第3話

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 悪竜ヴァルゴンを倒してすぐ、二人は士官学校へと帰還した。報告の際にカノンは、ユウリが現在神鳥聖装セクレドフォルゲルを使えない状態だと告げた。

「でもユウリ君は絶対に立ち直るんです。なんて言ったってわたしが見込んだ殿方ですからっ!」とは訝しむ教官へカノンが告げた言葉だった。自信満々な物言いに、ユウリはむずかゆい気持ちになるのだった。

 その後ユウリは最後の授業に加わり、放課後を迎えた。革製の鞄を肩に引っかけ、教室の入口へと歩き始めた。

 するとぐっと、右手を誰かが掴んできた。ユウリは振り向いた。フィアナだった。怒っているような悲しんでいるような、複雑な面持ちでユウリを見つめている。

「ユウリ。私、あなたに話したいことがあるの。今からついて来てくれる?」

 真摯な哀願だった。ユウリはしばらく黙っているが、フィアナは目を逸らそうとしない。

「わかったよ」ユウリがぼそりと答えると、フィアナは歩き始めた。ユウリの右手は握ったままだ。

 フィアナはしっかりした足取りで進んでいった。廊下を抜け階段を上がり、やがて二人は校舎の二階の端まで辿り着いた。廊下の突き当たりに接地されたドアを開き、屋外へと出る。

 芝生の敷かれた、教室ほどの広さの空間だった。中央には花壇があり、それを囲むようにベンチが配置されている。背の低い木が六本、芝生地帯の端に植えられている。

「うん、良かった。誰もいないわね。一週間前にここの存在を知って、うってつけの場所だなって密かに当たりを付けてたのよ。人に聞かれたくない話をするのにね」

 フィアナはどこか寂しげに独り言のように呟いた。ユウリの返事を待たずに歩き出し、ベンチに腰かける。

 ユウリはフィアナの隣に座り、落下防止の柵の外へと目をやった。士官学校の校庭や時計塔があり、さらに向こうには聖都の瀟洒なレンガの街並が見られた。

「ルミラリアは本当に良いところだと思うわ。衣食住に困る人は少ないし、治安は極めて良好。異邦人である私たちもすんなり受け入れてくれた。何より驚いたのは、次代の最高指導者であるルカさんの死亡事故で、加害者のシャウアが不問に処されたことね。ルミラリアの根底に流れる寛容の精神を強く感じたわ。

 ……でもルミラリアに限らず、為政者がどれだけ優秀で隅々にまで気配りをしていても、不慮の事故は完全にゼロにはできないのよね」

 遠い目で街を眺めながら、フィアナはしみじみと語った。風が吹き、滑らかな栗色の髪がさらりと揺れる。

「私ね、弟がいたの。年は二つ下だから、シャウアと同級生ね。小さい頃から仲良しで、三人でよく遊んでいたのよね」

(こないだちらっと言いかけてたか)ユウリは小型悪竜ヴァルゴン戦後の病院での会話を思い起こす。

「私が十四歳の年の、夏の熱い日だった。私たちは三人並んで、教会図書館に向かっていた。すると空から、ハンマーが落ちてきた」

 ユウリはぎょっとしてフィアナの顔を見た。諦観を滲ませた沈んだ面持ちをしていた。

「弟の頭に当たった。ガゴンッって鈍い音がして、地面に倒れた。私はしゃがんで弟の状態を確認した。頭から血がドクドク出てて、私は泣きそうになった。シャウアが人を呼んできて、弟は病院に搬送された。でも……助からなかった」

 一気に言い切ったフィアナは俯いた。「ハンマーは何だったんだ?」絶句しつつもユウリは問うた。

「教会の鐘塔を建てていた大工が、汗で手を滑らせた」

 淡々とした調子でフィアナは返事をした。

「……そうか。それは本当に、辛い出来事だと思う。フィアナの弟の冥福を祈るよ。でもその話で結局、何が言いたいんだ? ルカの死も偶然の悲劇だから、すっぱり諦めろってのか? くそっ、くそくそ! そんなのできるわけないだろ! 他人事だから! 自分の身内じゃないからそんな涼しい顔してられ──」

「私だって悲しいよ!」フィアナが叫んだ。怒り、やりきれなさ、悲哀。様々な負の感情の入り交じったぐちゃぐちゃな声だった。

「ルカさんは悪竜ヴァルゴン真球スフェイラに殺されかけた私を、身を挺して治癒してくれた。そりゃあユウリよりは付き合いは短いわよ。だけどその短い付き合いの中で、色んなものを貰った。死んでも何とも思ってないなんて、そんなことは絶対にない」

 きっぱりと断言すると、フィアナはふっと表情を緩めた。

「シャウアを、赦してあげて。あの子は神代かみよの戦から戻ってきてから、ずっと黒神蝶の断罪エデン・カノゥネの研究をしてたの。食事もろくに摂らずに、睡眠時間まで削ってね。それでも完全に再現はできなくて、悲惨な事故が起きてしまった」

 フィアナは諭すように語った。顔付きは穏やかで、普段よりはるかに大人びて見えた。

「弟の死の原因となった大工も、ルカさんを死に追いやったシャウアも、私はもう赦している。どうにもならないことを気に病み続けても、事態が好転したりはしないもの。怒りや恨みは心から消し去って、赦す。そうしないと私たちの心は、一歩も前には進めないのよ」

 フィアナが重々しく呟き、辺りに沈黙が訪れた。十秒ほど経過し、フィアナは着衣を正してすっと立ち上がった。落ち着いた足取りで、屋内に続くドアへと歩いていく。

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