増幅剤

「お、もう目が覚めたのか」


 トウシロウは慌てて返事をする。


「もうって、寝てたから時間感覚なんかねぇよ。……で、手術は?」


 ノゾムは仰向けに寝たまま、顔だけこちらに向けていた。


「大丈夫、成功した。もう少ししたら麻酔も切れて、体も動かせるようになると思う」


 トウシロウは薬品棚に向かい、その硝子戸を開ける。


「そっか。ありがとな」

「別にいいって。でもまだこれが残ってるから。能力の増幅剤」


 棚の中から取り出した、能力増幅材をノゾムに見せる。


「そうだったな。……で、どうやったら能力って使えるんだ?」

「どうやったらって、ノゾムはもう能力者だから使えるよ」

「そうじゃなくて感覚的な話。どんな感じで発生させるんだってこと」


 ああそうか。

 たしかに、それを伝えるのを忘れていた。

 

 ……でも、どうやって説明しよう。


「それなら……えっと、発生させたい場所を目視して……強く思う、かな? これに関しては俺も上手く説明できないけど、俺はそんな感じ。手を伸ばして、能力を発動させたい場所を意識付けしてもいいかも」

「そっか、じゃあ」


 ノゾムの目が輝く。

 まっすぐ天井を見つめ、右手を上に突き出した。

 どうやら麻酔ももう切れたようだ。


「こんな感じでいいのか――――ああ、すげぇ」


 いつのまにか天井に、一辺が三センチメートルほどの氷の立方体がくっついていた。


「俺が発生させたんだって実感もちゃんとある。でも、もっとでかいやつ想像したんだけどな」


 ほんのりと笑みを浮かべながら、ノゾムは天井に伸ばした手を握りしめる。

 氷が砕けて小さな粒になって、パラパラと頭上から降ってきた。


「だから増幅剤がいるんだ。現段階ではその程度だけど、これを使えばもっとでかいのが出せる」

「そっか。これで俺、強くなれるんだな。これで、やっと……」


 ノゾムは、握りしめた拳を胸に強く押し当てた


「……やっと俺も、みんなを守れるくらいに強くなれたんだな。そう思うと嬉しくてたまらないよ」

「ああ。これでノゾムも、大切な人をその力で守れるよ」


 その分、他人は殺しまくるけどな。


 ノゾムはその覚悟をしたうえで能力者になったのだと思いたい。


「なぁ? それまだ打っちゃダメなのか?」


 ノゾムの目が、増幅材の方を向く。


「もっとすごいの、はやく使ってみたいんだ」

「そんなに焦るなって。もうちょっとじっとしてろ」


 トウシロウはノゾムにばれないよう唇を噛みしめていた。

 もう手術は終わったんだ。

 後戻りなんかできないんだ。

 だから……もっと前向きに考えよう。


 これでノゾムも能力者なのだから、能力者にしか分からない悩みを相談することができる。


 戦争になった時に殺す人数が単純計算で二分の一になる。


 戦争に勝利できる。


 この国の人々のために、天才として、当然のことを行ったまでだ。


「そう言えば、ノゾムはこのこと家族に伝えてあるのか?」


 ふと気になって、トウシロウはノゾムに尋ねた。


「いや。びっくりさせようと思って言ってないけど……何かまずかった?」

「別に。……ただ、だったら本当にびっくりするだろうなって。いきなり能力者になったわけだから、親とか……本当に」

「そうだな。俺の母さん。びっくりして腰抜かすかもしれない。言っといた方がよかったかもなぁ」

「まあでも、能力者になればきっとすぐ王宮で働けるようになるから、その……父さんがいなくなった分のお金も稼げるから……孝行息子になったってノゾムの母さん、涙流すんじゃない?」


 トウシロウは根性で笑顔を浮かべた。


 自分が今言った通りの意味で、ノゾムの母親が涙を流してくれることを切に願います。


「そうだな。俺……父さんの誇れる息子になれてるよな?」

「ああ。十分すぎるくらいだ」

「へへっ。そうやってトウシロウに言われると何か嬉しいな」


 言いながら望は上半身を起こす。


「そんなに動いて平気なのか? 痛いとか、いつもと違う感じとか、変わったところとかないか?」


 念のために確認しておく。


「そうだなぁ」


 ノゾムはベッドの上で肘や膝を曲げ伸ばしたり、首を回したりした後、


「全然問題ないな。むしろ寝てたから快適快適!」

「そっか。なら右腕出してくれ」

「りょーかい」


 ノゾムが差し出した右腕は健康的な肌色で、血管がいくつか浮き出ている。

 緊張しているのだろうか、トウシロウが触れると筋肉に力が入る。


「おいおい、別に普通の注射と変わらないから、もっと力抜いて」


 注射器の針の部分のカバーを取り外し、差し出されたに注射針を近づける。


「ああ、ちょっと待ってくれ。今思い出したんだけど俺……」


 そう言ったノゾムの腕の筋肉は更に硬直した。


「何だよ? やっぱりどこか痛いところ」

「そうじゃなくて、ただ、やっぱりそれも普通の注射みたいにチクってするんだよな?」

「まあ、そりゃそうだよ。注射なんだから」

「だよな。いや、悪い。続けてくれ」

「えっ? ノゾムって注射苦手だったの?」


 嘘だろこの歳で?


「……ああ、そのまあ、子供の時からこれだけはどうも、な」


 ノゾムは恥ずかしそうに顔を伏せる。


「注射の痛みぐらい耐えようぜ。だって――」


 この先そんなことの比にならないくらい自分の心は傷ついて行くぞ、とは言えなかったから。


「まあ、一瞬だから。すぐ終わる」


 注射なんて刺さる瞬間が痛いだけ――そうか。


 瞬間的なことの方がかえってずっと痛いのか。


 能力者なんてずっと痛いだけだから、そのうち慣れる。


 たしかに、注射の方が怖いんだなぁ。


「ああ。そっとな。優しくな」

「優しくしても刺さる瞬間は痛いから、我慢しろって」

「わかっ――――っ」


 トウシロウがノゾムの腕に注射針を近づけると、ノゾムは明後日の方向を向いた。

 刺さった瞬間にノゾムは少しだけ顔を歪めた。

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