第92話 マイストール共和国





「孔明。キミが指針を示してくれたことで、迷っていたわたしの心も、今決まったぞ」

 おもむろにシャルルが口を開いた。

「わたしは―――いや、マイストールはロマノフ帝国より独立して、マイストール共和国を建国することにした」

 突然の事に、一同がざわめいた。

「孔明。キミが帝国を牛耳ろうとしているペテロに対抗するには確固たる基盤が必要なはずだ。微力ではあるがわたしはキミの支えになりたいのだ。それに、小さな地方都市ではあるが、マイストールが独立して、矢面に立てば、ペトロに不信を抱いている領主の中には、わたし達に手を貸そうとしてくれる者もいるかもしれない。小さなうねりが、やがて大きなうねりになる。キミ達が単身では成せないことも、こちらに付く諸侯が増えて行けば、不利だった流れも逆転出来るかもしれないと思うのだ」

 シャルルの弁を聞いて葵はため息越しに微笑んだ。

「ロイ。キミも一廉の戦略家になったね」

「いいアイデアだっただろうか?」

 シャルルは照れ笑いを浮かべた。

「今思い付く限りの最高の戦略だよ」

 でも、と葵は口調を変えた。

「ぼくに加担することで、マイストール領に暮らす十二万人の人達に、戦禍が降り注ぐかもしれないんだよ」

 葵がそう言うとシャルルは小さく笑った。

「可笑しなことを言うのだなキミは」

「可笑しなこと?」

「そうだよ。キミはさっきこう言ったんだよ。エルミタージュに戦禍を持ち込んでもペトロ大公を討ちたいと。違ったかな?」

「ああ。確かにな……」

 言葉に詰まった葵の肩にシャルルが手を置いた。

「意地悪言って済まなかった。それは最悪を想定した話だよな。キミがこのんで戦禍を巻き散らすわけはないものな」

「ありがとう、ロイ。―――それで建国の準備は何処まで進んでいる?」

 シャルルは苦笑いを浮かべ、両の掌を見せた。

「それがまだ、何にも決まってないんだ。どんな国にするか、キミに相談しようと思っていたんだよ。はっきりしていることは、わたしが国王になる国は作らないと言うことだ」

「だから共和国なんだな」

「いつだったか、キミが話してくれただろう? 国民全員が参加し、選挙なる物によって、国の代表を決める孔明の世界の制度のことを。わたしもそれはいい考えだと思ったんだ。大切な取り決めをする時、一人で決断するんじゃなく、みんなで考えて一番いい方法を選択する、そんな政治姿勢が、今のこの国には必要じゃないとか思うんだ」

 葵はシャルルの慧眼に感服した。

「ロイ。キミはきっといい政治家になれるよ。ただ、懸念材料が一つある」

「何だい、それは?」

「共和国を名乗ったことで、諸侯がそれに賛同するかどうかだ」


 表向き諸侯は、帝国の威を借るペトロに恭順しているが、力ある者が反旗を翻せば、シャルルが言うように流れは変わるはずだ。

 だが……。

(この世界に、共和制を掲げるのはマズいかもしれない)

 大いなる波紋をもたらすことは間違いない。

 しかし、果たしてそれが功を奏するかどうか聞かれたら、逆にこちらが四面楚歌になる可能性の方が高かった。

 共和国を名乗ると言う事は帝国がこれまで施行してきた専制君主を否定するというものだ。

 つまり世襲制を旨として来た諸侯の制度そのものをくつがえす事になるのだ。

 そんな国家の存在を諸侯は認められるのだろうか。

(そっぽを向くだけならまだマシだ)

