召喚された軍師は異世界の救世主 (旧タイトル サモンドスタールジェスト)

白鳥かおる

第1話 光につつまれて





 桐葉葵きりはあおいは色んなあだ名を持っている。


 小学生の時は笑い姫。

 色白で女の子に見間違われる面立ちと名前。

 加えて、どんな時も微笑んでいるかに見える表情からつけられた。


 中学生では鉄仮面。

 常に浮かべている心ない笑みだと、冷やかされたのが始まりだ。


 高校生の時はフマイル。

 Foolishフーリッシュsmileスマイルの略だ。



 あだ名はその人の特徴を指すものである。

 小・中・高といずれにしても、共通しているのが『笑って見える顔』という事だ。


 だけど葵は楽しくて笑っているわけではない。

 そう『笑って見える顔』になってしまうのだ。

 葵が笑みを浮かべるのは、むしろ困難が降りかかった時だった。

 理由は分からない。 

 きっかけはあった。


 小学三年生の時に、目の前で両親が殺されたのを見た時からだ。

 自分では笑っているつもりはない。

 なのに、何の憂いもない微笑みを浮かべてしまうのだ。

 葬儀の席でその顔をやってから、親戚縁者からも気味悪がられる存在となってしまった。

 義務教育新時代は、うとまれながらも親戚の家を点々とさせられ、否応なく、人間の本性いうものを見せつけられながら、葵は育っていった。


(人というものは、自分より格上の人間に対しては、見下されないよう神経を使うのに、その反面、相手が自分より弱かったり、バカだと思ったら、平気で本性を見せてしまうんだな)

 その事を学んだ。

 

 そんな事もあって葵は、自然と、人と距離を置くようになっていた。

 

 家も銀行貯金も、養育費という形で、葵をたらい回しにした親戚がすべて持って行ったが、手元に残った両親の生命保険のお陰で、葵は大学へ進む事が出来た。

 葵は迷った挙句、国立大学の理学部に進学した。

 迷ったというくらいだから、興味を持つ物が他にもあったわけだ。


 葵が興味を持つもう一つのものは、中国の兵法学である。

『孫子』『呉子』の他、兵法だけではなく『韓非子』『戦国策』『孔子』『老子』などの処世術にも興味があった。

 少年時代の葵の置かれた環境が、興味の起因と言えるだろう。

 その方面を学ぶのは文学部だったし、むしろそっちの方に興味は向いていた。

 だが文学部は目差さなかった。

(将来のことを考えれば、理学部だ)


 古代中国の研究を進め、そしてそれを生業なりわいにするには、大学の研究室に通い、教授の手伝いから始めなければにらなかった。

 手伝いは単に手伝いでしかない。助手には程遠い。

 助手と呼ばれるのは、大学院に進み、卒業後も研究室に残って初めて助手(研究員)とみなされるのだ。


 研究員の給与はおおよそ大学出のそれには程遠いものだった。

 講師・准教授・教授と成りあがって行くまでに、挫折する者は多い。

 貧困との根比べだ。

 一部に例外があるとしても、結果として、裕福な家庭に育った者でないと、そこまで辿り着けないのだ。


 葵は理学部を専攻しながら、自分の講義がない時は、古代中国史や処世術・兵法に関する講義に、隠れて出席していた。


 大学一年の夏の頃、葵に友達と呼べる人間が初めて出来た。

 しかも女性である。

 その女性は葵と同じく、兵法や戦術に興味を示していた。

 中国古代史の講義でたまたま隣に居合わせたのが切っ掛けだった。

「同じ趣味の人に出会えるなんて思ってもみなかったわ」

 彼女は文学部に通う同い年で、名前を山口桐葉やまぐちきりはと言った。

 葵の苗字と同じだ。

 葵が苗字を告げると桐葉も驚いていた。


「自分を呼んでいるみたいで、桐葉君って呼びにくいわね。葵君でいい?」

「ああ、いいよ」

 桐葉は以前から葵の存在が気になっていたと話した。 

「葵君って、わたしのイメージする孔明そっくりなのよ」

「諸葛亮孔明のこと?」

「他にいるかしら?」

「まあね。孔明といえば、彼しかいないよね」

 葵がそう言うと桐葉はクスクスと笑った。

「なにそれ。まるで友達みたいじゃないの」

「そうだね」

 と葵は遠くに見える山脈に目を向けた。

「ぼくの場合、孔明に費やした学びの時間は、他の人物を圧倒しているから、ぼくにとっては、最も親しい歴史上の人物なんだろうな」

「葵君って、なんかクールよね」

 こういうリラックスした時ほど葵はシリアスな顔になる。

 それより、と葵は話を続けた。

「ぼくのどこが孔明に似ているのかな?」

「何かに熱中している時のその横顔かな。難しい本なのに、涼しそうに、それでいて微笑みながら読んでいる姿が、わたしの孔明像にピッタリと重なるの。古代衣装を着て、采配降れば、よく似合うわよ。ねぇ、これから孔明って呼んでいいかしら」

