「烈風 真田幸村戦記」ー空想時代シュミレーションー

牛次郎

第一巻 第一章 「真田赤備え疾(はし)る」1

   一


 濃霧であった。

 ときに自然は、人の営みを、すべて被い隠していくことがあった。

 視界を白濁の世界に奪われて、戦場にいるすべての者が、感覚を、耳の世界だけに、頼る他はなくなっていた。

 白い闇の中に、身を置いているのである。

 少しの音の変化でも、聴きもらすまいと、神経が異様に鋭角化していた。

 声、音から、自陣は勿論のこと、もっと気になる敵陣の状況をも判断するほかはなかった。

 判断した結果の動きを気配と称した。

 気配は、明確なものではない。

 不確かであるために、かえって不安を運んできた。

「ご油断めさるるな」

 鎧武者の将が叫んだ。

 自分指物の紋は梅鉢である。

 加賀の前田利常の馬廻りの者である。

 黄母衣が、風を孕んでいた。

 利常の柵際(さくぎわ)の旗本衆の一人、枝野作衛門利次であった。

 母衣を付けているので、今は自分指物を外していた。

 諱(いみな)に利の一字を貰っているとろから、寵臣の一人に違いなかった。

 主君前田利常の祖父、利家は、豊臣秀吉の存命の時代には、五大老の中でも、大納言で、徳川家康と肩を並べる二大老とも呼ばれていた、豊臣恩顧の大身であった。

 当然、大阪城を守るべき大将であっても、おかしくはない存在だったであるが、こたびの、大阪城冬の陣では、家康側に廻って、一万二千人の兵を率いて、真田丸に寄せて来ていたのであった。

 豊臣から見れば、完全な、裏切りであった。

 その枝野が、部下や、同僚に、叫び終えた、一刹那に、発した声が、

「ぐえっ!」

 という動物的な、そして末路を予感させるものに変わっていた。

 枝野の喉の芯に、一本の矢が、いかにも深々と貫通していた。

枝野は即死した。

 その矢の羽根は、赤く染めてあった。

 駆け寄った、枝野の同僚は、赤い矢羽根を見て、大声で、

「真田だ!」

 と叫んだ。

 その響きの中に、押さえられない恐怖があった。

 恐怖は的中して、その言葉の語尾が消え去らない間に、枝野と同じく喉元に、二の矢を受けて絶命した。

「殿をお守りしろ」

 馬廻り役の小姓たちが、利常の身体(からだ)を盾で、隙間なく被った。

 枝野の同僚を射殺した矢には、文が結んであった。

『汝が祖父殿は、豊家の大老職にあった身。豊家に殉ずるが武士(もののふ)の道理、家康が恐ろしゅうて、主家に弓引く恥知らずに成り果てたか。祖父殿、大納言も黄泉で面を被うておられよう。今からでも遅くはない。梅鉢が旌旗、家康に対峙させてはいかがか。正義に背を向けし者に未来は無し。無明にむかうお手伝い、いつにても仕り候』

 文を読んだ利常は、

「うぐっ・・・」

 と熱した鉛を呑んだ思いに駆られた。

 次の瞬間であった。唸りを生じた鏑矢が、十数本、箭鳴(せんめい)を発して、利常を被う盾に、深々と突き刺さっていった。

 いずれの矢羽根も、赤く染めてあった。

 濃霧の中で、確実に、前田利常を狙っていたのである。

(恐ろしきは、真田幸村よな・・・)

 前田利常は、二十二歳の若さであった。養子である。

 十一月中旬の寒気のためではなく、心の芯から、体内に地震が勃発したかのように、震えを生じて、止まることを覚えなかった。

 矢文の理は、正義として通っていた。

 利常は、震える脳裏で、

「強者に付くは、大名の処世である」

 と理解していても、

(いかにも、潔よしとせず)

 の思いに苛(さいな)まれはじめていた。

 慶長十九年十一月中旬――

 徳川家康は、二十万の兵をもって、大阪城の豊臣秀頼と、その母、淀の方を包囲した。

 対する豊家、大阪方は、半分の十万をもって迎撃した。

 優劣は明白であったが、智将をもって鳴る、真田幸村は、大阪勢の、実質的な統領、大野治長の三顧の礼の乞いによって、家康によって蟄居させられていた、紀伊半島の九度山から、一族郎党とともに、大阪城に入城したのであった。

 九度山の西南よりには、高野山があった。

 その根本道場、金剛峯寺は、古義真言宗の総本山である。

 弘法大師、空海の開山した霊場でもあった。

 いかにも草深い。

 九度山は、紀伊和歌山城で、三十七万六千石を領している浅野長晟が城主で、長晟は、長政の次男であった。

 その監視下で蟄居となったのは、慶長五年(一六〇〇)七月の石田三成挙兵による、関ヶ原の役の時に、西軍、石田三成が率いる、豊臣軍に加担して、東海道を進んだ本隊、家康軍の別働隊として、徳川秀忠が、中山道を進軍したのを、信州上田城において、真田昌幸、幸村父子が、三万八千の秀忠軍を、ゲリラ的戦法で、散々に悩まして、本来の目的である関ヶ原に到着したのは、関ヶ原合戦の四日後のことであったということから、真田父子は、その処断として、九度山に蟄居となったのであった。

 しかし、真田一族を概観するのには、幸隆・昌幸・幸村の三代を通観するのが筋である。

けれども、本作の主題は、真田幸村の活躍を描くのが本旨である。

 ために、幸隆・昌幸には触れない。

 ただ、真田一族の、武略の家系に触れないわけにはいかないであろう。

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