第76話 ペトロと葵の駆け引き





「葵様らしくないですよ」

 後から付いてきたスルーズが拘留施設を出た所で葵を捕まえた。

「分かっているよ。でもマリーはいつも自分を粗末に考える。それに腹が立ったんだよ」

 スルーズは小さく笑った。

「葵様は本当に感情が豊かになられましたね」

「なんだよそれ」

「だって、葵様がそんな風に怒るなんて、初めてじゃないですか」

「自分では分からないよ……そんなこと」

「それだけマリー様のことを大切に思われているのですね」

(ああ、そうなんだ……)

 そしてスルーズにそれを言わせた事を葵は深く後悔した。

「大丈夫ですよ、わたしは」

 言いながら体をけたスルーズの視線の先に、少し俯き加減のアナスタシアの姿があった。

(何か話さないと)

 思いはあるが直ぐに言葉は出なかった。

 もたもたしているとスルーズが背中を押した。

 よろついた葵はアナスタシアの前で立ち止まった。


 少しの沈黙の後、

「心配させてしまったのだな」

 戸惑ったようなアナスタシアの第一声だった。

「わたしは皇女として生まれ、常々皆が幸せになるよう考え生きてきた。その中に自分を守るとか助けるとか言った考えが、わたしにはなかったのだ。自分を思う余裕なんて何処にもなかったと言った方が正確かもしれない。だから……その……」

「分かっているよ」

 葵はアナスタシアを抱き寄せた。

「自身を粗末にしている訳じゃないことは、ぼくにも分かっているよ。今までその方法を取ってこなかったから、マリーにはその習慣が身についてないだけなんだ。だけど今のままではいつかきっと、マリーは命を危うくする時が来る、そんな気がするんだ。ぼくはそれが怖い。キミを失うのが怖いんだよ、マリー」

 葵は頬に寄せるアナスタシアの黒髪を何度も撫ぜた。

「ぼくは大切な人を失いたくないんだよ。もう二度と」

「ごめんなさい、葵」

 アナスタシアの漆黒の瞳が葵を見据えた。

「葵。わたしもキミを失いたくない気持ちは、誰にも負けないと思っている。そしてわたしを思うキミの気持ちも、きっとそれと同じなのだな」

「その通りだよ。分かってくれたかい?」

「分かった。わたしだっキミを悲しませたくないのだぞ」

「マリ―」

 スルーズがいなかったら口づけていた所だろう。

 だがそれは、スルーズが邪魔だと思う気持ちとは違った。

 アナスタシアを愛する所も、スルーズには見届けて欲しかった。

 そしていつか、スルーズの愛する男性と共に、カフェ・ド・マイストールで語り合える日が来る事を、葵は切に願っていた。



「ここにおられましたか」

 宮殿の衛兵が五人、アナスタシアと葵を見止めて近づいた。

「何用だ」

 男たちはアナスタシアの前に膝を落とした。

「わたしはペトロ・スタール宰相の衛兵長を務めるシアン・ボルボアでございます。敵国のテロリストの捕縛の報を受け、容疑者達を直ちに保安庁にて取り調べるべく、身柄の確保に参上いたしました」

「ご苦労。だが、テロリストの尋問はわたしが直々に執り行うと、宰相に伝えて置いてもらいたい」

「それはなりません」

 シアンが強い眼差しでアナスタシアを見上げた。

「テロリストの中にはゲルマン王国の王女もいると聞き及んでおります。国内犯罪ならいざ知らず、これは高度で重要な国際問題なのです。保安庁にお任せくださいませんか」

「ならぬ」

 眉一つ動かさないアナスタシアは毅然とした態度だった。

「あの者達の身柄はこのアナスタシア・マリー・ロマノフが引き受けたのだ。宰相にもそのように伝えて置いてくれ」

「アナスタシア皇女殿下! これはペドロ宰相がトップを務める保安庁の権利管轄にございます。いくら皇女殿下とは言え、ペドロ宰相の管轄内に踏み込まれるのは、越権行為にあたりますぞ」

「心配ご無用」

 そう言うとアナスタシアは、葵が差し出した書簡をシアンの前で開いて見せた。

 それは皇帝ニコライの書状だった。

 ゲルマン王女のバレッタ・ハイネンの取り調べ及び一切の捜査権限をアナスタシアに委ねると言った内容だった。

「こ、これは……まさか……そんな時間は……」

 シアンの顔が青ざめていた。

「そんな時間? 何のことだ?」

「あっ、いや、失礼いたしました」

 シアンは去り際に葵をキッと睨んで背中を向けた。

 彼らが走り去った後、葵は苦笑して見せた。

「シアンとかいう男に、恨みを買ったみたいだね」

「でも、キミの思惑通りだったんだろ?」

「まあ、大筋においてはね」


 そうなのだ。ペトロ大公が動き出すのは目に見えていた。保安庁の権限を持ち出されてはアナスタシアでも従わざるを得なかった。

 ただ一人、保安庁の権限から治外法権を行使できる御仁がいた。

 言うまでもない。皇帝ニコラスだ。

 だから葵は先手を打って皇帝ニコラスの自室を訪れ、ゲルマン王国・王女バレッタに関わる管理権限を全てアナスタシアに一任すると言う、委任状をしたためてもらわなければならなかった。

 とは言っても、普通の行動では、宮殿に入るまでにペトロの息の掛かった者に、阻止されることは目に見えていた。

 あれだけの騒ぎがあったのだ。

 当然ペトロの耳にも届いている筈だ。いや、悪く言えば先導者だったかもしれない。

 葵達への監視の目も、クモの糸のように張り巡らされていただろう。

 迂闊には宮殿にも向かえなかった。

 とは言えテロリスト達を野放しには出来ない。

 宮殿から離れた、一般人が取り調べを受ける平民街の拘留施設を選んだのも、一時的でもペトロの権限の行使から逃れるためだった。

 民間の拘留施設に入ると、拘束したテロリスト達を完全監視の部屋に抑留すると、リンダに施設内と施設周辺の監視をさせた。

「施設内は大丈夫だが、建物の外には強力な魔法マナを持った何者かがいるよ。明らかにこちらを監視しているよ」

 想定内の事だった。

 次にスルーズには施設職員を読心魔法で調べさせたが、ペトロの意志を感じさせる者はいなかった。

 そこでキーポイントとなるのが、魔導師長すら把握していないハルの転移魔法の存在だった。

 出来るだけ早急に行いたかった。

 テロリスト達の尋問を行う前に、誰も立ち入れない部屋で、葵とアナスタシアはハルの転移魔法で、宮殿内のアナスタシアの部屋に移動した。

 転移魔法は高度な魔法なので、三人の同時移動は、十一歳のハル一人の力ではうまく制御する事は出来なかったが、葵の力が加われば問題はなかった。

 それに転移魔法は一度行った場所でないと行けないのだが、アシストする葵がアナスタシアの部屋に入った事があるので、それも問題はなかった。

 アナスタシアの部屋は皇帝自室のすぐ隣だった。

「父上様、ペドロ大公にはお気をつけてください」

 アナスタシアはニコラスに「ペトロに二心あり」と耳打ちしたが、ニコラスはにわかには信じられない様子だった。

 それでも娘・アナスタシアの言葉である。

「心に留めておくよ」

 とだけ告げた。

 二十分ほどの時間で葵達は拘留施設に戻ってきた。

 探知魔法であれ、索敵魔法であれ、拘留施設内の情報は、たとえ大鏡であっても盗み見ることは出来なかった。

 何故ならあらゆる魔法を無効化するアンチ魔法のエリーゼがそこにいるからだ。

 テロリスト達への最初の尋問の後、魔法感知が出来ない事に焦りを覚えたのか、先に動いたのはペトロ大公だった。

 よもや、すでに皇帝ニコラスに手を回していたとは思わなかったであろう。衛兵隊長シアンの度肝を抜かれた顔がそれを物語っていた。

 

「さて、ここまでは手筈通りだ。葵、次はどう動くつもりだ?」

 アナスタシアの声が弾んでいる。葵がどのような策を立てるのか、楽しみにしている様子だった。

 彼女だけではない。ハモンドやルーシー、リンダや二人のバルキュリアの少女達までも、葵がどんな言葉を発するのか楽しみに待ち構えているのが分かった。

《皆様が座興ざきょうを楽しみにしておられますよ》

 スルーズが冷やかす。

「捕虜達をここに集めてくれ」

「全員をこの部屋にかい?」

 リンダは怪訝な顔で狭い室内を見渡した。

「それでどうするのだ?」

「ここは実績のあるギルバートに協力してもらうよ」

「ギルバート? 転移魔法か? 何処へ行くつもりだ?」

「マイストールのシュバルツの森だよ」

 アナスタシアとルーシー達は首を傾げたが、スルーズだけがニコリとした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る