ボタンを押さないと出られない部屋
鳥の音
ボタンを押さないと出られない部屋
目覚めた時、私は見知らぬ真っ白な部屋にいて、あらゆる事を忘れていた。
素性や名前、容姿すらも思い出せない。
姿見なんて無いし、代わりになりそうな物も無さそうだから、わかる範囲で自分の身体を確認する。
髪は結構長くて茶色がかった黒だった。
手足はかなり華奢で、健康的な生活は送れていなかったのかもしれない。
身に付けているのは真っ白なワンピースだけ、靴は履いていない。
素足だ。
それ以外には何もない。
傷跡も、拘束具の類も付いていない事を確認した所で、私はようやく後回しにしていた周りに目を向ける。
真っ白な部屋だ。
全く物が置かれていない。
ある物と言えば、部屋の真ん中に机が一つ、その机の上に置かれた赤いボタン、それと......
「お!やっとこっち見た。おはようお嬢ちゃん。思ったより落ち着いてるね。」
私と目が合うや否や、その男は話掛けて来る。
真っ黒な服を着た、真っ白な男の人。
男はケタケタ笑いながら、私の方へ近付いて来る。
「初めましてお嬢さん。俺は......」
「変質者?」
「いや違うから!」
「でも、密室に怪しい男とか弱い美少女が二人きりなんて監禁事件としか......」
「なにちゃっかり自分の事を美少女にしてんのさ......甘く見積もって中の中くらい......」
「ん?」
「と言うのは勿論冗談だよ、うん。でも残念ながら俺は監禁犯じゃないし君も被害者じゃない。」
「じゃあ何?」
首を傾げる私に、男は「ふふふ......それわねー」と勿体ぶる。
そうして
「俺はね、死神だよ。」
と続ける男に、私は
「は?」
と、かなり冷めた反応を返した。
しかし、そんな私の反応も物ともせず、と言うか私の意見などどうでも良いかのようにヘラヘラしながら、男は現状を説明し始める。
「んで、まあ、ザックリ言うとね。君、死んだんだよ。で、ここは死後の世界......では無く、その一歩手前らへん。」
「あの。」
「何?」
「それで何が目的なの?変質者さんの......」
「頑なに信じてないな!」
「だって、いきなり死んだなんて言われても信じられないし。せめて信じられるだけの証拠があれば......」
「記憶。」
「へ?」
「証拠だよ、証拠。君、今記憶喪失だろ?それが君が死んでいる証拠だ。この部屋はね、次の人生へ行くために余計な物を消すための場所なんだ。で、今の君はその最中なんだよ。」
認めるべきかもしれないと、そう思った。
それは、頭の中を覆っているモヤが少しずつ大きくなって行っているように感じたからだ。
この男の人は今“余計な物を消してる最中なのだ”とそう言った。
ならきっと、それは今も進行していると言う事で、このモヤモヤした感覚は、きっと記憶が消えて行っていると言う事なのだろう。
でも、彼の言っている事が事実だとしても、やっぱり私はこの質問を彼にする。
「それじゃあ、死神さんの目的はなんなんなの?」
改めてそう質問すると、死神さんは嬉しそうにニッと笑った。
そして「理解が早くて助かるよ。」と言うと、机の上に置かれた赤いボタンを指で挿し
「そのボタンを押せばここから出してあげるよ。ただし!そのボタンを押すと人が一人死ぬ。」
とそう言った。
なぜ?とか、ここから出たからどうなるの?とか、色々な疑問がごちゃ混ぜになって言葉を出せない私に、死神さんは更に続ける。
「ちょっとわかりづらかった?ようはボタンを押せば生き返らせてあげるって事だよ。記憶も何もかも元通り。平和な日々へ帰る事が出来る。ただし!引き換えに誰か死ぬ。オーケー?」
「なんで?」
「ん?何でこんな事したのか?それとも何で誰か死ぬのか?いや、どっちもか......そうだな。まず何故こんな事したのかから、私情だよ?君は覚えてないだろうけどさ、俺は死神だから君のこれまでを知っている。で、それがあんまりにも可哀想だと思ったんだ。理由はそれだけ。次に何で死ぬかだけど、死人一人を生き返らせるんだから、そりゃね?わかるだろ?」
あっけらかんとした態度で、大した事でもないようにサラッと告げる死神さんは、混乱する私にニッと笑い掛けると
「それじゃあ、好きな方を選んで。ボタンを押すか押さないか、選ぶのは君だ。」
そう言って、私をボタンの置かれた机の前に招き入れる。
選択肢は至ってシンプルだ。
押すか、押さないか。
押せば誰かが不幸になって、押さなければ私が不幸になる。
こう言う場合、普通の人は迷わず押すのだろうか?
