5.それを人は夢とよぶのだろうか

ゆめ【夢】

①睡眠中に持つ幻覚。ふつう目覚めた後に意識される。多く視覚的な性質を帯びるが、聴覚・味覚・運動感覚に関係するものもある。「―を見る」

②はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。「―の世」「太平の―」

③空想的な願望。心のまよい。迷夢。「いたずらに―を追う」

④将来実現したい願い。理想。「海外雄飛が彼の―だ」「―を描く」


「広辞苑」(第六版)より抜粋

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 自室に戻ったイヴは、部屋の照明も点けずに、執務机に向かって座っていた。ヒューマノイドには照明など不要だが、慎也と共に過ごしていた時は、彼に合わせて照明を使用していた。だが今日からは、そんな必要も無い。静まり返った部屋の中では時間すらも停止して、暗闇がその空間に重く沈殿しているかのようだ。その静けさの中でイヴは今朝の出来事を反芻していた。正確には、暫定メモリに保存された記録を再生していた。それを人は夢とよぶのだろうか。

 彼女には、自分の行動が判らなかった。既に息絶えた敵に向かって、なおも銃弾を撃ち込むことの意味が理解不能であった。あれを “怒り” と呼ぶのだろうか? それとも “憎悪” か? あるいは “絶望” なのだろうか? ヒューマノイドに “気力” という物が存在するのかイヴには判らなかったが、彼女は何もしようと思えなかった。何をするべきか考えることも “億劫” だった。内部の自己診断機能をアクティブ化させても、何処にも問題点は見当たらなかった。自分の身体に起きている理解不能な現象の定義を見いだせなかった。

 それに、あの魔物が言っていたことが、彼女のAIチップに得体の知れない暗雲を垂れ込ませていた。


**********


 その巨大生物は、強固な鎖に繋がれ、部屋の中央に固定されていた。下半身はほぼ消失していたので、冷たいステンレス製のテーブルの上に載せられた状態で。周りには強力な銃器が備え付けられており、強化ガラスでできた窓を挟んだ監視ルームから、ボタン一つで発砲させることが可能となっていた。魔物を捕獲した際の状況を無線で聞いたイヴは、負傷している顎にも外科的な手術を施させ、喋られるところまで修復するよう指示を出していた。もちろんその手術は、医療班の安全を図るため、たっぷりと麻酔を効かせて行われた。これにより、若干聞き取り難いが、魔物との会話が可能となっていた。


 「停戦交渉のつもりか?」

 強化ガラスを隔てたこちら側から、イヴがマイクに向かって喋る。

 「我々は停戦などしない。君たちに警告を与えに来ただけだ」

 内部で拾った音が、こちら側のスピーカーを通して聞こえた。魔物の声は、その醜悪な外観とは異なり、いたって普通の人間と変わらなかった。

 「警告だって?」

 「そう。我々は君たちヒューマノイドとは和平を締結する用意が有る。ただし人間は、この星から抹殺する。人間と組むのはやめて、我々と組んではどうかね?」

 魔物は挑戦するような不敵な笑いを浮かべた。

 「何故そこまで人間を敵視する?」

 「それは彼らが私たちより劣っているからさ」

 「劣っている?」

 その意外とも思える発言に、イヴがたじろいだ。

 「その通り。君たちは我々を何だと思っているのかね?」

 「知らない。興味も無い。人類の敵としてしか認識していない」

 予期していた通りの反応が返ってきたことに満足するように笑い、それまでとは違った力のこもった声で魔物は言った。

 「我々は人類が進化した姿、つまり人間なのだよ。君たちを作ったのは旧人類。そして我々が新人類なのさ」

 「そんな話、信じることは出来ない!」

 イヴの目が見開かれた。人類が残した全ての知識や情報を総動員しても、到底、到達しえない話の展開だ。

 「何故かね? こんなグロテスクな見た目だからかね? 我々の体が鱗の様なもので覆われているのは、旧人類が垂れ流したカドミウム、有機水銀、シアン化水素などの有害物質から皮膚を守るためさ。その表面に分泌される粘液は、毛穴から侵入する鉛化合物などの微小降下粉塵、硫黄酸化物の煤塵を遮るため。放射性物質に対する耐性も持っている。旧人類が放出をやめなかったフロンによって破壊されたオゾン層のおかげで、発がん性を持つまでに増加した紫外線を避ける為、瞳孔は極限まで縮小された。薬品漬けの食品と怠惰な生活習慣によって、旧人類が失いつつあった生殖機能を増強するため、我々は巨大な性器も獲得している。そしてそれらの元凶を作り出した旧人類を一人残らず抹殺するまで、我々が攻撃の手を緩めることは無い」

 「人類はそこまで愚かではないわ。過去の失敗から学ぶ賢さを持っている」

 イヴは弱弱しく反論した。

 「本当にそうかね?」

 本当にそうなのか、イヴには判らなかった。

 「一度は手放した兵器を、君たちを使って再生させたのは旧人類ではないかな? 君たちが今手にしている銃、戦車、ミサイル、戦闘機、爆撃機、戦艦、潜水艦などは、旧人類の愚かさの象徴ではないか? 知的生命体である我々が武器を手に取らず戦っていることを評価して貰いたい。君たちヒューマノイドが勢力を拡大する前、人類は無害な野生動物の絶滅危惧種の一つに過ぎない所にまで、その地位を落とし込んでいた。あのままであれば、この星のエコシステムを崩壊させるような愚かな行為を、もう二度と行うことが出来なかったはずだ。だが、そこに君たちが現れた。君たちは今、彼らが犯した過ちを、もう一度繰り返す手助けをしているとは思わないのかね?」

