第2話 天邪鬼1
君は、自分だけじゃなく、他人に対しても天邪鬼だった。私が「これ不味い」といったものを率先して食べたりした。君は、私の願いが叶わないように振る舞っているみたいだった。
狭い道の先で陽炎が揺れるその日も、私が嫌いだと言ったメーカーのグミを、わざわざ隣で君は噛んでやがった。「美味しい?」って尋ねると「美味しい」って答えたから、君も好きになれなかったんだと思う。
見通しの悪い交差点を、さほど気にもとめず渡ろうとしたとき、甲高いクラクションが鼓膜で爆ぜた。
背中に衝撃があって、よろめいて膝をついて振り返って見えたのは、地面に倒れている君だった。私の不幸を望むはずの君は、私を庇って、アスファルトで頭から血を流していた。不味いグミの小さな袋が、軽自動車のタイヤの下敷きになっていた。
丸一日。君が意識を取り戻すのにかかった時間。君が目を覚ましたとき、私は安堵で足が立たなくなって、へなへなとパイプ椅子にへたりこんだ。
頭に包帯を巻いた体の丈夫な君は、それでも、手足の軽い打撲とあばらの骨折という怪我を負っていた。検査や様子見ということで、数日間入院することになった。
大学は夏休みに入っていたから授業の心配は必要なかったけど、もちろん、君にお見舞いに来てくれる誰かはいなかった。
代わりに罪悪感が破裂しそうな私と、はるばる私の両親が病院にやってきて、君に頭を下げた。
これまで男友達すらろくにいなかった私が親しくしているということで、両親は何らかの疑心を抱いたようだったけど、病室から出てきた二人は廊下の自販機でジュースを買う私に心配そうな顔で言った。「もう一度、検査しなくて大丈夫かしら」って。
君はこんなところでもあべこべで。あざを触られれば痛くないって答えて、なんでもないところでは痛いなんて言うやつだったから。頭の心配をされるのは、至極当然の成り行きだろう。
また、これはチャンスだと私は汚い思惑を抱いた。君のまだ見ない表情を見られる、千載一遇の機会だと考えた。
君が照れる顔を見たくって、私はある時のお見舞いにりんごを持っていった。
食べさせてやるだなんて偉そうなことを言って、記憶に従ってかつらむきをしようとした。身のたっぷりついたりんごの皮がぼろぼろと重力に従ってお皿に落ちていくのを、「何がしたいの?」って顔をしながら君は目で追っていた。ただ単に不器用な恥をかいた私は、でこぼこになったやけに小さなりんごを大人しく八つに割った。室温ですっかり温くなり、少し酸化を始めたりんごは美味しくなくって、君も「美味しい」って言いながら眉間に皺を寄せていた。
せめてもの償いに、私は退院した君の部屋に幾度となく押し掛けた。必要ないって拒否する君を無理矢理ベッドに押さえつけ、甲斐甲斐しく世話を焼いた。
それは君の骨折が治ってからも続いた。
君は痩せていた。それが気になった私は、君に間食をさせようと思った。無駄に高いカロリーを摂取させるべく、台所を占拠した。
君は何かすることがないかって、入り口を野良犬のようにうろついていたけど、私は敢えてそれを無視した。自分の部屋なのに居場所をなくした不憫な君は、大人しく勉強を始めていた。
いろんなものを作ってみたけど、君の反応が著しかったのは、初めて焼いたチーズケーキだった。
「美味しい」って、一口食べた君は珍しくはっきりそう言った。あ、これは失敗だなって私はすぐに予感した。
君は顔色を真っ青にしながら、小ぶりなホールケーキを食べきった。私がいつも、全部食べるまでしつこくつきまとうせいだった。明らかに君の胃袋の容量を超過していたけど、君は全部口に運んで、そのまま寝込んでしまった。
片づけの時、私は自分用に分けていたそれの生地を口にして、吐き出した。砂糖と塩を間違えるという軽率なミスの結果に生まれたそれは、明らかに人間の食用ではなかった。君の腎臓が壊れないことを願い、私の料理研究はその後控えめになっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます