第一章 5

   五


 服部半蔵の配下から報告があった。

「真田幸村は、大阪城を出て、真田丸という砦を造り、そこに陣取りました。恐 らくは、捨て身であると思われまする」

 報告を受けて、家康は、

「死ぬ気の相手程厄介なものはないぞ」

 首を左右にうち振って呟いた。

「しかも、幸村は知恵者だ。どんな戦法でくるか判らぬ。それが・・・」

(怖い)

 と語尾を嚥下した。


         *


 霧はまだ濃い。

 赤い矢羽根の矢は、藤堂高虎、伊達政宗、秀宗、毛利秀就、福島正勝(福島正則の子)、浅野長晟、片桐旦元らの陣営の心臓部にも、鳴箭して、数名の武将の喉を射抜いていった。

 いずれにも矢文はついていた。

『太閤の恩を忘れ果てたか。そのような忘恩の徒は、生きている価値がない。今からでも遅くはない。鉄砲の筒先を、家康に向けよ。これだけの豊家恩顧の武将が、兵を揃える機会は関ヶ原の役以来にして、二度とない。今こそ、豊家恩顧の諸将が、気持ちを一つにするときはあるまい。さすれば、必ず家康を討てよう』

 すべて、豊家恩顧の諸将の陣営に、義理がたいあいさつとして、矢を放っていったのであった。

「この濃霧で、なぜ確実な矢が、射てるのだ?信じられぬ・・・」

 どの将もが、矢の正確さに、恐怖を抱(いだ)いた。

 霧が少し晴れかけた。

 そのときであった。真田丸から、五千の兵が、五隊に分かれて、杉先の陣形で、討って出た。

「家康が着陣した!」

 との報を得るのと同時であった。

 霧がまだ、たなびいている中を、千の兵が、疾風のごとく、家康の本陣に、脇目もふらずに斬り込んでいったのであった。

 鎧兜はもとより、槍、刀の鞘から、弓に至るまでが、赤く染めてあった。

 騎馬の将はもとより、徒歩の兵までが、赤備えであった。

 赤備えは、軍神と恐れられた、甲信の武田信玄の赤備え以外には、およそどの将も、眼にしたことはなかった。

 赤は、戦場では、嫌でも目立った。

そのためによほどの豪の者か、死を覚悟した軍団以外には、装備することはなかったのである。

 その赤備えに翩翻として翻る旌旗(せいき)は、ほぼ正方形で、青地に白抜きの銭が、横に二段に、三つづつ並んでいた。六文銭である。冥土の三途の川の、渡し賃である。

「真田だ!――」

 誰もが叫んで、赤備えの行く手を、転げるようにして避けた。

 杉先の陣形とは、杉の木の形のような、細長い二等辺三角形のような陣形で、隊自体が、一本の錐(きり)のように、相手の陣に一直線にもみ込んで、斬り開いていく陣形で、少人数で、この形を執るのは、決死隊を意味していた。

 真田隊は、その千人隊を五隊に編制して、他の将の陣には目もくれず、家康の本陣を目指して、五ヶ所から、攻撃を掛けていったのである。

 まだ、霧は、晴れ切ってはいなかった。

 その中を、赤備えが、疾駆していった。

 徒歩武者たちの動きも敏捷であった。

 異様に早い。

 早いのも当然であった。

 徒歩武者たちは、一台の台車に十人ずつが乗っているのであった。

 その一台の台車を、四頭の馬鎧を着け、龍面を付けた騎馬が、曳いているのであった。

 台車の車輪が大きく、人間の背丈以上にあったから、直径八尺ほどはあった。その車輪の四ヶ所に、三つ股の刃がついていて回転していた。

 それに触れただけで、手足などもぎ取られてしまう。

 とても近づけるものではなかった。

 台車には、車輪が六輪ついていた。騎馬の方にも四輪ついていたので、十輪車であった。

 竹束や、鹿革で、被った盾がついていた。

 馬と馭者も、被われていた。

 その上に馬鎧を着けているのであった。

 その大型戦車のような台車で走りながら、鉄砲や、弓矢を射ていった。その他に弩も使っていた。

矢や、弩の矢の竹の節を抜いて、その中に火薬が詰めてあった。

 奇妙な矢で、通常の位置に矢羽根が付いている以外に、鏃と矢羽根の間にも、三枚の羽根がついていた。

 こうすると矢は通常の矢の三倍もの飛距離が出た。

 速度や、威力も当然、増幅した。

 途中から、導火線が出ていた。

 長さが計算されてあって、的に突き刺さってから数瞬後に、矢の中の火薬が爆発した。

 矢の刺さった場所によっては、人間の体が木端微塵に吹き飛んだ。馬首に刺さると、馬の顔が吹き飛んだ。

 これは視覚的に、とてつもない恐怖を、相手に与えた。

「な、何だ?・・・この矢は・・・」

「うわっ!・・・目が、開けていられないぞ」

「い、息も出来ない!・・・」

 火薬には、特別の、忍びなどが使う、刺激剤が混ぜてあって、硝煙と共に、ばら撒かれるのであった。

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