03


「がうっ!」


 まばゆい光が俺を包んだと思った次の瞬間、俺は呼吸ができない混乱に襲われた。

 なんだ? なにが起こった?

 バタバタともがく。足が届かない。

 空中? 首に圧迫。

 縄?

 あっ、やばい。いいところに入ってる。このままだとすぐに気絶する。いや、もうした後か? もしかして死んだ後とか言わないだろうな。

 とにかく縄を切らないと……。


【風刃】


 とっさに放った攻撃魔法は俺を吊るしていた縄を切ることに成功し、床に落ちた。


「ぐう……まさか送還した瞬間に殺しにかかるとは」


 喉が痛い。声が荒れているためか聞き慣れない声が出た。

 それに体にも力が入らない。

 とりあえず、顔を洗おう。喉が痛いからうがいもしたい。


「それにしてもなんで首つりなんて……」


 たしか、召喚前は……なにしてたっけ? 学校から帰っている途中だったと思うんだが……。

 ふらふらとなんだか覚えのない部屋を出て見覚えのない廊下を進み、洗面所を見つけ出す。


「ここはどこだ?」


 と、洗面台の明かりをつけ、正面にある鏡に浮かんだ自分を見て、俺は思わず呟いた。


「で、お前は誰だよ?」


 目の前にあるのは鏡だ。

 つまりそれは俺自身を映している。なにも怖い話で聞いたことのある、鏡に向かって「お前は誰だ?」を繰り返したら精神崩壊するっていう都市伝説みたいなのを試したいわけではない。

 本当に、お前は誰だ?


「は? どういうことだ?」


 明らかに元の俺の声ではない。少し低めだが女性的な声だ。

 ていうか女性だ。

 艶のない長い黒髪が顔だけでなく全身を覆っている。まるで日本ホラーといえばあの方っていうぐらいに有名なあの女性みたいだ。

 髪をかき上げると意外に鋭い目が俺を睨む。

 不健康な青白い顔色だ。

 混乱がひどくなかったのはこの体験が二度目だからだろう。異世界に召喚された最初が本来の俺とは似ても似つかない金髪イケメンだったからな。

 それから考えればいまのこの姿は日本人なだけ惜しい! って感じかもしれない。

 いや、それでも困るものは困るんだから。

 ブサメンでも俺は俺。戻るつもりだった姿と違うのだからどうしたものかと鏡を眺め続ける。


「あっ、思い出した」


 この顔、この姿……俺は知っている。

 サダコ……なんてベタなことは言わない。実際に陰口でそう呼ばれていたが俺は言ったことはないはずだ。


「封月織羽」


 ほうづきおりは。高校のクラスメートだ。

 影が薄いから陰子。地味……いや怖い。存在がホラー。たいして手入れもしない長い髪を放置して顔を隠している封月を周りはそんな風に思っていた。

 俺も……まぁ率先して悪口は言っていなかったと思いたいが距離は取っていたと思う。そもそもこんな姿からして会話を拒否する雰囲気があったのだから仕方がないと主張したい。

 しかしどうして、俺は封月織羽の体に?


「ああ……ぐっ!」


 どういうことかと考えようとしたら猛烈な頭痛が襲ってきた。

 持病か?

 と思ったが、違う。

 猛烈な勢いで記憶が押し寄せてくる。


「あ、これやばくないか?」


 魂が別の肉体に憑依する。死霊魔法に存在するのだから俺にもできる。やったこともある。だが、記憶が再生されるというのは初めてだ。

 イング・リーンフォースは俺のために用意された新品の肉体だったのだから。

 ただし、知識としては知っている。

 死霊魔法の師匠にも注意された。

 脳から記憶を引き出せるということは魂と肉体が馴染んでしまった証拠だから気を付けろと。

 やばい、脱出をと思うのだが頭痛がひどくて集中できない。


「くっそ……」


 俺はその場に座り込み、記憶の再生と頭痛が止まるまでその場で待つしかなかった。

 そうして、全てわかった。

 俺がどうして元の自分の肉体に戻れなかったのか。

 どうして、封月織羽は自殺をしたのか。


「はぁ……やれやれ」


 首の痛みを白魔法で癒し、俺はため息を吐く。


「まさか、俺が死んでいるなんてな」


 がくりとその場でうなだれる。

 元の俺は学校帰りに突然召喚された。だが、召喚されたのは魂だけだ。肉体はあちらで新たに用意されていた。

 俺にイング・リーンフォースなんて異世界名があるのはそのせいだ。

 そして、こちらの世界に取り残された俺の肉体は路上で突然倒れ、倒れた拍子に道の端の草むらに入り込み、心臓が止まるまで発見されなかったらしい。

 ああ、思い出したけど召喚される前って普通の道に飽きて裏道を探していたな。それも発見が遅れた理由だろう。

 うん、昔の俺はバカだった。

 いまもかもしれないが。

 で、そんなわけで帰る肉体を失った俺は、近場にあった死にたてほやほやのこの肉体に入り込んでしまったってわけだ。

 封月織羽は自殺した。

 その理由もちゃんと俺は読み取れた。


「まったく……帰った瞬間にこれかよ」


 なんて考えていると、ガチャリと玄関の開く音がした。

 俺は立ち上がって廊下に出る。


「「「ひっ!」」」


 俺を見て、三人がそんな悲鳴を上げた。


「な、そんなところで何してんのよ!」

「そうよ、驚かさないでちょうだい!」

「お前は部屋にいろ!」


 嫌悪感の浮かんだ目で俺を睨む三人。

 発言した順に……。

 封月泰羽(やすは)……妹。

 封月優樹菜(ゆきな)……母。

 封月忍(しのぶ)……父。

 家族だ。

 焼肉か? 美味そうな匂いを体中から零しながら俺を拒む三人ににやりと笑いかける。


「よくわかった。とてもよく……な」


 ああ、まったく……陰子なんて陰口叩かれながらイメチェンしない理由がよく分かった。

 織羽にとってこの髪は、自分で手にしたただ一つの自己防衛手段だったのだ。

 誰にも手を出させない世界を作るための。

 なんと淡く脆い世界だろう。

 俺は自分の体に心で語りかける。

 もう大丈夫だ。

 この体はもう、俺のものになったのだから。

 全ての敵は俺が破壊して服従させてやる。



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