第82話 アナスタシアの覚悟





「マリー様……なんでこんなことに…」

 アナスタシアが閉じ込められている牢獄塔の最上階に、転移魔法でビルヘルムが姿を見せた。

 手枷されたアナスタシアに目を落とし、ビルヘルムは目を潤ませた。

「ビルヘルムか。そなたはペトロ大公に立つ側か?」

 ピルヘルムは俯いた。

「家族を拘束されておりまする……」

「そうか……迷惑をかけたな」

「とんでもございません。側近でありながら皇帝陛下を守れなかったばかりか、その手先になってしまい……亡き陛下にも顔向けできません」

「そなたは父上様を殺害した犯人を知っているのか?」

「黒幕は言わずと知れたペトロ大公ですじゃ。だが、実行犯となるとわしにも分かりません……。ただ…」

「ただ?」

「陛下は五年ものあいだS級シュバリエを保持していた強者つわものにございます。そのお方を倒すにはそれ相応の剣技を持った者でないと太刀打ち出来ませぬ」

「だろうな。ところで何用だ? そんな話をしに来た訳ではないのだろ?」

「はい。マリー様を別の場所に移動するよう命じられたのです」

「何処へ連れて行く?」

「ルシファー隔離施設ですじゃ」

「……分かった。好きにするが良い」

 アナスタシアは覚悟を決めていた。この機に乗じて、自分を排して立太子を望む者は少なくないのだ。

 トーマス亡き後、最年長の皇子となったミハイルには、野心とプライドがあった。アナスタシアもそれは知っていたが、それが父の殺害に関与する程の物とは考えてもみなかった。


「マリー様……お逃げなされませんか? わしはやっぱりこのままあの男のたもとにしがみ付くのはイヤですじゃ」

「家族が捕まっているのだろ?」

「致し方ございませぬ」

「無理しなくていいぞ。それにわたしも逃げられないのだ。ハモンドとルーシーが囚われの身となった。わたしが逃げれば二人は殺害される」

「相変わらず、手段を選ばぬお方じゃ……」

 ビルヘルムは悔しそうに顔をクシャクシャにさせた。

「さあ、向かうぞ」

 アナスタシアの方が急かした。こんな窓もない牢獄塔にいるよりは、隔離施設の方がよっぽど居心地は良かった。それに……。

(キミと共にルシファーと闘った場所だからな)

 一瞬アナスタシアの脳裏を葵の柔和な笑顔がよぎった。



 ビルヘルムの転移先は隔離施設の二階にある談話室だった。

 ここはガラス窓がふんだんに使われ、光射し込む憩いのスペースとしても使われていた。

「マリ―来たか」

 第一皇子のミハイル・イワンが数人の配下と共にいた。

「兄上様、御出おいででしたか」

「兄上だと? 白々しい……。わたしはお前を妹などと思ったことはなかったぞ。いつも父上はわたしのことより、マリー・マリーと……。どれほどお前を憎らしいと思ったか。おまえだって心の底では、わたしを嫌っているだろう? ……まあ、今はそんなことどうでもいい」

 ミハイルは光り射す窓に立った。

「マリ―来てみろ」

 と窓の外を指さした。

 ミハイルの兵士達が立ち並ぶ隔離施設の門の前に、数百人の市民が集っていた。

「おまえを慕い集まって来たようだ。まだまだやって来るぞ」

 ミハイルが見つめるその向こうにも、人々の長蛇の列が続いていた。

「ルシファー隔離施設に置いて、マリーの処刑が断行されると、街中に触れて回ったのだ」

「わたしをここで処刑なされるのですね」

「えらく落ち着いているな、マリー。相変わらず大したものだ。おまえは昔からイザという時には肝が据わっていたよな。わたしはいつも陛下からお前と見比べられて叱咤されてばかりだったよ」

(兄上は何が言いたいのだろう?)

