SFラブストーリー
カミン☆
エピソード 1-1
序
トムは地獄にいた。
暗い虚空が無数の白い星で埋め尽くされている。無味乾燥な世界。ここは宇宙空間だ。本当は人間がいてはいけない場所。一刻も早く抜け出したい。
人々の見送りに悠然と手を振り応え、冒険好きで勇敢な男を演出してきたトムの本心を知ったら、誰もが戸惑うだろう。軽蔑する者さえいるに違いない。
せめて心の内ではいくらでも叫んでやる。還りたい。地球へ。家族の待つ故郷へ。
これが最後の任務なのだ。トムが救われるまであと少し。
※※※
薄桃色のワンピースを見失ってしまった。
僕の周りでは着飾り華やいだ男女が談笑している。丸テーブルの周りに立ちグラスを手に語り合う者、料理を口に運ぶ者。ここには熱気しかなかった。今は喜びしか有り得なかった。
僕はレセプションルーム内をゆっくり見回した。人々の隙間を縫って隈なく視線を走らせる。
いない。どこにもいない。
メインエントランス付近では人だかりができ一段と賑やかだった。そこにはパーティーの中心人物がいる。彼はよく目立っていた。非常に大柄な人物で首一つ飛び出ている。
彼は地球の人間ではない。遥か遠くの異星、エリュからやって来た。彼らは自分たちが形成する文明をエリュ圏と呼んでいる。エリュ圏は多数の恒星をまたぐ巨大な文明圏だ。
パーティーの出席者はほとんどがエリン計画の関係者だ。エリン計画とはエリュと地球による合同プロジェクトで、水星における資源探索及び採掘を指す。
出席者たちはみな、グラントという名の男に接近しようとしていた。グラントはニックネームで本当はもっと複雑な名前を由来としている。グラントの肩書は地球最高責任者であった。
「誰もが選ばれたいのさ」
耳慣れた声。同僚の歌村がグラスを片手に口の端を歪めていた。
「片道322日5・27時間の旅人に。地球人として初めて、憧れのエリュに派遣されるためには何とかグラントの目に留まらなくてはならない」
「何も研究者だけとは限らないのに」
「もちろん。そうだ」
歌村の視線の先で目の覚めるような金色のドレスが揺れていた。グラントを独占しているのは若く著名な女優だ。エリン計画を世界にアピールするためのプロモーション活動をしている。2人の周りには人々の輪が重なっていた。彼らの中には報道関係者も含まれている。
輪の外側には計画の最高責任者でありJAXA常滑宇宙開発センター長池野が控えていた。小柄な池野はいかにも人の好さそうな笑みを浮かべ一人佇んでいる。グラントにあまり関心はないのか巨大ディスプレイばかり眺めていた。
「宇宙開発関係者だけではない。一般から幅広く募集するのだからな。初回に選ばれるのは二一二名。地球全体でだ。多いと感じるのか少ないと感じるのか。いや、そんなことより」
歌村はニヤリとし僕に握手を求める。
「人類初水星着陸おめでとう、ミヲル。すべて計画どおりだ」
僕もおめでとう、と彼の手を握り返した。ディスプレイに映し出されているのは大型宇宙艇エリンのコックピットだ。だが今はそこにクルーの姿はない。
水星着陸後、目的の資源を探知するための〃仕掛け〃を施したところでクルーたちは待機を兼ねた短い休息に入っているのだ。
「記念パーティーは今始まったばかりだ。何しろ75時間ぶっ通しパーティーだからな。じっくり行こう」
レセプションルームからホールを挟んで対面の部屋は臨時宿泊室となっていた。畳の部屋には合宿所よろしく布団が並べられている。
つまり長時間パーティーは水星に着陸したクルーの監督及び支援も兼ねている。よって飲み物はすべてソフトドリンクとノンアルコールだし指令室には担当グループが交代で詰めることになっていた。
大型宇宙艇エリンが、このJAXA常滑宇宙開発センター基地から飛び立ったのは4週間前だ。そして今から約3時間前、第一関門である水星着陸を無事成し遂げた。任務遂行期限は着陸後75時間。
何しろ主要国から融通し数千兆円という莫大な費用を掛けた日本主導のプロジェクトである。一定の成果を上げなくては日本の顔が立たない。
ふと目の端に何かが映った。それはガラスの壁の向こうの屋外だ。僕は確かに小さな薄桃色を見つけた。すぐさま僕がその場を離れようとすると歌村が話しかけて来る。
「おい、気を付けろよ」
何が、と僕は歌村を振り返った。
「あの女だよ。ビッチだって噂だ」
「誰がビッチだって?」
僕は薄笑いを浮かべる歌村を睨みつけていた。歌村の笑いが苦笑に変わった。まあ、いいさ。と言い残し、僕の肩をポンと叩くと踵を返し歩き去った。僕は歌村の意図を吟味しつつ長身の背中を見送ったあと、テラスへの出口へ目を向けた。
そこに彼女はいた。
薄桃色のワンピースにさらりと流れる焦げ茶色のストレートヘア。
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