第106話 いつもの夕食と破られた平穏

「ふぅ……」


 VRギアを外した私は、そのままベッドに手足を投げて脱力する。


 お姉ちゃんがアーサーとの勝負に自分の体を賭けたのは予想外だったけど……無事に勝てて良かった。


「まあ、お姉ちゃんだもんね。勝てて当然」


 むふー、と鼻息を荒くしながら、我知らず枕を抱いて頬を緩める。

 私のお姉ちゃんはすごいんだから。誰が相手だろうと負けたりしない。

 まあ、それはそれとして心配だったのも確かだけどね。お姉ちゃん、すごいくせに変なところで抜けてるから。


 まあ、それはそれとして。


「アーサーに何を要求するつもりなのかな……」


 湧き上がるのは、勝ったときの条件として突き付けた物に対する疑問。

 勝負に賭けを持ち出したのは、お姉ちゃんの言葉通りその方が面白いからっていうのもあるんだろうけど……あの感じ、それだけじゃないと思うんだよね。

 絶対、都合が良いから要求しようっていう下心があった。


「まあ……全く予想がつかないわけじゃないけど……」


 もじもじとベッドの上で悶えながら、私はお姉ちゃんの態度を思い出す。

 私にだだ甘なお姉ちゃんが、わざわざ「あとのお楽しみ」と言いながら頑なに私への情報開示を拒むくらいだ。きっと私にも関係ある何かを、サプライズで披露するつもりなんだろう。