 うすら笑いを浮かべるミハイルの表情からは、その真意は読み取れなかった。

「いいことを教えてやるよ」

 言いながらミハイルはアナスタシアに近付き、従者より受け取った腕輪を、手枷をずらして彼女の右腕にはめた。

「何をなされるのですか?」

 ミハイルはそれには答えないでニヤリとした。

「もうすぐ孔明達がここに来る。きっとハモンドとルーシーも一緒だ」

「どういうことですか?」

「お前達の中にゲルマン王国の転移魔法使いがいるのは知っている。そいつが孔明達と一緒に、牢獄にいるハモンドとルーシーを連れ出してから、ここにやって来るはずだ。マリーを助けるためにだ」

 葵の作戦はことごとくペテロに看破されていた。その事を思うと、葵がその筋書き通りここにやって来たとしたら……。

(周到に準備された罠の中に飛び込んで来ると言うのか?)

「そんな顔しなくていいよ。わたしは何もしないさ。わたしはね」

 意味深な表現だった。孔明が係わる事だけにアナスタシアは捨て置くことは出来なかった。

「兄上様! わたしは…!」

 と言いかけた所で、ミハイルが掌を向けてアナスタシアの言葉を止めた。

「今、お前の右手にはめた腕輪は、何か分かるか?」

 ミハイルに言われアナスタシアは腕輪を眺めた。

(………!!)

 以前スルーズが腕輪を着けられ、自分の意志に反してシャルルの兄を殺したと言っていた事を思い出した。

(まさか……!)

「ほお……いい反応するな。どうやら知っているようだな、この腕輪について」

 アナスタシアは右腕にはめられた腕輪を一瞥した。

「兄上様……! まさか……! 契約の腕輪を使ってわたしに孔明を殺させるつもりなのですか?」

「孔明だけなんて、そんなまどろっこしい物は使わない。そもそもそれは契約の腕輪ではない。憎愛の腕輪だ」

「憎愛の腕輪?」

「そうだ。契約の腕輪はミッション件数分契約しなくちゃならないが、憎愛の腕輪は至ってシンプルだ。愛する相手にだけ刃を向ける腕輪だ。ミッションの終了はない。好意を寄せる相手が傍に来ると体が勝手に反応して、体力の限界が来るまで殺戮を繰り返す、恐ろしい魔道具だ」

 アナスタシアは息を飲んだ。

「お前は愛するものを自らの手で葬り去るのだ。ルーシーはともかくハモンドの剣技はお前と互角だったよな。だが心配しなくていい。ヤツは怪我をしているからいつもの半分の力も出ないさ」

「何て卑劣な……」

「怒ったかい? それでいい」

「兄上には誤算があります。わたしはスルーズに勝てない。彼女がわたしを止めてくれます」

「そう言うこともあろうかと……こういうものも用意してある」

 ミハイルは従者からもう一つ腕輪を受け取ると、今度はアナスタシアの左手にはめた。

「何をなさいます!」

「強化の腕輪だ。相手が自分よりも強いと腕輪が判断したら、被験者の潜在能力をマックスまで引き出す腕輪だ。これでお前はスルーズにも勝てるんだよ」

「兄上様! 一体何をなさりたいのですか?」

 ミハイルは相変わらず掴み処のない笑みを浮かべていた。

 アナスタシアの苦悩する様子を楽しんでいるかのようだった。

「本題はここからだ。孔明とスルーズ、その一派を倒した後、お前には一階に移動してもらう。おまえの姿を見てみんなは歓喜にむせぶことだろうね。アナスタシアコールが鳴り止まない。シュプレヒコールもあるだろう。そんな中で、兵士達が鉄柵を解放すると、どうなるだろうね」

 アナスタシアはガラス窓より階下を見下ろした。兵士達が見張る鉄柵の前には、先ほど見た時の数倍の市民が集まっていた。

「まさか、兄上様……」

「そのまさかだよ。お前が愛する街の人達が、あんなに集まっているんだよ。おまえの装着している憎愛の腕輪は、よだれを垂らして喜ぶだろうね」

「この……外道が……」

 アナスタシアはミハイルを睨みつけた。

 だがミハイルは別段怒る様子もなく、笑って見せた。

「お前は体力の続く限り愛する街の人達を撫で斬りにするんだ。そして彼らは目を覚ます。『これがアナスタシア様の正体だったんだ。だから処刑されようとしていたんだ』って納得するだろう。おまえの人気が地に落ちた所でわたしの出番だ」

