天邪鬼の海
ふあ(柴野日向)
第1話 君
君は嘘つきだった。なんていうか、天邪鬼だった。
それを知ったのは、私が高校二年生、君が同じクラスだったときだ。どういうわけか、学園祭の演劇の主役に抜擢されたとき、君はそれを断ったんだ。
「推薦されたから」
理由はそれだけだった。なんでもない顔をしてとんでもないことを言うのに、私たちは唖然としてしまった。もともと不気味だった君は、更に周りから避けられるようになって、私はなんて人生がへたくそな奴なんだと思った。
もう君は忘れたかも知れないけど、その翌年。すでに君は、嘘つきとして有名になっていた。どうやら家庭が複雑らしい君は、どこかで歪んでしまったんだろうってみんなが噂している頃だった。
夏の暑い日、雨上がりだったと思う。放課後の帰宅中にコンビニでアイスを買って、むわっとする空気の中をかき分けるように歩いていたとき、私は知らない人に鞄をとられた。その人がわき目もふらず向こうに走っていく背中が見えた。
それをひったくりだって頭が認識したとき、私は何か叫んだ。意味があったのかなかったのか覚えてないけど、財布の学生証の再発行がめんどくさいとか、アイスが溶けちゃうとか、そんなことを考えた気がする。
走った途中に、君がいたかは覚えてない。だけど気づけば私の前を、白いシャツの背中が走っていた。
「君が助けなくていいって顔してたから」
ひったくり犯を捕まえて、なんと表彰までされた君に尋ねると、つまんなさそうにこう言ってた。「自分で捕まえる」って顔を私がしてたからだって。
おもしろい奴だなって、私は思った。変な奴。それ以上にそうも思った。
こりゃもう腐れ縁だわ。そう思ったのは、大学に入ったとき。共通科目の講義で近くの席に座ってる君を見つけた。高校の人間関係が鬱陶しくて、せっかく地元を離れた大学を受けたのに、君はちゃっかりそこにいやがったんだ。
それから、何となく話しかけて、君も気のない返事をして。そのころ私は、君が嘘つきなんて可愛いもんじゃなく、とてつもなくめんどくさい天邪鬼なんだって痛感した。
「昼ご飯、食べる?」
「食べない」
そう言いながら、鞄からコンビニのおにぎりを出して食べ始める、厄介な奴だった。食べてるじゃんって私が言うと、これは間食とか言い出しやがった。正午に食べるおにぎりは、間食なんかじゃない。
そんな君は、「かもしれない」をよく使った。「お腹が空いてるかもしれない」それはつまり、空いてないかもしれないっていうことだから、実に都合のよい言葉だった。
お腹が空いてるのに、素直に空いてるって言えない君は、「学食にいくかもしれない」って言った。そのくせ、食堂前のイチョウの木の下に、君が待ち合わせ通りにこなかったことなんて、一度もなかった。なんて面倒なやつって呆れながら、私もよくつきあったと思う。
そんな君に、もちろん友達なんかができるわけなく。可哀想なやつだと思いながら、私は授業のノートやプリントの交換をよくやった。私も君も、適度に不真面目だったから、お互いに被っている授業があれば、どちらかがサボって、どちらかが出席表を二人分提出するっていう悪事も働いた。共犯者がいる悪いことは、罪が半分こされる気がするのか、なんだか妙にいい気分になった。
君と定期的に話をするようになってから、二ヶ月ぐらい経ったとき、初めて君の住む部屋に行った。この前、近くを偶然通りかかった時に君と会って話をしたから、私はここが君の住む場所であることを知っていた。授業をサボった君にノートを返すっていう口実で、義務感半分興味半分でチャイムを押した。
がっかりしたことに、君は突然の訪問に、大して驚きも焦りもしなかった。部屋見せてと言うと、あっさり中に入れてくれた。
君の部屋は、何というか、とても殺風景だった。ベッドと机、椅子に本棚、めぼしい家具はそれぐらい。君の見られたくない趣味を見つけようと思った私は、心底がっかりした。おまけにお茶まで煎れてくれたから、更に幻滅した。
「この写真、綺麗だね」
ただ他と違うのは、綺麗な海の写真が数枚、壁に貼り付けてあることだった。砂浜から水平線を眺めた青い海がいくつか、簡素なアパートに色をつけていた。
「海、好きなの」
す、と君の口が発音したのを私は聞き逃さなかった。慌てて「嫌い」と言い直す君を見て、君が根っからの天邪鬼じゃないことをようやく知った。いちいち頭で考えて反対のことを言ってるんだな。なんて不憫なやつ。
高校で、まことしやかに囁かれてた噂によれば、君には家族がいなかった。とある施設で育って、一人で暮らしている君には、お金がないはずだった。君がお茶のおかわりを煎れてくれてる隙に、私は机の下に積まれた数冊のアルバイト情報誌を見つけてしまった。でも、君がバイトの面接に受かったという話はついぞ聞かない。ひどい悪事を働いてしまった気がしたこのことは、私も未だに、君に話せていない。
この日からかもしれない、私と君は、急速に仲良くなっていった。そう思ってるのは私だけだなんて、君は笑うかもしれない。けれど私は、君のことを親しい友人だと思った。授業ボイコットの共犯者かもしれない。仲間、と言った方が近しいのか。わからないけど、私は君のことを理解したくて仕方なくなったのだ。
明らかに、そして相変わらず、君は変なやつだった。
ショッピングに行こうと誘えば、映画館に向かった。あれが面白そうと言えば、これのチケットを買った。楽しいところでつまらない顔をして、つまらないところで楽しそうに笑った。どう足掻いても、めんどくさくて厄介で、何故一緒にいるのか分からない変人だった。
でも、君が笑ってくれるなら、なんでもいいや。私は馬鹿みたいにお人好しに、心からそう思った。
君も、私のことを少しは友人として認めてくれてたんだと思う。あるいは、同じカテゴリに属する同種の人間として。
ある日、君が言い出した。相変わらずの「かもしれない」運転だったけど、珍しいこともあるもんだと、私は言われるままにあるチェーンの喫茶店に入った。
安くて水っぽいアイスティーのグラスを、カウンター席の私の隣で、君はストローで執拗に混ぜていた。何か言うべきことを迷っているように、私には思えた。
ふたこと、みこと口を開いて、やっと君は話してくれた。君の伝えたい話はつまり、こういうことだった。
物心つく前に、母親が男を作って出て行ったこと。アル中の父親は、ろくに働きもしないまま時折君を殴って、そのときのあざが未だに消えないこと。その父親が愛人を殺して、君の年の離れた兄と一緒に、死体を家の庭に埋めたこと。
父親は警察に捕まって、未成年の兄は、少年院に送られた。その後、まだ小学生だった君の受け入れを親戚が拒否したため、君は養護施設に放り込まれた。
「引かないの」
君は不思議そうに言った。
「うん」
頷く私も、君に聞き返した。
「辛くないの」
「辛くないよ」
君は即答した。
「寂しくないの」
「寂しくないよ」
反対だ。辛くないわけがない。寂しくないはずがない。
君がどうして天邪鬼になったのか、私はようやく理解した。
「家族は、嫌い?」
君は目を少し見開いて、考えて、それからにっこり笑ったんだ。
「大っ嫌い」
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