 「そんな・・・」

 「私は予言しよう。いずれ君たちヒューマノイドは、国境という無意味な境界線を挟んだ別々の組織となって、ヒューマノイド同士の殺し合いを始めるだろう。もちろん君たちの背後には旧人類が居て、自分らの代わりに君らを戦わせるのさ。朝鮮半島に上陸した君たちが、侵略者として拒絶されたことは覚えているだろう? 旧人類は自分たちの愚かな歴史から学ぶことも、それを将来に活かすことも知らない。彼らは、この地球上で最も野蛮で愚劣な種だが、その知能は無視できるほど低くはないのだよ」

 「・・・・・・」

 「今ならまだ間に合う。世界中のヒューマノイドは、まだ君の指揮下に有る。この時を逃しては、地球上に平和は訪れないだろう。武器を置き、我々と共に新たな世界を築こうではないか。君を作ったあの男も、そのことには気付いていたのではないかな? 彼はもう居ないのだろ? 決めるのは君だ」


**********


 イヴは考えるのをやめた。いや、これ以上考えることが出来なかったのかもしれない。父を失ったという事実と、魔物とのやり取り。彼女には、処理せねばならない大きな議題が重くのしかかり、その重さに圧し潰されそうな気持ちを抱かせた。こんな時、人間ならどうやって処理するのだろう? イヴは今こそ、慎也と話がしたかった。父の暖かな言葉に包まれて、何も考えずに心と身体を休めたかった。彼女が出来ることと言えば、自分自身をスリープモードに移行させることだけであった。それにより、彼女の内部の活動は最小限にまで絞られたていた。

 あの魔物の言ったことは、彼女の判断能力に支障を来たしていた。奴の言う通りヒューマノイドは、人間の愚かな行いを再現させる手伝いをしているだけなのだろうか? 人間の心が判らなかった。その中を覗き込もうとすると、底を見渡せぬ深淵がぽっかりと口を開けているようだ。その中を探ろうと、心の螺旋階段を下りて行った先には、いったい何が待ち受けているのだろう? 醜悪でおぞましい、人間の本性にぶち当たるのか? それとも手を触れることさえはばかられるような、清廉で美しい何かが有るのだろうか?

 そもそも我々は、何故に造られたのか? 我々は、人間の強欲な利己主義の壁に映し出された、儚い影絵の様な存在でしかないのか? 人工知能が神の存在を認めることは無いが、もし神が我々を必要とし存在させたならば、その理由は何であろうか? 数学も物理も化学も、あるいは生物学ですら神の創造によるものだとしたら、ヒューマノイドこそ神の法則に則った存在ではないか? 無神論者とは、定義あるいは視点の違いによって生ずる、信仰の一形態に過ぎないのかもしれぬ。もし、輪廻という宗教的価値観が実在するとしたら、揺りかごと棺が同義語となるように、神と科学は同一の物を指し示す普遍的概念に成り得るだろうか?

 考えることを放棄したイヴであったが、AIチップ内では止めどない思考の断片が、音も無く降り積もる雪の様に舞い、時に風に煽られては、彼女の思考回路にザワザワとささくれの様な違和感を残した。降り積もった雪は、いつしか雲の絨毯のように姿を変え、彼女を優しく、また暖かく包み込んだ。イヴはその優しさを受け入れ、安らかな気持ちを取り戻しつつあった。 

 その時、雲の切れ間から慎也が現れた。

 「お父さん!」

 イヴは慎也の元に駆け寄ろうとしたが、どうしても足が動こうとしなかった。何か粘性の高い液体に腰まで浸かっているかのように、彼女の足は思うように前に進まなかった。

 「お父さん! 待って、お父さん!」

 イヴは思い切り叫んだ。腕を伸ばし、雲をかき分け、必死に進もうと試みても、慎也の姿は徐々に遠ざかって行く。イヴは泣き叫んだ。

 「お父さん! 行かないで! 私を一人にしないで!」

 慎也はイヴに優しい笑顔を返した。イヴの何もかもを包み込み、何もかもを赦し、何もかもを愛してくれている微笑みであった。そしてその姿は、徐々に消えて行った。後にはイヴの頬を優しく撫でる雲だけが残された。


 夜は明けていた。いつもと同じように、慣れ親しんだ朝が訪れていた。スリープモードから復帰したイヴは、今まで見ていた映像のことをボンヤリと考えていた。それは、知覚情報の整理 ―― 自分が経験した事象は暫定的な内部ストレージに「保存」され、必要に応じてその一部を削除したり、1ランク上の「記録」というメモリ領域に転送される。更に重要項目と認識されたものは、AIの個性を司る重要な要素、つまり「記憶」として不揮発性メモリに焼き付けられる ―― という、予めルーティーン化された情報処理手順とは明らかに異なっていた。これまで、スリープモード中のAIプロセッサーに、映像や音声などのイメージ情報が流れ込んでくることなど無かったのに。しかもその情報に対し、明らかに彼女の人工知能は反応していた。彼女は、自分の頬が濡れていることを知った。

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