第52話 5年前~エリスとミリアの小さな冒険 後編
エリス達がアイリスの店を離れて数刻経ち、山の中腹に差し掛かった頃である。山道の傍らに、木の幹に背を預けて倒れている兵士の姿があった。
「ちょっと、あなた大丈夫!?」
「う、うう……」
「命に関わるほどではなさそうですが、ヒドイ火傷ですね……」
「ちょっと待ってて。ええと、アイリスの薬セットに火傷の治療薬があったはず。それを回復薬を組み合わせて使えば……」
エリスは革袋から治療薬と回復薬を取り出して兵士に使った。淡い光が兵士を包み込む。
「う、あ……。ここは……?」
「どうやら意識を取り戻したみたいですね」
「大丈夫? 何があったの?」
「えっ!? ひ、姫様!? どうして姫様が!?」
「え、ええと……。た、たまたま通りかかったっていうか? ほら、この先に温泉があるじゃない。わたしたちいつもその温泉近くで遊んでいるのよ」
「そうですか……。おかげで命拾いしました。申し訳ございません。お見苦しいところをお見せしてしまって」
「まあ、構わないわ。それよりあなたはどうして倒れていたの?」
「すみません。この先の山奥でサラマンダーと戦闘になりまして、一人では倒す事がままならず増援を呼ぼうと退却したのですが、追撃のブレスを受けてしまい……。何とかここまでは降りて来られたものの力尽きてしまいました。お恥ずかしい」
「そうなのね。ところで歩ける? 一人で城まで帰れそう?」
「はっ! 姫様のお陰でもう大丈夫です。ご心配ありがとうございます! 私はルーク様に報告をしなければなりませんので一足先に城に帰らせていただきますが、姫様たちも危険ですので、あまり山奥の方には行かないようにしてください」
「わかったわ。気をつけてね」
兵士が山を下りるのを見送った後、エリスは言った。
「さあミリア、行きましょうか」
「やっぱり行くのですか? サラマンダーが出ると言っていましたが。城の者に任せた方がいいのでは……?」
「だって、今から戻って討伐隊を組んでいたら今日中に火龍草を手に入れるのは無理じゃない。明日になっちゃうわ。母さまが苦しんでいるんだもの。わたしたちで取ってきましょう。サラマンダーくらい戦っても何とかなると思うし、それに無理して倒さなくったって、火龍草さえ取れればいいんだから簡単でしょ」
「わかりました。伯母上のためですしね。進みましょう」
そうしてエリスとミリアは火龍草の生息地帯である山の奥へと進んでいった。
◆
休火山ではあるが火口近くは、その熱気のため草木はほとんどなく、ゴツゴツした岩肌が広がっていた。そんな場所に力強く生えているのが火龍草と呼ばれる薬草だった。
しかし、その手前に一匹のサラマンダーがその巨体を丸めるように横たえていた。
「寝てるわね……。そっと近づいいていけば見つからずに火龍草を取って来れるかも。わたしが行くからミリアはここで待ってて」
「あぶないですよ姉さま。もしサラマンダーが目を覚ましてしまったらどうするのですか!?」
「その時は私が食い止めるから、その隙にミリアが火龍草を取ってきてちょうだい」
「食い止めるって言ったって、あんな巨大なサラマンダー見た事無いですし危険ですよ。やはり城の者達に任せた方がいいのでは?」
「ここまで来て何を言ってるのよミリア。わたしが強いのは知っているでしょう? 時間稼ぎくらい余裕よ。ミリアの方にブレスが飛んで来ないようにちゃんと氷魔法で防いであげるから心配しなくていいわよ」
「でも……」
「早くしないと起きちゃうかもしれないじゃない。行ってくるからね」
エリスはそう言って、足音を忍ばせそっとサラマンダーの方へと近づいて行った。その時だった。
「何!? いきなり地面がっ!? お湯!?」
急に岩床が割れ、下から温泉が水柱となってサラマンダーとエリスの間に立ち上がった。この地帯に広がる不定期に吹き出す間欠泉。それが最悪のタイミングで吹き出してしまったのだ。サラマンダーが目を覚ましてしまった。
「ミリア走って!」
エリスはミリアに向かってそう叫んだ後、氷の剣を魔法で作り出し、剣先をサラマンダーの方に向けた。
「わたしが相手よ! かかって来なさい!」
エリスに気付いたサラマンダーは大きな咆哮をあげた後、その巨体からは信じられないような跳躍を見せてエリスに向かって飛びかかってきた。エリスはそれを素早く躱し、氷の剣をサラマンダーの左前足に突き立てた。
「ギャオオオオオオオン!」
「こんな事なら城から魔剣を持ってくればよかったわね。魔法で作った剣じゃ倒すのは無理っぽいわ。ミリア急いで!」