 所領にその思想が波及するリスクを恐れ、却ってペトロ大公との結束を強め、マイストールを敵対勢力と捉えてしまうかもしれないのだ。

 諸侯を完全に敵に回しては、マイストールに勝ち目はなかった。

 怪訝な顔を見せるシャルルに、葵がいだいている、その懸念を告げた。


「ああ、そう言うことかぁ……」 

 シャルルも大筋において理解を示した。

 行き詰ったかと思えた時、

《パウエル公爵に相談されてみてはいかがですか?》

 スルーズの助言に葵は一筋の光明を見た気がした。



 ―― 共和国の建国か ――

 ハルを介してシンクロ魔法で交信した葵は端的にその話をした。 

 ―― 確かに冒険だな。領主と言う者は、自国の秩序は己が握っていると信じて疑わないものだからな。民意によって領主が選ばれる国家が出来れば、キミの懸念通り、自国への影響を恐れて排除に転ずる可能性は高いな ――

〈共和国が成立しても、領主と言う立場は変わらないのですが、立法・司法・行政に介入出来なくなるのです。そこを良しと出来るか出来ないか……そして領主と言えども、罪を犯せば、法の裁きの下、等しく断罪されるのです。それが君主国家と共和国との違いなんです〉

 ―― う~ん……やはり難しいだろうな。帝国の法律とは別に、それぞれの所領ごとの法律はあるが、領主はどこも治外法権だ。領主の横行が帝国に仇なさない限り、帝国議会もそれは黙認しているしな ――

〈やはり、難しいと思われますか?〉

 ―― しかし、そうとも言い切れないぞ。今や、帝国におけるわたしの立場は最悪だ。我が領地の外にはロマノフ帝国軍が布陣して、妙な動きをしないようけん制している ――

〈巻き込んでしまいましたね。申し訳ありませんでした〉

 ―― キミが謝ることじゃない。わたしの意志で行動した結果だ。だからわたしは、マイストールが独立したら、真っ先にそれを支持し、呼応するつもりだ。そしてゲルマン王国国境を守護するスワトル・ピーター・レブリトール辺境伯も親・アナスタシア派だ。彼もまたわたしのように息子の妻に迎えようと願っていた男だから、ヤツもきっと賛同してくれると思う。諸侯の中から一つ二つと名乗りが上がると、どうなると思う? ――

〈後れを取りたくないと、諸侯が競って賛同を示す―――と考えていいのでしょうか?〉

 ―― わたしも同意見だ。後は、ペトロが何処まで先を見据えて、手を打っているかだな。それと懸念はもう一つ。内乱状態のロマノフ帝国に、好機とばかり攻め込んでくる可能性がある ――

〈ゲルマン王国ですか?〉

 ―― ああ、今回のエルミタージュの一件にも、裏で大きく関わっているようだからな。鳴りを潜めてはいるが、アルビオンも油断ならん ――

〈スワトル辺境伯とパウエル公爵様がぼく達の味方についてくれるのなら問題ありませんよ。こちらには空間転移魔法使いとシンクロ魔法使いがいますから、如何なる時も出向くことが可能です。それに、ゲルマン王国にもアルビオン王国にもちょっとしたコネがあるので、きっと役に立つと思いますよ〉

 

 パウエル公爵との交信を終えた後、葵はシャルルに会話内容を話した。

「ロイ、どうするかはキミが決めることだ」

「分かった」

 シャルルはシュバルツの森にいる皆をアナスタシアの墓標の前に集めた。

 アナスタシアの墓に花を手向けた後、シャルルは揺るがない眼差しを葵達に向けた。

「アナスタシア皇女殿下にもご報告したよ」

「それでは」

 問い掛ける葵に、シャルルは大きくかぶりを上下させた。

「シャルル・ロイ・マイストールは告げる! ロマノフ帝国領マイストールは、本日を以て、マイストール共和国として独立することを、ここに宣言する!」

 葵は久しぶりに笑顔で拍手を打ったが、シャルルの背後のアナスタシアの墓標に目が止まった瞬間、高まりかけていた心が急速に冷めた。

 拍手を止めた葵の背中を、スルーズがさすった。

《葵様。マリー様の仇を取りましょうね》

 葵は横に並ぶスルーズに作り笑いを見せた。

〈ああ。必ず取るよ〉

 アナスタシアがそれを望まないのはどちらも十分承知している。

 それでも今必要なのはそれしかなかった。葵にとっては。 

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