えで自らを苦しめた。


「ごめんなさい……あたしのせいで、あたしの、せいで…………っ!」


 後悔しても時は戻らない。これは夢なのではないか、という淡い希望を胸にロォドは2人だったものに抱きついたが、感触は明らかに現実。


「うぁぁぁぁ………!」


 大粒の涙が溢れ出し、身をよじり大声で泣きじゃくった。周辺の住民が気づき部屋に駆け付けるまでの2時間、それは続いた。



 *



 11ヶ月後。夫と息子を殺した人物を追うため、ロォドは捜査に明け暮れていた。しかし一向に手がかりは掴めず、捜査本部のムードも諦めに突入していた時。


『詐欺グループの人間に恋人を殺された、と証言する青年』


 の情報がロォドの耳にも入った。けれども青年が証言した廃工場には跡形もなく、ただのくだらない嘘だと馬鹿にされていた。


「君がロック、だね?」


 だがロォドは接触し、警察署の壁を乗り越えようとしていたロックに注意も兼ねた挨拶を送った。当然ロックは驚き、掴んでいた壁から手を離すと着地。真顔でロォドを見つめた。


「聞いたよ。詐欺グループの奴に恋人を殺されたんだって」

「……信用されませんでしたけどね。貴女も冷やかしに、来たんですか?」


 もはや誰も信用できず、警察署に不法侵入という犯罪行為にまで手を染めかけていたロック。この時の彼は精神的にも限界に近かった。


「いいや。あたしもね、大切な人を殺されたの。夫と息子……2人は詐欺の被害に合いそうになってたんだけど、独自でその詐欺の加害者を調べていたみたい。あたしに黙ってね。ほんと、余計な『優しさ』だったよ」

「っ……!」

「それで、さ。もしかしたら君の言ってる詐欺グループと、あたしの家族を殺した奴。そいつらがグルだって可能性もある。よかったら君の証言を、もっと聞きたいんだが……」


 ようやく話をまともに聞き入れてくれる人間が現われ、ロックは興奮で息が荒くなる。自身のくしゃくしゃの髪を掴んだ事で更に跳ねてしまっていたが、彼の中に希望が生まれ出してもいた。


「お、俺は……いや、イアが死んだのは、俺のせいで……あぁっ」


 希望を遮る形で脳裏に蘇る忌まわしき記憶。錯乱し背を向けると、吐き気を抑えるために深呼吸を何度も試す。しかし抑えは効かず、口からは胃液が垂れる。ここ数日何も口にしていなかったからだ。


「……ロック」


 するとロォドは、苦しむロックを後ろから抱きしめた。ぎゅっと腕を握りしめ、慰めの言葉を囁く。


「辛いよね。でもあたしは信じるから。あたしもあたし自身を信じられなくなった。だけど復讐の意思に身を投じたら楽になった……復讐なんて間違ってる、とか言ってくる人もいたけど……逃げるための1つの手段としては、ありだと思う」


 まるで母親が息子に接するような、優しい声色で。ロックを否定せず、尚且つ自らが選んだ道を語った。


「あたしは……ロックと同じかもしれない。別に否定してくれても良い。でも……あたしは信じるから。ロックの事を。だから本音を話して欲しい」

「あ、あぁぅ……ありがとうございます、ありがとう、ござ……う、ぐぅ!」


 振り向けずに、涙を流すロック。お礼の言葉によりロォドはかつての老婆を思い出してしまったが、変わらずロックを慰めた。


 これがロックとロォド、2人の出会い。そして別れも、すぐそこまで迫っていた。

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