ミリアはエリスとサラマンダーの姿を見つめたまま、まだ動けずにいた。
『怖い……、でも行かなくちゃ』ミリアはそう決意し、震える足を拳で一回叩いた後、火龍草の方へ向かって走り出す。その時だった。
「うわああああ!?」
「なっ!? またお湯が! ミリア大丈夫!?」
突然ミリアの目の前の地面が割れ、水柱が上がった。
それと同時にサラマンダーがミリアに向かって大きく息を吸い込んだ。
ブレスの前の予備動作。
それを見たエリスは魔法の詠唱をしながらミリアの目前に割って入った。
「凍てつけ氷の盾よ! サブフリージングミラー!」
エリスは氷魔法の盾でサラマンダーの吐く灼熱の炎を受け止めた。
「はあああああああああ!」
エリスの予想よりも炎の勢いが勝っていたのだろう、精一杯の魔法力で氷の盾を維持しようとしているものの押されている。
「そんな姉さま! 逃げてください! このままじゃ……」
「あなたを置いて逃げられるわけないでしょっ! ミリアの方こそ今のうちに逃げて!」
エリスの言葉を受けて、立ち上がろうとするもミリアは足が震えて動くことができなかった。
「何で、何で。あ、足が……。動け! 動いてよワタシの足っ! このままじゃ姉さまが死んじゃうよっ。いやだ。もうやだよ。ワタシのせいで大切な人が死んじゃうのはっ……」
そう叫び声を上げるもミリアは立ち上がる事ができなかった。
そのうえ、エリスの姿が亡き母ミレーヌの影と重なって見えてしまい、大粒の涙が目から溢れ出して止まらない。
その時。岩陰から何かが飛び出してきてサラマンダーの腹に体当たりを喰らわした。
「ギャゴオオオオオオオオオン!」
サラマンダーは苦しそうに天を仰ぐ。
「えっ! スライム!?」
「スラエモン!? あなた付いて来てたの!?」
体当たりをしたのは魔王城に住んでいるエリスの友達のスライムだった。
怒りに震えるようにサラマンダーはスライムに向かって右腕を振り下ろし、まともに喰らったスライムの身体は砕けて四散した。
「スラエモーーン!! よくもスラエモンを! もう許さないわ!!」
エリスはそう叫んだ後、再び呪文の詠唱を始めた。
「魔族の姫たるエリスが命じる! 集え氷結の刃よ! エターナルフリージングスピア!!」
エリスが空に向かってかざした手のひらの上方に無数の巨大な氷の槍が生成され、サラマンダーに向かって放たれた。
氷の槍は大口を開けたサラマンダーを捉えて脳天を貫く。そして、サラマンダーの巨体は崩れ落ちるように地面を揺らした。
「ミリア大丈夫!? 怪我はない?」
「ワタシは大丈夫です。それより姉さまの方は……」
「わたしは平気よ。あっ、ミリア、あなた足を怪我してるじゃない。だから動けなかったのね」
「えっ? あ……本当ですね。腫れて赤くなってる。ごめんなさい。自分でも気がつきませんでした」
「ちょっとじっとしていて。ヒール! ……って、ごめんダメみたい。さっきので魔法力を使い切っちゃったわ。アイリスの回復薬も来る途中で全部使っちゃったし。城に帰るまで我慢できる?」
「わ、ワタシは大丈夫です。それよりごめんなさい。ワタシのせいでスライムが……」
ミリアがそう口にした時、彼女の肩に冷たい何かが乗っかってきた。
「スラエモン? 生きていたのね……。でもずいぶん小さくなっちゃったわね」
「よかった……。死んじゃったかと思った……」
「ほら、ミリアも泣かないで。ちょっと待っててね。火龍草を摘んでくるから」
エリスはそう言ってサラマンダーの亡骸を飛び越え、火龍草を手に入れてミリアの元へと戻って来た。
「さあミリア。乗って。おんぶしてあげる。早く帰りましょう」
「すみません。姉さま。ご迷惑をかけて」
「迷惑なんてことはないわよ。気にしないで。わたしはあなたのお姉ちゃんなんだからそんなの当たり前でしょ。こっちこそごめんね。わたしのわがままで怖い目に合わせちゃって」
「うううっ……。姉さまぁ……」
「もう。ミリアも魔族なんだからこれくらいの事で泣いてちゃダメよ」
エリスの背中にしがみつき揺られながらミリアは思った。
『自分も姉さまみたいに強くなろう。いつか姉さまが魔王となった時に、側に仕えて支えられるように』
そう決意した。
その後、山を降りた二人はアイリスに薬を調合してもらい、城に持ち帰ったのだが、魔王と王妃様のそれぞれにたくさん叱られてしまったのだった。
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