 ミハイルは刀を抜くとアナスタシアの首に刃を当てた。

「わたしがお前を斬る」

 アナスタシアは少し笑った。

「申し訳ありませんが、兄上の剣技ではわたしを斬れませんよ」

「それは分かっている。そこでこの憎愛の腕輪のもう一つの能力がわたしに味方するのだ」

 アナスタシアは黙ってミハイルの言葉を待った。

「愛するものを切り、憎む者には手が出せない。そう、お前は憎むべきわたしを斬る事が出来ないのだよ。それがこの忌まわしき腕輪の正体だ。アハハハハハハハハ」

 ミハイルは勝ち誇ったように笑い声をあげた。

「軍師を名乗る孔明も、我が祖父ペトロ大公の前では赤子も同然。何故おまえを直ぐに処刑しなかったかようやく分かっただろう? 人望篤いお前をおとしめて処断することで、わたしは英雄になり、ロマノフ帝国皇帝として皆に認めさせる事が出来るのだよ」

 ミハイルはアナスタシアの手を取った。

「マリ―、我が妹よ。そろそろ舞踏会の開催だ」

「止めて! 止めて、兄上様!」

 ミハイルはアナスタシアの手枷を断ち切ると、剣を手渡した。

 剣を握ったアナスタシアは真っ先に向かったのはビルヘルムだった。

「お願い逃げて、ビルヘルム!」 

 だが、その願いも空しく、アナスタシアの疾風の剣は、ピルヘルムの胸を貫いていた。

「マリー様……」

 ビルヘルムは崩れるように倒れた。

「ああ……あ……ああ……」

 アナスタシアの心は崩れ落ちそうだったが、その肉体は明らかに次の獲物を探していた。

 ミハイルが驚きと笑みを浮かべた複雑な顔でアナスタシアに近付いた。

「マリ―、流石さすがに鋭い剣捌きだな……!!」

 だが次の瞬間、ミハイルの顔が恐怖で引きつった。 

「……グハッ!!……何故だ?!」

 アナスタシアの剣がミハイルの胸を一突きにしていた。

「ば、バカな……。わたしはお前に……」

 アナスタシアの黒い瞳から止めどなく涙が溢れ出た。

「違います……。あなた様を…兄上様として、お慕いし、そして愛しておりました…ミハイル兄さん……!」

「はは……」

 ミハイルは苦笑ともつかない笑みを浮かべ、天を仰いだ。

「わたしも祖父様も……お前のことを……見誤っていた……ようだな。まさか、孔明にではなく……マリーにしてやられるとは……」

 ミハイルは仰向けに倒れた。

「ミハイル兄さま……。お願い誰か……わたしを止めて」

「く、来るな」

「逃げよう」

「殺されるぞ」

 目の前の惨状を見て、ミハイルの配下の者は互いに見合った後、我先にと部屋を飛び出して行った。

 ふと窓の下に目線が行った。

 異空間が現れ、そこから葵達が飛び出して来た。

 アナスタシアは頭の中が真っ白になった。

(来るな! 来ないでくれ)

 そしてそれは一瞬だったが、二階を見上げる葵と目が合った。

 愛おしい思った。

 だが、アナスタシアの肉体は真逆の反応を示した。

 剣を構え、葵の体を切り刻む、喜びにも似た衝動に震えていた。

(このままでは、わたしは葵を殺してしまう)

 アナスタシアは腕輪に剣を刺そうとしたが出来なかった。自らの首に刃を当てようともしたが、憎愛の腕輪がそれを拒絶した。

(命を絶つことも出来ないと言うのか?)

 葵とは目が合い、ここにいる事は知られてしまった。

 もうすぐ葵が来る。

(どうすればいい)

 アナスタシアは塞ぎ込んだ。

 とその時、人の動く気配を感じた。

 倒れているビルヘルムが仰向けに寝返った。

「マリー様……これを」

 血まみれのビルヘルムが差し出したのは、いくつかの魔石が散りばめられた短剣だった。

 瀕死のビルヘルムは二言・三言言葉を告げると、アナスタシアに剣を手渡して、事切れた。

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