烈風「真田幸村戦記」(皇帝助村と真田十兵衞)2

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 問題が一つ残って居た。

武龍に誰を入れるかであった。

 十兵衞は武吉を押した。

武吉は文武両道を納めている。

文官でも通るが、武将としても軍隊で、それなりの位にまで行っているのである。

伊木遠雄を北京で、北武龍に宮本武吉を武龍城の南武龍に置く案を提案して、それで行こうと、言うことに成った。

 武龍だけを外して一番最期にしたのには、十兵衞なりの考えがあったのである。

武龍には、最期の皇帝、永明王が非業の最後遂げて以来、これといった大きな組織は出来ては居なかったが、ヨーロッパに似ていて、執拗というか、執念深い面があった。

常に、機会(おり)があれば、時の政府に反抗しようという組織が現れるのであった。

それが馬族の形を執ったり、もっと根深く力を蓄えて、これぞと言う時に、叛旗を飜して来るのであった。

そのために、十兵衞は、以前からあった構想なのであったが、北武龍(北京)に伊木遠雄を置き、南武龍(ぶりゅうじょう)に、武吉を配したのも、その用心のためであった。

十兵衞は、三本の弾丸道路と道路に沿って運河を建設するつもりで、設計図まで作成してあったのである。

一本は北京と武龍を繋ぐ二十五間幅の軍用道路であった。

二本めは北京とモンゴルのウランバートルを繋ぎバイカル湖の畔のウラン・ウデまで繋ぐ軍用道路であった。

二十五間幅で武龍までアスファルトが使えたので仕事が早かった。

さらに、カザフスタンからウイグルを抜けて、敦煌経由で武龍・北京道路に出た。

そして、武龍、ハノイにも弾丸道路を造った。

この弾丸道路網が完成すれば、何処からでも大軍が駆け付けられようになるのであった。

途中の要衝には大きな駐屯地を造った。

これも猛烈な速度での工事であった。

他国の十分の早さ早さであった。

バイカル湖の畔のウラン・ウデからハノイまで、一直線で大軍が突っ走れるのであった。

しかも、北京、武龍までは、運河が併走しているのである。

これが整備し終わってから、十兵衞は長男の重吉を北京に、次男の武重を、北京の伊木遠雄の下に、重吉を、宮本武吉の下に付けたのであった。

北京と天津近くの港まではすでに幅の広い道路が出来ていた。

幸村の戴冠式の時に造ったのである。

十兵衞のところには、東海党から「武龍に、怪しい、動きがあります」言う報告があったのである。

「更に、探れ!」

 と言うので、長宗我部盛親党、本多正純党、木村重成党を入れた。

「インドとネパール、ブータンの辺りに大きな教団のような集まりに偽装して五師団くらいの馬賊、盗賊たちが屯しています。党領は白の五条袈裟で、覆面をしています」

「む。僧侶・・・覚法が、奴なら生き延びて鄭の軍資金の秘密の金も知っている。奴らの隠れ家は、高山過ぎて、戦車、自走砲、戦闘装甲車など一切使えないぞ。やつらも、騎馬は無理だ。歩兵戦だな。犬隊、虎隊、ガトリング銃、ガドリング砲、迫撃砲、火炎放射器、五人一組戦法と、忍び戦闘集団だな。集められるだけ集めよう・・・」

 と十兵衞がケリーにいった。

「彼らが山岳地帯から、降りてきてくれたら、何と言うこともないのですけどね、当分降りる気は無いでしょうね。鄭一族の隠し金がありそうですからね」

 とケリーがいった。

「私の方でも、欧米人ではない配下をいれています。モンゴル系や漢人系、満州系、チベット系の者たちを潜入させています」

「ケリーよ。格式張って居ないときは呼び捨てにするが・・・」

「構いません・・・」

「儂のことも十兵衞でよいぞ」

「はい」

 と答えたが、さすがに格が違う。

殿か、様をつけた鳳国鳳国の事実上の頂上の人物である。

鳳国の直接の、上司である。呼び捨ては、気が引けた。

「これは、歩兵の肉弾戦に成るだろうが、向こうにも、忍びが相当居るようだ。それに、急には戦えない。ネパールの反対側で、訓練と演習をさせる必要がある。ヒマヤラの頂上だ。空気が薄い。これに慣れてから出なくては負ける。それと、ここで勝負をつける必要はない。五個師団もの人間が、毎日飲み食いをしていたら、やがて食う物がなくなる。食料の調達に嫌でも降りてくる。党領の覚法という、糞坊主は半端ではない悪だ。武蔵公から聞いたことが何遍もある。大助皇帝を拳銃一発で秀頼に殺させた。希代の悪だ。此処で斃して置かなかったら、次にどんな悪事を働くか。しかし、此処は我慢の、しどころだ」