他人の幸せと自分の幸せ、どちらを優先するのかと言われたら、私は自分を選ぶ方だと思う。
でも、このボタンを押す事で誰かを殺してしまうのだと思うと、身体がこわばる。
押さないと言う選択肢は、多分ない。
記憶はあやふやだけれど、死にたくないと思うから......
「ねえ。死神さん。」
「なんだい?」
「押したら本当に誰か死んじゃうの?」
「うん。死ぬよ。」
「絶対に?」
「絶対に。」
「そっか。それじゃあ、その、誰が死んじゃうかとかって決まってるの?」
「うん。決まってる。」
「そうなんだ。えと、その、それは......私の身近にいる人?」
自分でもかなり最低な事を聞いていると思う。
私は今、命の取捨選択をしている。
私の質問に、死神さんは首を横に振る。
「え?」
予想外の答えに、そんな疑問符が喉から漏れる。
それを見て死神さんはまた笑う。
「そんなに驚いた?」
「だって、こう言うのって、大体大切な人が代わりに死んじゃう物だし。」
「そうだね。本や映画みたいな創作物ならそうだろう。でもこれは現実だ。だからそんな意地悪な交換条件は求めないよ。まあ、この状況が現実かと言われるとなんとも言えないけどね。」
そう笑いながら言う。
少しだけ肩の荷が降りたような気がして、でもすぐに、それは決して良い事ではない事に気付いて、罪悪感と自責で胸がずきりと嫌な痛みを訴える。
とは言えやる事は決まった。
指をボタンの上に添える。
後は少し力を加えれば、私はこの部屋から出る事が出来る。
そのせいで知らない誰かが犠牲になるけれど、それは私の知る所ではない。
だから押してしまおう。
それで終わりだ。
「......っ。」
「押さないの?」
「押すよ。押すけど......」
言葉とは裏腹に、身体は動かない。
「怖いの?」
怖いのだろうか?
行為そのものは、何も特別な事ではないのに。
「もしも......」
「ん?」
「もしもこのボタンを押して、私が外に出たら、生き返ったら、ここでの事って覚えていられる?」
少しだけ間が生まれた。
今までずっとニヤけた顔が張り付いていた死神さんの顔から少しだけそれが剥がれる。
それから「どうだろう?」と彼は笑った。
その反応を見て私も少し考える。
それから一つ深呼吸をして
カチリッ
ボタンを押した。
やってしまえばとても呆気ない。
それでも、そんな簡単な作業にかなりの体力を使ったようで、私はその場に座り込む。
「お疲れ様。これでここから出られるよ。」
「うん。」
「最後に聞いて良いかな?」
「なに?」
「最後の質問にはどんな意図があったのかなって思ってね。」
「思ったの。」
「何を?」
「私の人生は誰かの犠牲のお陰で成り立っている事を忘れたくないなって。」
私の返答を聞いて、死神さんはまた笑う。
それはもうたくさん笑う。
「そんなに面白い?」
「ふふ......いや。まるで物語の主役みたいな事を言う物だからつい。」
「それで、ボタン押したけど?これからどうすればいいの?」
「ああ、ごめんごめん。すぐに出すよ。それじゃあ忘れ物はない?」
悪戯っぽく笑いながらそんな冗談を言う死神さん。
それに私は素っ気なく「ない。」とかえす。
それに「そう。」と頷くと彼は指をパチンと一つ鳴らす。
それを合図にしたように、私の視界は真っ暗になった。
目を開けると病室の天井だった。
すっかり慣れ親しんだベッドの感触を背中で感じながら、まだハッキリとしない目で周りを見る。
目に入るのは喜ぶ大人達。
みんな知っている顔だ。
ぼうっとする頭で考える。
何があったんだっけ?
何か夢を見ていた気がする。
なんだったのだろうかと考えて、無意識に自分の胸に手を当てていた。
ドクンドクンと温かな鼓動を感じる。
それで一つ思い出した。
そう言えば私、心臓の病気だったんだ。
それで別の人の心臓を移植する手術をする事になって......
視界の端にある電波時計に映る日付けを見た。
私の覚えている数字には七足されていた。
「っ......ふぅー。」
少し動いただけなのに強い疲労を感じて起こしていた身体から力を抜き、目を閉じる。
そうして思い出す。
他人の心臓を移植する事に、私は実のところ否定的だった。
手術が怖いと言うのもあったし、誰かの命を貰ってまで生きたくないなと思ったのだ。
でも、不思議と今はそこまで嫌な感じはしなかった。
「終わってみたら、案外呆気ないな。」
まるでボタンを押すみたいに。
そんな事を思いながら、私はもう一度眠りについた。
ボタンを押さないと出られない部屋 鳥の音 @Noizu0
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます