第51話 スルーズの決断





 葵の目の色が変わった。

「アナスタシア様……!」

 アナスタシアを見つめる葵の横顔を見るのは、やはり辛かった。

 町娘に扮したアナスタシアは、女のスルーズが見ても愛らしいと感じた。

「来てくれたんですか……」

 葵の声が珍しく震えていた。

「刻限までに帰れなくてすいませんでした」

 アナスタシアは穏やかな笑みを浮かべ首を横に振って見せた。

「キミ達が無事ならそれでいい。ようやくスルーズに出会えたんだな。良かったな、孔明」

 アナスタシアの真実の声だった。スルーズと葵の再会を心から祝福しているのが分かった。

(この人もズルイ……これじゃ憎めないじゃないの)

「スルーズ……キミにはすまないと思っている。エルミタージュに帰って来てくれないか。これからも今まで通り孔明を補佐してやって欲しいのだ」

 一点の曇りもないアナスタシアの言葉だった。

 スルーズは頷かざるを得なかった。

「承知いたしました」

 すると、後ろに控えていたメリッサが、その場の空気を読みながら、スルーズの手を引いた。

「ちょっと、どういうことですか?」

 小声で話してきた。

 スルーズはメリッサの手を引いて皆と少し距離を取った。

「ごめんね。わたしはやっぱり、この人たちの所に帰るわね」

「わたし達を見捨てるのですか?」

 スルーズは大きくかぶりを振った。

「いつの日か、必ずわたしは帰ってくるわ。でもね、女王の座に付くつもりはないわ。だからあなた方の中で誰か相応しい人が女王になって欲しいの」

「スルーズ様……」

「ごめんね。確かにゲルマン王国は…今のハイネン王朝の治め方では近い将来きっとダメになってしまうわ。だからあなた方は今、力を蓄えていて欲しいの」

 必ず帰るから、とスルーズは念を押した。

「わたしのマスターの孔明様は、数ヶ月でロマノフ帝国に新しい風を起こしているわ。あの方はね、この世界を救済するために、異世界から召喚されたお人なのよ。きっと近い将来、孔明様がこの国にも新しい風を吹かせてくれる筈よ。その時まで待っていて欲しいの。必ず孔明様と一緒に、この国を変えるために戻ってくるから」

 メリッサはしばらくスルーズを直視した後、笑みを向けた。

「分かりました。スルーズ様」

「お願いできるかしら? 」

「分かりました。みんなにはそう伝えおきます」

「大丈夫? わたしからみんなに話した方が…」

「わたしはこれでもあの子たちの中で一番強いのよ。言い聞かせてやりますよ」

「メリッサ、ごめんなさいね」

《葵様、しばらくわたし達と距離を取ってくれますか?》

 メリッサから亜麻色の髪を取って、頭にバンダナを巻く時間が欲しかった。葵ならそんな説明は不要だろう。

〈分かったよ。視線がそちらに行かないよう、アナスタシア様には湖のウォーターフロントで新作のお茶を差し上げるよ〉

《新作ですか…? それわたしの分も…》

〈分かっているよ。ロゼの分は確保しておくよ〉

《ありがとうございます》

 通話を閉じると、スルーズはアナスタシアの死角になる場所でメリッサから亜麻色の髪を取った。

「時が来たら必ず戻って来るわ。約束よ」

「はい」

 メリッサはピンクの髪をバンダナで隠し終えると、駆け出した。

 途中で立ち止まったメリッサは、スルーズに大きく手を振った。

 スルーズはそれを見送って葵の所に戻ろうとしたが、大木の影にメリッサを窺う人影に気付いた。

 メリッサに矢をつがえるハモンドだった。

「メリッサ!!」

 スルーズはハモンドより先に剣を抜いて、メリッサの下に飛び出した。

 風を切る矢の音と同時に、スルーズはメリッサに命中する寸前の所で、飛来した矢を叩き落とした。

 甲高い金属音が木立こだち木霊こだました。

「何事だ」

 アナスタシアと葵が湖のきわから駆けて来た。

 メリッサは驚いた顔でどうしていいのか分からず佇んでいた。

「スルーズ様…!」

「早く行って!」

「でも…」

「早く!」

 スルーズが苛立った声を上げると、メリッサは躊躇ためらいながらも駆けだした。

 ハモンドが怒気を露わにして森から出てきた。

「スルーズ殿……、今のはバルキュリアでしたね」

 スルーズは沈黙した。

「親しくしてましたよね、バルキュリアと……」

 スルーズは答えなかった。

「どういうことなんですか?」

 そこへアナスタシアが血相を変えて駆けつけた。

「どうした! 剣を交える様な今の音は一体なんだ?!」

 スルーズは誰とも目を合わせないでいた。ハモンドだけがスルーズを凝視していた。

「何があったのだ!」

 アナスタシアはハモンドとスルーズを交互に見た。

 だがスルーズは何も答えなかった。

 ようやく葵とハルも到着した。

《ハモンドに、メリッサの正体を見られてしまいました》

〈……! まずいな……!〉

 流石の葵もすぐには答えを見つけられないようだ。

 ハモンドは敬愛する皇太子トーマスをバルキュリアから守れなかった事で自責の念を抱き、それがそのままバルキュリアへの憎しみとなっていた。

 アナスタシアも最愛の兄をバルキュリアに殺された事は言うまでもないだろう。

「何があったのだ! 答えろ! ハモンド! スルーズ! 」

 声を荒げるアナスタシアの傍に、シャルル達が駆け付けた。

 葵がスルーズの傍に駆け寄ろうとした。

(これ以上、葵様に迷惑はかけられない……)

 スルーズは決断するしかなかった。

 そして意を決したように顔を上げ、ガーデニングキャップに手を掛けた。

〈やめろ、ロゼ〉 

《葵様、ごめんなさい》

 スルーズはガーデニングキャップとサングラスを外した。

 肩まで伸びたピンク色の髪が風に揺れた。

 スルーズは唖然と見つめるアナスタシアに、ピンク色のまなこを向けた。

 しばらく呆然と見つめていたアナスタシアの瞳が、やがて怒りを露わにした。

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