 ケリーとの話しは、大阪城の十兵衞丸の書院でしていた。

ここは、嘗ては鈴木丸で、孫一が誅殺されてからは十兵衞が使っていた。

武蔵の宮本丸はそのままケリーが使っていた。

同室して話をしているのは、冬丸と村智であった。

武吉は現地の武龍城に赴任していた。

鳳国では、任地替えは、日常茶飯事であった。

それだけ、急激に、領地が拡大していったのである。

ただ、北方関係は、慣れた者にしか、統治は出来なかった。

厳冬期の、寒さというのは、慣れていなかったら、命に関わるものであった。

武蔵か十兵衞にしか勤まらなかった。

特に十兵衞の領地は、ロシア、そしてヨーロッパに隣接しているので、常に緊張を、強いられて、いるところであった。

十兵衞以外の者には、とても勤まるものではなかった。

しかし、他の地区でも、その地区、固有の厄介な問題が、必ずあるものなのであった。

それが、武龍では馬賊、盗賊の問題であった。

一個所でボヤがでると、次々に、本格的な火災が生じるという、国民性と風土が、あったのである。

 その武龍を長年に亘って統治してきなのが、信幸なのであった。

 信幸は「鬼になれば稼げる」と名言を残していた。

「その、鬼になるときがきた」

と十兵衞は思った。

「情報隊と暗殺隊を集めろ。何人でも構わない。今回は肉弾戦と言って聞かせろ。殺(や)るか、殺られるかの肉弾戦だ。歩兵にも、死ぬ気で掛らなければ、こちらが、殺られるぞ、と言う考えを、徹底して浸透させろ。あの糞坊主が造った、盗賊の五個師団だ。五万にもいるのだぞ。何時もの戦法は通用しない」

 と十兵衞が真顔でいった。

「敵も斃れるが、戦死も重傷者もでる。捕虜にだけは成るな、残酷な殺され方をするぞ」

 十師団をあつめた。敵の倍である。しかし、

「これでは足りない。城攻めには敵の十倍というのが常識だ」

 というので、カザフスタン、ロシアから五個師団を呼んだ。

シベリアから、ケリーが抜刀隊を中心に十個師団を呼んだ。

さらに、冬丸が二十個師団を呼んだ。

四十五個師団であった。

 その上で、十兵衞丸で会議を開いていたのであった。

その場には、ケリー、冬丸、村智、シベリアの武蔵十人衆、真田十勇士、才蔵、佐助らである。

彼らに、兵士を指揮させるのである。

全員が、何度も戦を経験していた。ケリー配下からは、三十人衆がでた。

元は武蔵の三十人衆であったが、武蔵の死後に、ケリーが自分の直族の部下にしたのである。

カナダ、アラスカ、東シベリアで仕事をしていた。

ここにいる、殆どの者が、忍びの技を身につけていたし、暗殺をしてきていた。

五十二の指揮官がいた。

「このあと、人人かの武将が来るだろうが、儂は彼らを、実は当てにはしていない。敵は忍者の集団だと思って、間違いない。あの糞坊主自体が、忍者だ。良くも集めたものよ。他の武将たちには、戦いは任せられない。山の中腹を取り巻いて逃げてくる敵を討ち取るのが精一杯だろう。敵の本陣に切込むのは、ここに居る者たちだけだ。それと、三人の、暗殺隊の党領が顔を出してくれた。長曾我部盛親、本多正純、木村重成で、部下やそれぞれで、千人近いはずだ。深くは訊くな。他に儂の東海党、党領だが、一切なのらない。風魔の郡山小太郎だ。伊賀と甲賀も呼んだ。雑賀党もきている。村上三家、白井賢胤、若林鎮興、切り込みの時には、味方の印を考えて用意する。此処までで何か質問はあるか」

「・・・」

と沈黙になった。

「出陣の日時は、秘密に伝える。陣割もその時に伝える」

「捕虜は?」

 郡山が訊いた。

「基本的に、要らない。邪魔になるだけだ。確実に殺せ」

「む。」

 一同が頷いた。

「儂がなぜこんなに、慎重になっているか? 多分、敵の一人ずつは、強いぞ。その上、場所が場所だ。空気が薄い。十日前後は、空気の薄いところで訓練をしておいた方が無難だ。場所は確保した。とにかく肉弾戦になる。敵の刃物にはすべて、毒が塗ってあると思った方が良い。質問がなければ、これたけだ。解散してくれ」

 それぞれが静かに出て行った。

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