第一章 7

   七


 それを見て、幸村は、大いに学ぶところがあり、九度山の真田庵や、他の場所でも、各自に、複数頭の犬を飼育するように奨励した。

犬種は、秋田犬や、土佐犬といった獰猛な大型犬であった。

 千人の家康の本陣への斬り込み隊には、その犬を従えていた。

犬たちにも、犬鎧を着せていた。

赤備えで、三本の槍を背中に装備してあった。

 その犬たちが活躍した。

犬に狙われた敵は、飛びかかられて、体を咬み千切られるか、背中の槍に突き刺されていった。

喉笛を狙う犬もいた。

 これにも家康軍は、戸惑った。

対人戦での訓練は重ねてきていても、こんな、謂わば戦闘犬を相手にしての訓練など、行なっていている軍など、恐らくは、皆無であった。

 これは、奇襲の中の奇襲ともいうべきものであった。

こんな、戦闘犬にたいする、心の用意もなかった。

大いに慌てて、右往左往して逃げ廻るのに必死であった。

 しかも、幸村は飼い主たちに、

「可哀想だが、七日間餌をやらずに、檻の中にいれて、厚手の布で被っておくように」

 と命令しておいたのである。

犬たちは、台車に搭載して運んだのであった。

そして、鹿の肉を、矢の先につけて匂いを嗅がせ檻の扉を開いて、肉の矢を、敵陣に向けてはなったのであった。

秋田犬と、土佐犬は、獰猛を越えて、狂暴になっていた。

猛烈に咬みつかれて、悲鳴を上げる者が、数ヶ所で上がった。

悲鳴と言うのは、恐怖に変化するものであった。

そして、戦場に於ける恐怖は、直ぐに伝播するものであった。

 それでなくても、軽輩たちは、戦場が、怖くて仕方がないものなのであった。

足軽たちに、

「勇気を持てなど」

 などと督励しても、詮無いことなのであった。

 徳川家康の先陣はたちまちに、崩れたっていった。

 それも、五ヶ所で、起こっていたのである。

その間にも火薬弓矢、鉄砲、手投げ弾などの攻撃も、間断なく起こっていた。

「何という攻撃なのだ」

「真田幸村の攻撃は、天才的だ。とてもかなわない」

 応戦しても、すべて台車の竹束の盾に防がれてしまうのであった。

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