第二章 8

   八


 こういうことを考えさせると天才的な知恵を発揮するのが、猿飛佐助であった。

直ぐに江戸にとんで、これらのこと行った。

瞬く間に、江戸中に、このことが広まった。

「なんでい、徳川はもう、将軍でも、何でもねえんじゃねか!」

 佐助の部下や、風魔、半蔵の部下たちも人の集まっている場所で、クチコミ工作を、行なったのである。

 各高札場にも、大きな特設の高札を張りだした。

そして、別の紙に、

「関白様は、勧善懲悪のお方である。この混乱に乗じて、盗み、強盗、強姦、暴行その他悪事をなす者は、即断即決で極刑に科す。南北町奉行所」

 同時に、各街道の関所を開け渡させた。

徳川の役人たちは、抵抗のしよもなかった。

中には、もぬけの殻の場所もあった。

枢要な奉行所、役所をすべて押さえた、町奉行所の与力、八丁堀の同心、手代(岡っ引き)は直ぐに、尻に帆をかけて逃げ出していた。

残っていた者は、そのまま採用した。

噂を聞いて、舞い戻って来た者すべて採用したが、残っていた者の配下にされた。

勘定奉行、寺社奉行も同様であった。

勘定奉行所には、青柳、高梨、飯田、矢野が部下を連れて帳簿のすべてをおさえた。

菅沼氏興も部下を連れて、馳せ参じて、徳川幕府の実態を、把握して、大阪城の幸村

に報告をした。

 江戸幕府の機構を、そのまま利用した。

 幸村は、極端な改革をせず、その地方の機構を巧く取り入れながら、農業改革を押し進めていったのである。

江戸には、隣接している、下総、上総、安房、相模、甲斐、常陸、下野、上野から、一気に物資が、流れ込んできた。

しかし、すべての物資は、問屋が買い取り、価格を安定させてから、小売に廻した。

問屋は、真田忍軍の商人隊がすべてを握っていた。

 江戸は、行政、司法、流通、販売、労働までを、幸村に、実行支配されてしまった。

 悔しがったのは、家康である。

腸が捩じれるほどに、涙を流して悔しがった。

 しかし、周囲の反応はクールであった。

「徳川は終わったのでござるよ。幾ら何石の大名と言われても、本貫地が、取り返せなければ、浪人と同じでござろう」

 と自分たちの生活を考えていた。

 やがて、一人去り、二人去りしていった。

 幸村は、伝令を出して、寒くならないうちに、

択捉島を探索させて、金塊と原石を、輸送船で伊勢湾の久居におろして、荷馬車で、一気に大和郡山城に運んだ。

指揮は、伊木にさせた。

もう、家康には、金子もないはずであった。

 青柳と高梨、才蔵が正純と会った。

四人は面識があった。

才蔵が、本題をズケリと述べた。

才蔵は、正純と家康と、巧く行かなくなっているのを、探索済みだったのである。

「正純殿、本多一族をまとめられて、豊臣に移られてはいかがか? お誘いは、一度しかいたさぬ。江戸はすでに、豊臣の力で実行支配いたしておる。家康は、すでに貴殿と会うのを嫌がっているそうな。そんな主人に、義理立てが必要でござるか? 人間の価値は、必要性でござるよ。あの年寄に従って、本多殿までが腐り果てるのは、いかにも勿体ない。御父上の正信殿も、ご一緒に移られた方がよろしかろう」

「ありがたきお申し出で、感謝いたす。本多一族ごとお引き受け下さるとのこと、さらに感謝いたす。しかし、拙者には、一つだけ・・・」

「秀忠公のことでござろう」

 高梨内記がいった。

「ご存じの通り、豊臣政府は、大名制は廃止いたした。元々鎌倉、室町期には大名と言う制度はごさらなんだ。守護職(しき)があって、これを守護大名と申す言い方があった。それが、この長きにわたった戦国期で、各地に出来星大名が出来た。毛利氏も安芸郡山に、鎌倉から七人の侍で来て、あそこまでのし上がったのは、毛利元就公の力、いまは、吉川(きつかわ)小早川の両川を含めて、一地方人になった。元は大江氏でござる。上杉殿然り。徳川殿も元をただせば、上野の得川出身で阿弥号を持った流浪僧。三河の松平郷で力を付けてここまで来たが、半分は信長公、さらに、太閤の引立てで五大老の筆頭になられたことからでござろう。それをこともあろうに、国内紛争に、大陸から蛮族を呼び込んだ。このことは、万死に価する。故に、全国どこの、元大名家も、旌旗(はた)を挙げず、徳川の正体見たりと、あまりの醜さに、眼を背けられた。さらに、徳川高康なる正体不明の人物を頭領に押したて、豊臣政府に取り立てられなかったという、不満分子を八万も密かに集めて反乱の火の手を上げた。聞けば、太閤殿下のご正室、高台院様と、家康の間に生まれた子供であると家康本人が、不敬なことを申しているとか。実に卑しく、汚らわしい発想である。我らとしては、不満分分子が一気に征伐出来て、好都合であったが、これは、情け容赦なく半分は射殺、半分は、捕虜で、択捉島の先の得撫(ウルップ)島に送った。今年の越冬で、殆ど凍死するでござろう。そんなに不満なら、自分たちで、あの島に独立国を創ることでござるよ。家康殿は、最早、老害。耄碌したとしか思えぬ」

 と青柳が遠慮なくいった。

 肩を落とした正純は頷いて、

「拙者もそのことを、堂々と諫言して、嫌われたようでござる。こたびの件では、譜代の家臣も、余りにも正義がないことから、出陣の場から、旗を巻いて、自宅に戻った・・・これには秀忠公は関与しておらぬ。父でなかったら、怒りのあまりに叩き斬って居りましょう。柳生但馬の悪計に乗せられたのでしょう。拙者の命を、柳生が狙ってるのも承知をしている」

「正純殿の身辺は、我らの手の者が密かに、護衛をしておる。すでに闇の中で、何人かを斃しておる。しかも、但馬は、正純殿をはじめ、本多一族が謀叛をすると言う噂を、徳川内に流しておられるよ」

 才蔵が、首を振っていった。

「徳川は、柳生一族で滅びるな」

 高梨内記がキッパリといった。

「豊臣も莫迦ではござらぬ。これまでに功績のあった大名、家老には貴族として、遇している」

「青柳殿の申されること、拙者も承知をいたしておる。公侯伯子男の五階級の爵位があると」

「こたび、俗に申さば、スッキリしてよいと、朝廷からも、善き制度と詔勅がござったので、勅任官でござる、一豊臣政府の発給する親任官ではござらぬ。御上も大陸から、蛮族を招き入れたことには、驚愕。成敗せよとの詔がござった。そのために、朕が下した詔にはあらねども、徳川に征夷大将軍の命を下したは、朝廷に違いはない。大いに恥じようぞと、仰せあって、豊臣に、十六弁の菊花の紋章の錦の御旗を下賜遊ばされた。みごとな、流れ旗の錦旗であった。徳川は見事な私兵、賊軍となったわ。さて、これだけお誘いしてもお判りにならぬとは、我らの思いも徒労であったわ。愚魯なことよ。犬死されるか。流浪されるか。帰農も出来ぬよ。農地は国有化されておる。今少し頭の切れるお方かと思ったが、買い被りであったわ」

 と青柳が立とうとすると、

「お待ちあれ」

 と正純が、押しと止めて、

「我がことには非ず。秀忠公の、ご処遇。お約束を・・・それさえ確かなら、本多一族はまとめ申す」

「故に、貴族のことまでお話した。しかし、成敗せよと言われた、御上の御怒りへの遠慮がある。時期をみて、悪いようにはいたさぬ。公侯伯子男のどれになるかは、こたびの、悪事に鑑みて、適応いたす。秀忠公のご器量にもよるが、今一つ、秀頼様が異様に嫌っておられる。それは、米一石五両の一件でもお判りであろう。無理はもうされるな、我々の配慮で、善きようにと、お庇いする他はござらん。移られるなら、一日も早い方が良かろう。すでに、榊原一族、内藤一族、岡部、石川、酒井、井伊、小笠原、平岩、三浦、高力、菅沼、牧野、鳥居の各一族は、既に移られて、住居も大阪に移られておる。残るは、大久保、本多、柳生だけでござるよ。出仕してくる家臣の数でお気づきにはなられなんだか?」

「ああ・・・そういうことでござったか。櫛の歯がこぼれるように、少なくなっていった」

「本多正純は、家康の懐刀とは、評判だけか」

 高梨内記が、吐き捨てるようにいった。

「時間の無駄であったな。帰ろう」

「いや。ぜひお世話をお願い申し上げたい。今日中に、一族の者に声を掛け、相模に走りたし。その後一気に大阪城に参る所存」

「相判った。左様大阪にお伝えもうす」

 と話が終った。

 別れ際に、才蔵が、

「近く、柳生の庄は、村ごと消え果申すよ」

 と言い添えた。

「・・・」

 正純は何も答えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る