2、ふりだしに戻ったら(4)
自分がいる場所と僕の困惑した表情をようやく読み取ったのか、実咲はハッとして僕に謝罪をした。「すみませんでした」と一言それだけ残すと、実咲は僕に背を向けた。さっき注いだコーンスープはもうとっくに冷めてしまっていた。
僕は何を思ったのか無意識に去り際の実咲の背中に向かって声をかけていた。「あの……」と始めて、「もし嫌じゃなかったらで良いんですけど」と自分の発言に保険をかけて、僕は実咲に連絡先を聞いた。実咲は僕の提案を快諾してくれて、気づいた時には僕の右手には実咲の連絡先を書いた手帳の切り端が握られていた。
実咲と別れた後、確認するとそこに書かれていたのは電話番号だった。しかし今時珍しく固定電話の番号が書かれていたのが少しばかり不安だった。携帯を持っていないということはないだろうし、何かしら別の意図があるに違いない。パソコンでその番号を入力してみる。
出てきたのは新宿歌舞伎町にあるソープランドのホームページだった。バカにされたのかと思い最初こそ苛立ったが、確認するとそこには実咲という源氏名の嬢が在籍していた。写真にはぼかしが入っていて詳細にはわからないが、さっきまで僕の目の前にいた実咲に雰囲気は似ている。
意味がわからなかった。信じられもしなかった。
連絡先を聞いて、まさか自分が在籍している風俗店の番号を教えてくる女などいるだろうか。普通ならありえないだろう。僕が冷やかされていると考えのが妥当だ。しかし相手はあの美沙希の友人を名乗る女なのだ。僕の理解を超える女だったとしても不思議はない気がした。
実咲の出勤日は明日になっている。僕は渡された電話番号に電話をかけて、明日の昼に実咲を予約指名した。やましい気持ちなど一切ない。ただ僕は実咲ともう一度会って、きちんと話したくなったのだ。実咲と話して、美沙希のことを知って、そうすることで僕の過去の後悔や過ちは全て清算できる気がした。
そうして翌日、僕は新宿駅に降り立った。地図を確認しながら、なんとかたどり着いたビルの二階に実咲のいる店があった。スーツを着たボーイに予約をしていることを伝えると一度待合室に通された。会計と烏龍茶の注文を済ませて待っていると、程なくして僕の偽名が呼ばれた。部屋に案内され、扉を開けるとそこには床に指をつけて深々とお辞儀をしている実咲がいた。
「御指名有難うございます。実咲と申します」
本物の実咲だ。昨日漫画喫茶にいた実咲が、僕の前でこうべを垂れている。礼儀正しかったのは最初だけで、ボーイが部屋から離れるやいなや実咲は「まさか本当に来るなんてね」と無邪気に笑う。来たことは事実だが、ヤりにきたわけじゃない。実咲は僕をベッドに誘うとベルトに手をかけたが、僕はそれを止めて話を始めた。
最初から美沙希の話をするのはなんとなく気が引けて、実咲のことから聞き始めた。彼女がどういう人間なのか、正直僕には関係ないし興味もないことだったが、そこから話を始める方が流れ上自然だった。
実咲は住む所がないらしく今は漫画喫茶に泊まるか、もしくはこの店の待機所で時間を過ごしていることが多いらしい。スマホは連絡が取れないと不便だからという理由で店側から借りているものがあるだけで、自分では持っていないようだ。だから僕から連絡先を聞かれた時、この店の電話番号を教えるしかなかったという。そのまま客にでもなってくれれば私にとってもありがたいことだからと、あの時既に営業をかけられていたことを僕は知った。
美沙希のことを聞かなければと思いつつも、そのタイミングがわからなかった。漫画喫茶の時同様に実咲は話し始めるとなかなか止まらないし、それでいて彼女は話しが上手く、いつまでもその話を聞いていられた。端的に言えば、僕は実咲との会話を純粋に楽しんでしまっていた。そこに美沙希という穢れを入り込めせる隙は一切なかったのだ。しかしそれだと僕が今日、一体何のためにここに来たのかわからなくなってしまう。
ただ実咲との会話を楽しむためだけに時間を費やしてしまっては、高い金を払った意味がない。僕は意を決して、実咲との話に美沙希を放り込む。しかし僕が話を始めようとするよりも先に、実咲は僕の唇に自分の唇を重ねてきた。
「今は私が話してるのに」
そう言って実咲は僕を抱きしめるとそのままベッドに僕を押し倒した。そこから先はただのプレイだった。実咲という風俗嬢と遊んだだけ。美沙希の話なんてできやしなかった。僕はただ本能の赴くままに実咲とヤった。僕が人生で抱いた二人目の女性だったがそこに愛はなかった。でも愛のないセックスには慣れていた。というよりそれしか経験はなかった。だから何も問題はなかった。
ただ実咲はこれを生業としていることもあってか、男を気持ちよくさせるテクニックだけは一人目よりも優れていた。触り心地もまるで違う。あの時のまるで流れ作業のようになっていた性処理とはわけが違った。
僕はその日、九十分という時間の中で三十分を彼女との会話に使い、そして六十分を彼女との性交に費やした。六十分の間で僕は四回射精したし、その四回の全部を彼女の中で出した。実咲はそれで良いと言ったからそうした。
時間になって名刺を貰った僕は実咲に「また来る」とだけ伝えて退店した。その「また」は翌週に訪れた。その時も「また来る」と伝えて、その「また」は三日後に訪れた。僕は完全に風俗嬢の実咲にハマってしまっていた。
何回彼女の元に訪れたかわからない。彼女にいくら使ったかもわからない。親を騙して振り込んでもらっていた貯金もそろそろ底がつきそうだった。それが無くなると僕はもう実咲に会えなくなる。そう思うと目の前が真っ暗になったような感覚に陥った。
実咲がいなくなったら、また僕は何も無くなる。無くなってしまう。独りになって。人と触れ合わなくなって。無になる。そうなることが嫌だと思った。自分が思っていたよりも、僕は寂しがり屋で、弱くて、人との繋がりを欲していて。でも人と繋がることが上手くできなくて。
今の僕は実咲という女の子とお金の関係で繋がっている。これがなくなったら実咲にとって僕は用済みなのだろう。なぜなら僕は結局のところ彼女にとって客でしかなくて、それ以上でもそれ以下でもないからだ。そんなの嫌だった。
だから僕は言ったんだ。
今度、プライベートで飲みに行きません?
その答えは意外にも悪くないもので。「君の奢りなら良いよ」だった。まるで告白に成功したかのように嬉しかった。ただ二人で飲みに行くだけなのに彼女に認められたような、そんな気がしてしまったからだった。僕が実咲にとってのただの客ではなくなった瞬間だったように思えた。
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