第三章 6

   六


 すかさず、木村重成が挙手をした。

「大陸の蕃族を成敗いたすのは、挑まれた以上、当然、国家として成すべきことござる。しかし、相手の情報が、あまりにも無さすぎると思うがどうか」

 幸村が、ゆっくりと話し始めた。

「敵は明国の東北部の部族である」

 紙をめくらせた。そこには、拡大された形で、大陸の地図が現れた。

それは、冊子にも載っていた。

「木村重成殿が、意見はもっともである。配布した、冊子にも同じものが載っている。貴重な地図故、今後も使用いたすことになるので、大切に保存願いたい。冊子には、番号と名前が書かれ、会議後回収いたす。失礼ながら、秘密保持のためである。朝鮮半島の付け根から、モンゴルの間で、モンゴルは、かつての元(げん)の発祥の地である。ここは、遊牧民が専らの生活手段であり、彼らには、国境的な感覚や意識はないものと思われる。我らの乗馬の教師は、ここの王の一人である汗(ハーン)との友好的な関係から、来てもらっている。そのために小麦や、羊などを送っている。汗は、王であり、部族長でもある。汗は、何人もいるが、その中の最も勢力のある、チンギス汗の末裔の汗と外交をしている。ここまでは、よろしいかな?」

 一同が、大きく頷いた。

幸村が、さらに地図を差しながら、

「この、モンゴル、蒙古ともいうが、それと、東北地方の間には、大興安嶺山脈が、峨々として、壁のように聳えている、シベリアの沿海州との間には黒竜江と言う大河が流れている。この大河は、ハバロフスクというところで、二手に分かれ、沿海州側の北蝦夷(樺太)の北部の反対側で、海に注いでいる。ロシア側ではアムール川と呼んでいるが、同じ川だ。ロシア領と言っているが、ロシア人もロシア軍も殆どいない。実行支配は、シベリアの遊牧民たちだ。彼らは、自分たちをロシア人だとは思っていない。明では、彼らを匈奴(きょうど)、東胡(とうご)と呼んだりしていた。前漢の時代には、この東北部を西南から、烏桓(うかん)、鮮卑(せんぴ)、夫余(ふよ)、沃沮(よくそ)といったが、韃靼(だったん)人と呼ぶのが、おおまかには、一番早いかもしれぬ。中華大陸では、漢人以外は、野蛮人の扱いをする思想、風習がある。例えば、時代によって呼称は、変容するが、チベットは、唐、宋金の頃は、吐蕃と呼ばれ、邏(ら)呼ばれた。ウイグル族は、回鶻(かいこつ)と呼ばれた。因みに、日本は、古くは、倭(わ)であり、倭人である。東海とも呼ばれている。朝鮮との間には、西南側を鴨緑(ヤールー)江、東北側に豆満江と言う川が流れて、国境を造っているが、吉林(チーリン)と言うところは、圧倒的に、朝鮮族が多い、かつて朝鮮の高句麗は、この吉林まであった。それで、朝鮮族が多いのだが、こたびの敵は、この朝鮮半島にいる朝鮮ではなく、吉林の朝鮮族と、女真(じょしん)族とも、女直(じょちょく)族とも言われている、族だ。その女真族も、幾つもの部族に分かれていたが、その多部族を統一したのが、太閤殿下が、朝鮮に出兵をされていた時期で、この時に家康は、女真と繋がりを持った。統一をしたのは、愛親覚羅ヌルハチで、愛親覚羅は、アイシンギョロともいう。アイシンギョロは、金氏と言う意味で、そのため、女真族を統一した、ヌルハチは国号を、『後金』とした。満州族といってもいる。満州文字というのもあるほどである。ここまではいいか? 冊子にも書いてある。勉強したいものは、冊子を持って帰っても良いが、持ち出し名簿に番号と名前を書いていくように。因みに、家康と柳生但馬守たちは、現在ここにいる。五百人ほどだそうだ。大関船五隻で渡ったようだ。日本の東北のどこかに、船を隠して置いたのであろう。まだ、征夷大将軍と私称しているようだ」

 幸村の言葉に、一同が、

「ええっ!・・・」

 と言う驚きの声をあげた。

 そのときに、淀が、

「みなの者、これから、戦う敵ぞ。少しは勉強しなされや」

 と厳しい声で言った。

それで、清水将監が、手を上げた。

「差しでがましいですが・・・」

「構わぬ。申せ」

 幸村が、発言を許した。

「満州族の愛新覚羅・ヌルハチは、努爾哈赤と文字を当てていまするが、女真族は、建州女真五部族、海西女真四部族、野人女真四部族の十三部に分かれていたものを統一して、後金としましたが、明は、司令官に李成梁を置いて、おだてる策にでまして、竜虎将軍の官職授けましたが、ヌルハチは、自ら満州族を名乗り、後金の首都を、瀋陽に置きました。この前に、サルフというところで、明を後ろ盾にした、イェヘ部は、朝鮮の兵と民軍合わせて四十七万と号する敵と、十万で戦って勝利しました。イェヘ部の兵の数には水増しがあったのと、明自体にやる気がなかったこと、明、女真のイェヘ部、朝鮮兵の足並みが揃っていなかったことが、敗因だと思われます。そのときに十万と言っていたのですから、統一後は、倍になったと計算しても、二十万ではないかと言う推測が成り立ちます。兵力は、多く読んだ方が、無難かとも思われまするが、こたび、陸軍だけで三十万とお聞きしておりますが、数の上では互角だと思われます。ただ、明は紅夷、ヨーロッパ人を赤毛の野蛮人と呼んだのでしょう。日本で、南蛮と呼んでいるとの同じです。その紅夷のポルトガルの大砲を大量に並べた明側に、散々に蹴散らされて、敗退したといいますから、武器的には、気を付けなければいけないのは、槍や、矢に毒が塗ってあるということだと思います。ポルトガルは、澳門を割譲させて、買うのではなく、借りる形を執っています。百年間みたいな形ではないかと思われます。オランダは、九州ぐらいの国ですが、高砂にゼーランディア城を造っています。海軍、海兵隊を含めれば、戦力的にも勝っていると思われます。以上であります」

 と清水将監が、口を閉じた。

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