シスターになりたい!(仮)

エテンジオール

第1話

「あなたはとってもいい子ですね」

「涙が出るのは、あなたが優しい証拠ですよ」

「今日の晩御飯は、あなたの好きなシチューですよ。一緒に作りましょう?」

「つらいことも悲しいことも、無理に覚えていなくていいんです。抱え込まなくていいんです。あなたが笑っていれば、それだけで私は幸せです」


出会ったとき。わがままを言ったとき。家族と喧嘩をしたとき。トラウマを思い出し夜中に泣き出したとき。ふとしたとき。どんなときでもシスターはあたしを見守ってくれていた。優しく、温かくしてくれた。居場所を、家族をくれた。


あたしはそんなシスターが大好きで、憧れていて、そして………………






出会いは、ひどいものだった。

家無し親無し金無し戸籍無し。無い無い無いの無いもの尽くしだったあたしには名前なんて立派なものも無い。物心が着く前は詐欺師に言われるがままに手伝いをし、ある程度走れるようになったら道端の不用心なやつから財布をスったり露店で食べ物を盗んだりしてた。

その日はそう、果物を盗んで齧りながら逃げてたんだ。追いかけてくる果物屋のおっちゃんがなかなかしつこくて、逃げながらスリもしてたらいつの間にか数人に追いかけられるハメになってた。あんまりにもしつこいからおっちゃんにスった財布からとった小銭をお代替わりに投げて、他の奴らには半分くらい中身抜いて返してやったんだ。みんな変なところに投げればちゃんと取りに行くんだからチョロいもんだ。


そしてその中に一人だけ、自分の財布が投げられても目もくれずにあたしを追いかけてくる人がいた。


普通に考えれば、スられて財布がちゃんと戻ってくるならスリのガキなんか気にせずにそっちに向かう。いや、確かにあたしは手癖が悪いからちゃんとは返していないけどそんなのやられた側が中身を確認せずに見分けることなんかできっこない。追いかけられたガキが逃げることを優先して財布を返したと思うようにふるまっていたんだから、あたしにスられるのが二回目でもなければ追いかけられるはずがないんだ。


なのに、その人は追いかけてきた。


亜麻色の長い髪を揺らしながら、すれ違う人々に謝りながら、走りにくいであろうかかとの高い靴で。


その動きは、スリに慣れているあたしのそれよりも少しだけ早く、その距離はみるみるうちに縮んでいき。

そして、焦ったあたしが足元不注意で転んだことをきっかけに完全なゼロになった。


地面にぶつかる直前に引っ張られた服。柔らかい生地に包まれる感覚。ふわりとした花の香り。そして訪れる痛みのない衝撃。


その人は、修道複に身を包んだ女性は何故かあたしの体の下にいた。







シスターイヴ。それがその人の名前だった。町はずれにある寂びれた教会に一人で住んでいる修道女で、成人したのは数年前。もともとは司祭をしていた神父の元で共に運営していたが、教会の地下で非道な人体実験が行われていたことが発覚したことで成人翌日に神父が失踪、世間からの厳しい目の中一人残り来る日も祈りを捧げていたらしい。


「あなたを育み導き、そしていつかここから旅立つ姿を見送る。それが私の役目のような、そのために私は生まれてきたような、そんな気がしたのです。あなたさえよければ、私に育てられてくれませんか?」


あたしをかばって土まみれになり、あたしの代わりに果物屋のおっちゃんに謝り、みんなに財布の中身を返し、孤児なんかの体を拭くためにわざわざお湯を沸かして自分の体は井戸水で拭いた彼女は、イヴと名乗った彼女は柔らかい笑みを浮かべながらあたしに手を差し出した。


「この手を取ってくれれば、私はあなたを愛し、守りましょう。あなたがこの先生きていくうえで困ることがないように、全力で尽くしましょう。どうか、私と共に暮らしてはくれませんか?」


信じていいのか、悪いのかはわからなかった。それでもなぜだか信じたい気持ちになった。それはきっと彼女が、シスターが初めてあたしを人として見てくれたから。シスターが唯一あたしのことを道具として見なかったから。だからあたしは、震える手で、シスターの手を取ってしまった。


「ありがとう、とてもうれしくおもいます」


シスターは微笑み、そしてあたしに名前を聞いた。今まで誰にも聞かれたことがなかった名前を。今まで誰にも呼ばれたことのなかった名前を。今まで一度も存在しなかった名前を。

ないことを伝えると、シスターはこう言った。


「なら、あなたは今日からガラテアと名乗ってください。乳白色の肌を持つもの、という意味の名前です。あなたの綺麗な肌にぴったりの名前ではないでしょうか」


実は私の昔の名前でもあるんですよ、とシスターはわらった。

こうして名無しの孤児はガラテアになった。





「ガラテア、今日はいつもよりお天気がいいので一緒にお買い物に行きませんか?」


スリで生計を立てていたことを理由に外出を渋るあたしを町に連れ出し、あたしが果物屋のおっちゃんに謝るのを隣で見守り、謝ったら褒めてくれたシスター。その後しばらく果物屋で定価より多めにお金を払っていたことを知っている。


「ガラテア、町で流行っている"にこみはんばーぐ"?というものを作ってみたのですがたべてくれませんか?」


普段パンと薄い味付けのスープばかりしか食べらえていないあたしのことを気に病んで、毎晩遅くまで内職してためたお金で一人分のご馳走を作って食べさせてくれたシスター。教義でハンバーグは食べれないなんて言って全部あたしに食べさせてくれたけど、ほんとはそんな教えはないってことくらいあたしも教えてもらっていた。


「あらガラテア、そんなに目を赤くしてどうしたんですか?……町の子供に孤児だと馬鹿にされた?……私がふがいないばかりに悲しい思いをさせてしまったみたいですね……ごめんなさい……」


あたしが昔スリで生計を立てていたことを知ったガキ大将に悪口を言われ、事実だから何も言い返せないままシスターのことまで悪く言われて泣いて帰った日、何も悪いことなんかしていないのに泣きながら謝ってきたシスター。ふがいないなんて自分のことを悪く言うけど、あたしを引き取ったときにみんなから悪く言われないように町中で奉仕活動をして、あたしを見守ってくれるようにお願いして回っていたことを知っている。


「ガラテア、確かにあなたは昔スリをしていました。でも、みんなに謝り、償い、許してもらったのだから必要以上に気に病まなくていいんです。これから先、もう二度と同じことをしなければ、真面目に生きていれば、きっと神様はあなたのことを許してくれますよ」


あたしの昔の行いのせいでシスターに迷惑ばかりかけていることを謝ったときにやさしく抱きしめながら許してくれたシスター。


「大丈夫、あなたにひどいことをするような人はここにはいませんよ」


夜泣きしているあたしの手を握り、一晩中背中をさすってくれたシスター。


「ガラテアがご飯を作ってくれるなんて、とてもうれしいです。……あら?あなたのお皿の上のは……おいしいですよ。私は幸せ者ですね」


初めてご飯を作ったときに、おいしいとほめてくれたシスター。あたしの分の焦げた料理を、おいしくないから食べないでと言っても食べてしまったシスター。そして、あなたが作ってくれたものなら何でもおいしいとわらったシスター。


いろいろなことを教えてくれたシスター。

導き、はぐくんでくれたシスター。

優しく抱きしめてくれたシスター。

隣に寄り添ってくれたシスター。

大好きなシスター。

憧れのシスター。

あたしの姉であり、母。

かけがえのない家族。

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