 いや、全然サプライズになってないけども。


「ふふ……」


 思わず、笑みが零れる。

 少し前までは、お姉ちゃんと顔を合わせることもほとんどなかった。なのに、今は一緒にゲームやって、その結果に一喜一憂してる。

 正直、こんな風になるなんて思ってもみなかった。


「雫ー、ご飯出来たよー」


「はぁい」


 お姉ちゃんに呼ばれて、部屋を飛び出す。

 以前はずっと閉ざされたままにしていた扉を開け放った途端、漂ってくる美味しそうなソースの香り。

 蜜に誘われる蝶のようにリビングに向かえば、そこには既に焼きそばが用意されていた。


「ごめんね雫、今日は簡単に済ませちゃった」


「ううん、私、お姉ちゃんが作ってくれる焼きそば、好き」


「ふふっ、ありがとね、雫」


 ふわりと向けられたお姉ちゃんの嬉しそうな顔に、私は思わず赤面する。

 ま、まったくもう、お姉ちゃんはいつも私のこと可愛い可愛いって言うけど、自分も大概美少女だって自覚を少しは持って欲しい。


 そんなやり取りを挟みながら、焼きそばを食べる。

 今日あった戦いのこととか、アーサーとの勝負とか、他にも他愛ない会話を挟みながらの晩ご飯。


 お姉ちゃんが私の世界ゲームに飛び込んでくれなかったら、こんな時間はなかったかもしれない。そう思うと、本当に奇跡みたいな一時だ。


「ん……んー……」


「お姉ちゃん、ご飯あんまり進んでないけど……眠いの?」


「ん? あはは、今日は流石に疲れたからねー、ちょっと食欲なくて」


「無理しないで。えっと、片付けくらい私でも出来るから、お姉ちゃんは先に休んでてよ」


「そう? ありがと、雫」


「ん、任せて」


 だから、私だってがんばらなきゃ。

 お姉ちゃんと一緒に過ごせるこの毎日を守れるように、少しずつでも。


「えっと、残りはラップに包んで、冷蔵庫に……でいいかな……?」


「うん、それでいいよ。というか、片付けくらいやっぱり私が自分で……」


「いいからっ、お姉ちゃんは早く部屋で寝て! 着替えも後でもってくっ!」


 お姉ちゃんを部屋の方に追いやって、残りものを片付けたら、お皿洗い。

 実のところやったことないけど、やり方は蘭花さんから聞いてるし、大丈夫……な、はず。


「よしっ、やろう……!」


 気合を入れて、いざチャレンジ。

 お姉ちゃんほど要領よくは出来ないだろうけど、一つずつでもやれることを増やさなきゃ。


 でも……この世界は、そこまでゆっくりと成長していられるだけの時間を、私にはくれなかった。


「……ん? 今何か音が……」


 ドンッ、と何かが倒れるような音がして、私はお皿を置いてお姉ちゃんの部屋に向かう。


 寝惚けて何か倒したんだろうとは思うけど、その割にはお姉ちゃんの声が聞こえて来ない。

 いつもなら、簡単に家中に響くくらい元気に叫ぶのに。


「お姉ちゃん……? 入るよ……?」


 部屋の前まで来て、その扉を恐る恐る、ゆっくりと開ける。


 なんでそんなに慎重になっているのか、自分でもよく分からない。

 ただ、何となく……そう、何となく。


 その先にある光景を、想像したくなかったんだと思う。


「おねえ、ちゃん……?」


 部屋に入ると、そこでお姉ちゃんが倒れていた。

 力なく床に転がるその姿を前にして、私の頭は状況を理解することを拒んだ。


 なんで? お姉ちゃん、ついさっきまで、あんな、元気、に……


「あ……あぁぁぁぁ!! お姉ちゃん、お姉ちゃん!!」


 みっともなく取り乱しながら、私はお姉ちゃんにすがり付く。

 こんなの嘘だと叫びながら、必死にその体を揺すり起こす。


「しっかりして、お姉ちゃん!! なんで、どうして……!!」


 私の頭に、かつての記憶が甦る。

 突如として知らされた両親の死去。突然崩壊した日常。世界が反転し、天国が地獄になる瞬間。


「やだ、やだ……!! お姉ちゃん、起きてよ、ねえ!!」


 混乱する頭ではどうにもならず、私は赤子みたいに叫び散らす。

 そんな中で、偶々お姉ちゃんのポケットから落ちたスマホが目に映った。

 タイミングよく着信を知らせる光を見て、私はすぐに手を伸ばす。


『やっほー鈴音、聞こえてるー?』


「蘭花さん!!」


『うわっ、雫ちゃん!? びっくりした……どうしたのそんな慌てて』


「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが倒れて……! 私、どうしたら……!」


『は、はぁ!? 倒れたって……いや、分かった、救急車はこっちで呼んでおく、お母さんとすぐにそっち行くから待ってて』


「う、うん」


 蘭花さんの言葉で、私は救急車を呼ぶなんて当たり前のことすら頭から抜け落ちていたことにようやく気付いた。

 思わず自己嫌悪に浸りそうになるけれど、それを見越したように蘭花さんから怒涛の勢いで指示が飛ぶ。


『鈴音の様子は?』


「ぐったりして、呼んでも返事がなくて……」


『息はしてる?』


「えと……う、うん、大丈夫」


『分かった、それならすぐ死ぬことはないから、落ち着いて』


 こんな時でも、電話越しに冷静な指示をくれる蘭花さんのお陰で、私も少しずつ落ち着くことが出来た。


 お姉ちゃんは意識がないみたいだけど、普通に呼吸はしてる。血を流してる様子もないし、大丈夫だ。

 ……きっと、大丈夫。


「雫ちゃん!」


「美森さん! お姉ちゃんが……!」


「大丈夫、大丈夫だからね。雫ちゃんは蘭花と一緒に待ってて」


 やがて、美森さんがやって来て、私はすぐにその場から引き離される。

 蘭花さんと一緒に見守る中、やっと到着した救急隊の人達が、お姉ちゃんを運び出していく。


「鈴音ちゃんは大丈夫だから、ここで待ってなさい」


 優しく、それでいて有無を言わさぬ口調でそう告げる美森さんにこくりと頷き、私はそのまま取り残される。


 蘭花さんに励まされる中、結局私にはただ、お姉ちゃんの無事を祈り続けることしか出来なかった。

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