暴走
アンナが言っていた廃教会は、ただ平然とそこに存在していた。
陽の光に照らされているのに、建物全体から不穏や薄暗さが漂っている。
屋根のてっぺんに配置されている十字架は錆びつき、カラフルなステンドグラスも所々割れている。
壁面には幼稚な落書きがこれでもかってくらい書かれていた。
俺は教会の扉の前で立ち止まっていた。
乱れていた息もだいぶ落ち着いている。
よしっ! と心の中で気合を入れて金色のドアノブを掴み――――それ以上、手が動かなくなる。
「……何やってんだよ、俺は」
動かない自分自身の手から視線を切り、俺は強く目を閉じる。
思い返す。
過去の過ちを。
想像する。
家族と過ごす新しい未来を。
「俺は……俺が……やらなきゃいけないんだよ! おわぁああああああああ!」
言葉の勢いでもいいと思った。
今は扉を開けることの方が、体裁や気持ちの整理なんかよりも大事だから。
大声と共に手に力を込め、一気に扉を押し開ける。
自分から居場所を知らせるような行為をしてしまった! と扉を開けてから気がついた俺は、背中にぐっしょりと冷汗をかいていた。
俺が戦争に能力者として参加して、兄ちゃんみたいにもっと修羅場を潜り抜けていたら、こんなヘマはしなかっただろう。
「はぁ、はぁ……」
ただ、後悔しても遅い。
俺の呼吸音だけが教会内に広がっていく。
深海を思わせるような静けさに思わず足が竦み、息を飲んだ。
「…………」
赤い絨毯を挟んで、二人掛けの椅子が左右に六列ずつ並んでいる教会内は、埃っぽくて黴臭い。
そんなことどうでもいい。
俺の視線は一番奥に向かっている。
そこには、背中から翼の生えた女神の像が鎮座していた。
その像が見下ろしている台座の上に寝ているのは――間違いなくアヤだ。
彼女の横には白衣を着た男と、人間のような形をした……機械?
銀色に光る体は、何かしらの金属でできているのだろう。
「……アヤ?」
台座の上で横たわる呼びかけても、反応はない。
その穏やかなその表情は死に顔を連想させてしまう。
絶望と涙がとめどなく押し寄せてくる。
俺は千鳥足で、アヤの元に近づいて行った。
「アヤ? 目を覚まっ――――がぁっ」
瞬間。
俺は腹部を殴られ、後ろに吹っ飛んでいた。
開けぱなしの扉の横の壁に背中がぶつかり、肩甲骨に鈍い痛みが走る。
俺を殴り飛ばした機械人間は、さっきまで俺が立っていた場所で、俺を睨みつけている。
「何だ、弟の方か……まあそれも一興ってことだな」
気持ち悪い笑い声が聞こえたと思ったら、白衣を着た男はそのポケットから見覚えのある注射器を取り出した。
「おま……えっ、アヤに……何を」
「何って、決まってるだろ? 手術は成功したんだから、次は能力を強化させないと。……あっ、でもいつかのお前みたいになっちゃうかもな」
やめろ!!
何とか立ち上がって、そう叫ぼうとした俺の右わき腹に、機械人間の回し蹴りが直撃。
今度は真横に吹っ飛ばされる。
床の上に落ちていたステンドガラスの破片の上に身体が落ちたらしく、パリパリと音がした。
「待て……やめ、ろ……」
痛みに耐えながら声を絞り出す。
アヤに向かって手を―――――伸ばせない。
体が冷たい。
俺は能力を使っていない。
なのにいつの間にか、俺の手足は氷漬けにされていた。
「死体でもこれくらいは能力が使えるんだよ。さすがお前のお兄様は違うなぁ……天才で、ムカつくんだよ!」
サカキの憎悪を孕んだ声も凍てつくように冷たい。
「それに、こいつもいけないんだ。せっかく俺の計画を、天才の狂っていく様を……なのに! こいつは何もしやしない! 挙句の果てに……まぁでも、こいつがあいつの大切な存在になったのは嬉しい誤算だよ」
「ふざけるな!」
叫びながら俺はサカキへ向けて先の尖った氷を五発飛ばす。
もっと発生させたはずだったのに、能力は怒気の強さに比例してはくれなかった。
これが、長年隠し続け、ろくに訓練しようともしなかった代償だというのか。
その氷柱は機械人間の出した氷の盾で簡単に防がれていた。
「くそッ……何で、この……」
「どうだ? お前ら二人が戦うなんて皮肉だなぁ。こんなことなら早くこうしとけばよかったよ。まさか嘘の報告をしていたとは。通りで十年、研究を続けたのに分からないわけだ。あっ……でもそれが遺体を保存させることにも繋がったんだから、怪我の功名ってやつかな? 俺にとっては、な?」
サカキの不気味な独り言を聞いている間に、俺は口も氷で覆われてしまう。
何も言えなくなる。
「あははは、いい気味だ。そこで黙って見てな」
サカキの言葉通り、注射針がアヤの腕に向かっていくのを見ていることしかできない。
「そんな顔するなって。この薬は俺が改良したから。確実に能力が暴走するようにな!」
胸糞悪い笑い声とともに、アヤのきめ細やかな肌に注射針が入り込んでいく。
刺さった場所から一滴、真っ赤な血が流れ落ちる。
――辞めろォ!
どう足掻いても無理だった。
アヤの腕から流れ出る血液を見た瞬間に怒りは最高潮を迎えたけれど、それでも体は動いてくれない。
さっきから出している氷も、機械人間の氷の盾で全て防がれる。
「くっふっふふふ……」
愉悦の声を上げながら、サカキは注射針を綾の上から抜き取る。
「ああぁぁ……。これで被験者番号3の実験も終了か。親友と弟と親友の妹。お前の兄ちゃんはほんと酷いことするよなぁ? まずはこいつにお前を殺させて、それから、街でも襲わせようか」
「……ん、んんっ、……あっ…………ヒサ、ト」
瞼を半分だけ開けたアヤが俺を見る。
こちらに腕を伸ばす。
彼女の、力が入らなくて曲がった指先が必死で何かを伝えようとしてくる。
覇気のない瞳から涙が零れ落ちている。
「ヒサト……逃げて。私のせいで………ごめん――ッあぁあぁぁぁ」
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