29
奪われちゃった。
【瞑想】を終えた霧が目を開けるなり抱きついて唇を求めてきた。
いや、俺だって初めてではない。この世界での元の自分は童貞のまま終わってしまったが、イング・リーンフォースとしての俺はけっこう遊ばせてもらった。
……ていうか、正直に言えば全ての師匠といたしている。
あの人たちにとって性交渉は修行の一環か遊びでしかない。生物的な意味でのそれを求めてはいないので気楽ではあった。
彼女たちは女である以上にあの世界のバランスを維持する超越者たちなのだ。
それはともかく……。
経験は豊富だが、封月織羽としては初めてだし、なにより同性同士というのはイング時代を含めても初めてだ。
女の側から攻められるのも初めてではないが、女として女に攻められるというのは初めてなわけで、そして感覚の受け止め方が男と女とでは大きく違うというのがとてもよく理解できた。
いや、女って凄いわ。
そのまま絨毯でしてソファでしてベッドに移ってした。
朝までした。
霧さん、すごく貪欲です。
「んん……」
いまはベッドですやすやと眠っている。
彼女の中に鬱屈していたものが昨夜のアレで少しは晴れていればいいんだが。
「……飯でも作るか」
疲れているが眠れる気もしない。そう呟いてベッドから出た。
冷蔵庫にはそれなりの食材がある。電話で頼めば管理人の鷹島夫妻が家事は全て負担してくれるという。冷蔵庫の食材はそれ用に備蓄されているものだ。週一でそれらの整理と、部屋の掃除をしてくれることにもなっている。
してくれるというのを拒む理由もない。実験とかもするつもりの書斎には入らないようにという約束だけはつけておいた。
朝飯程度で呼ぶまでもない。良さげな鮭の切り身があった。焼き鮭があればご飯何杯だっていけます。
とりあえず米を研いで炊飯器をセット。
ベランダに出て体を動かす。カッチカチの体をできる限り柔軟体操でほぐしてから型の練習を始め、体が温まってから練習用のゴーレムを召喚して組み手をする。
こいつは俺の動きの全てを覚えさせているのでこいつとの訓練は対人型においては自分の意外な弱点や新しい動きを見つけたりとおおいに役に立ってくれた。ていうかイングの練習相手として作ったのでけっこう強い。
だから、いまの織羽の肉体で戦おうとすると俺の方が圧倒的に不利だ。安全装置を組んでいるからなんとかなっているが、それがなかったらこの短い時間ですでに五回は死んでいる。
実際には死なないが、罰ゲーム的に自分の死のイメージを脳内に叩き込むようにできている。ゴーレムを作ったのは俺だが、そんなエグイ性能を追加したのはダキアだ。
世界そのものさえも騙してしまう最高峰の幻影魔法の使い手が仕込んだ幻だ。覚悟して受け止めないと幻で死ねる。
冷や汗で凍え死にそうになる前に組み手を終了し、鮭の切り身をコンロのグリルに投入し、タイマーをかけて焼く。
そしてシャワーに向かう。
汗を流していると部屋の中で動きがあった。霧が起きたようだ。キッチンで水を飲み、なにかを始めたようだ。
「あ、おはよう」
霧が明るい声で俺を見て、それからすぐに視線をそらせた。
「おはよう。この匂い、味噌汁作ってる?」
「う、うん……それと卵焼きも作るよ」
「マジで? あのきれいに畳むのができるんだ?」
「ええ」
「すげぇ。俺できない」
「そうなの?」
「ああ。……なぁ?」
「な、なに?」
「あそこまでしたんだからいまさら拒否とかしないし、そんなに構えなくてもいいぞ」
「……う、うん。そうなんだけど、なんだか恥ずかしくて」
「朝は淑女。夜は……って?」
「もう! 言わないで!」
「ははは」
そんな感じで霧とイチャイチャしながら朝の支度を進める。
同じタイミングで食事を始めたが、俺が食べ終わった時には霧は食事だけでなくシャワーも終えていた。
大量に焼いた鮭でご飯を何度もおかわりし、卵かけご飯もした。味噌汁ぶっかけご飯もした。
ご飯は美味しい。
「本当によく食べるわね」
「体が栄養を求めているんだよ」
「それだけ食べて、どうして太らないの?」
「過剰カロリーじゃないからさ」
かつてのイング・リーンフォースの能力を取り戻すにはまだまだ訓練が足りないし、取り込む栄養も熱量も足りない。
「それより、どうする?」
「どうするって?」
「ここに暮らす件。俺は構わないけど?」
「……いいの?」
「いいよ。家の方にトラブルがあるなら爺さんに話を付けさせる」
「お爺さんに頼るの。嫌じゃないの?」
織羽の素性は話しているからな。彼女の不幸が祖父の偏愛にあることは霧も知っている。
「利用するだけさ」
「そう。……わかった、お願い」
「ん」
そういうわけで霧が一緒に住むことになった。
腹が満ちたことが彼女の睡眠不足を後押しし、再び眠った。俺は部屋の同居者が増えるということで部屋の魔法的な防御機構に変更を加えたり、爺さんに連絡したりして、それが終わったら書斎を研究室にする改造を始めた。
アイテムボックス内の素材を錬金魔法で加工し必要なものを配置していく。かつて自分が持っていた研究室を再現するだけなので改造にはそれほど時間がかからなかった。
そうだ。いまの自分に合った装備を用意しておこう。
基本の格好はあのライダースーツでいいとして、オプション装備を作るとするか。マントとか剣とか。サイズ調整機能があるのは防具だけだし、そもそもそれがあったとしても変わるのはサイズだけで重量が変化するわけではない。
以前使っていた装備はイング向けのものだから織羽の俺が使うには重すぎるものが多い。
「とりあえず自動防御のマントと剣……レイピア、籠手と脚甲。一々世界記憶と紐づけするのも鬱陶しいよな。スーツそのものにアイテムボックスを付与してオプション選択で出現させるようにするっていうのもありか」
そんなことを考えながら作っていく。
「そうだ。霧のも作っておこう」
彼女が着てくれるかどうかはわからないがそれはそれこれはこれ。
「ふんふふ~ん」
こういうのを考えるのは楽しい時間だ。
その後は軽く昼寝をして目を覚ますと夕方で、霧が夕食を作ってくれていた。
チャイムが鳴ったのは食事が終わって二人で片づけをしていた時だ。
「はい」
「連絡をもらって迎えに来ました」
「あーはいはい。待っててくれ」
「はい」
ドアホン越しに女性と会話する。赤毛のなかなかはっちゃけてそうなお姉さんだった。
「迎え?」
霧が驚いている。そうだった話してなかった。
「ちょっと思いついてこれから出ようと思うんだけど、どうする?」
「ついていっても大丈夫?」
「もちろん」
「どこに行くの?」
霧の質問に俺はとある日本海側の地名を口にした。隣県でもあちら側は山脈が邪魔をしているので少し遠いイメージだ。
「ちょっとダンジョン攻略に」
このことは霧の占いは感知していなかったのか、驚いた顔は消えなかった。
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