 桐葉はそう言って葵をからかった。


 冗談だと思っていた。

 だが、違った。

 次に葵を呼ぶ時から、『孔明』になっていた。

 大学ではないだろうと思っていたあだ名である。

 そのなあだ名を分不相応と思いながらも、悪い気はしなかった。


 葵はいつも大きなリュックを背負っている。

 ある時桐葉が訪ねた。

「ねぇ、そのリュックには何が入っているの? 学術書やノートだけならそんな大きなリュックはいらないでしょ?」

「ああ、これね」

 葵は背中のリュックを振り返った。

「ぼくは両親がいなくてね、親戚の家をたらい回しにされていたんだ。ある時、校門を出たら着の身着のままで次の家に連れていかれた事もあってね。それからかな? 必要最低限の日用品を持ち歩く癖が出来たんだよ」

「今もそんなことあるの?」

「まさか。さすがに今はその心配はないけど、トラウマみたいになっているのかな? 外に出る時はいつもこのリュックがないと安心できないんだ。いつでもサバイバルできるよ」

 葵は珍しく笑ってそう告げたが、桐葉は笑っていなかった。



 ともあれ、それからも桐葉とは悪い関係ではなかった。

 桐葉と会えば、古代中国の戦争や戦闘における戦略・戦術談義に花が咲いた。

 桐葉は、熱が入り過ぎると怒って帰ってしまう事がしばしばあった。

 だが、翌日にはケロリとして「おはよう」と兵法談義の続きを始めるのだ。



 そして運命の時がやってきた。

 誰だってそうだが、これから自分の身に何が起こるなんて事は、分かるものではない。

 葵だってそうだ。

 まさかその日、が起きるなんて夢にも思わなかった。


 その日、葵は見頃の紅葉樹が立ち並ぶ遊歩道のベンチで、コーヒー片手に桐葉と語っていた。

 桐葉はいつも葵のリュックに自分の持ち物を勝手に入れる癖があった。

 飲み物やお菓子は日常茶飯事で、カラーコンタクトレンズやビデオカメラなんかも、入れたまま忘れている事があった。


「わたしの手が空くから助かるわ」

「キミが助かるのならそれでいいよ」

 葵は微笑んで返すだけだった。 

「孔明って、沈着冷静を絵にかいたような人ね」

 桐葉は皮肉めいた口調でそう言った。

「そうかな? 自分では分からないけど」

「沈着冷静そのものよ。兵法論議でもあなたは始終冷静でしょ? 感情を出さず理詰めでわたしを論破してくるから、わたしはいつも感情的になってしまうのよ」

「そんなつもりはないけどね」

「その微笑みよ。その余裕しゃくしゃくの微笑みが腹立つの。今日こそは孔明を論破して怒らせてやろうと思うのに、わたしは百戦百敗。それが悔しくて仕方ないわけ。

分かる?」

「さあ、ほくには分からない」

「でしょうね」

 はぁ、と桐葉は溜息をついた。

「普通の男の人はここまで女を追い詰めないものよ。適当なところで相手にも勝ちを譲ったりするものなの……。でも孔明は相手が女でも隙を見せない。例えるなら、躊躇ちゅうちょなく笑って刃物で刺してくる、そんな感じなの」

「………!」


『笑って刃物で刺す』

 その言葉を耳にした瞬間、葵の体に激震が走った。


 あの時……小学校三年生の時……長い包丁を持った見知らぬ男が家に押し入ってきた。

 男は笑っていた。

 笑いながら父を刺した。

 続いて葵に刃が向けられた。 

 血の付いた包丁が葵の頭上から降りてくる瞬間、母が葵を庇った。

 母の悲鳴が部屋いっぱいに響き渡り、母の背中を貫通した包丁の先が、葵の目の前にあった。

 それを葵は現実味のない感覚で見つめていた……。


「孔明、どうしたの?! ねぇ、孔明?!」

 桐葉が青ざめた顔で葵の肩を揺すっていた。 

 葵は夢の中を漂っているような、不確かな現実の中にいた。

(何なんだろう、この感覚……)

 体が浮くように軽い。

 意識はあるのにボンヤリとしていた。


「孔明!! 孔明!!」

 桐葉が目の前で大きな声を上げているのが分かるが、その声は随分遠くに聞こえた。

 やがて葵の周りを赤とも青ともつかない光の渦が取り巻いた。

(なんだ、これは)

 光の渦は次第にその色の種類を増やし、黄色や緑にオレンジ……最後に金色の光の柱となって葵を包み込んだ。

(なんだか、心地いい……)

 金色一色いっしょくとなった光の渦に、葵はその身を任せた。

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