やっぱり見えない!

1

 健太郎は同じ高校の一年先輩で、サッカー部のエース。京子は教室の窓から、彼の華麗なボールさばきをウットリと飽きもせず眺めるのが好きであった。勿論、一番のお気に入りはジェス(ジャスティン・ブラウン)なのであるが、そこはそれ、やっぱり身近な所で憧れの男子を確保しておくのは、健全な女子高生としては当たり前のことであった。そんな健太郎が、なんとこの『華の湯』にやって来たのだ。

 多分、いや絶対に彼は京子のことなど覚えていないし、同じ高校であることすら気付いてはいないだろう。


 ある化学の授業で、実験に使う器具の一部が三年のクラスに貸し出されていて、授業が滞るという事態が発生した。その時、化学担当教諭の命を受け、学級委員だった京子がその三年のクラスに器具を取りに行くという事があったのだ。京子が恐る恐るそのドアを開けたのは、大学受験を控えた男子生徒だらけの理系クラスであった。そこでは数学の授業が行われていたが、京子が顔を出すと、女子生徒に飢えた野郎どものどよめきが起こった。

 「おぉーーーっ! 天使が舞い降りたーーーっ!」

 「若いぜピチピチ16歳!」

 「顔、小っせ!」

 男子って、どうしてこんなにもアホなんだろう。自分たちだって17歳のくせして。京子が先輩男子生徒たちの浮かれ騒ぎを無視して、教壇の教師に要件を告げると、それを聞いた男子生徒の一人が言った。

 「あぁ、それならコッチにあるよ」

 それが健太郎であった。健太郎は教室奥の棚の上に置かれていた段ボールを抱きかかえると、後ろ側の出入り口に向かって歩き出した。京子はそれを受け取るため、むさくるしい男子生徒の間を縫って教室の後ろまで移動した。おそらく京子の人生において、それほどまでに男子の熱視線を浴びたことなど無いであろう。数十名の男子の刺すような視線が、京子の全身を嘗め回した。

 「な、何か、いい匂いがするよぉ~」と誰かが言った。教室中が大爆笑した。

 「大丈夫? 教室まで持っていこうか?」

 健太郎はバカ騒ぎする同級生を無視し、心配そうに言った。その日に焼けた顔からこぼれる歯が、キラリと輝いた。健太郎の周りにはバラの花が散りばめられていた。突然吹いた風が京子の顔を撫で、爽やかな余韻を残して通り過ぎて行った。

 「おぉー、こ、これは。昭和の少女漫画にでてくるアレではないか!」

 そう思った京子であったが、もちろんそんなことは口にせず、火照る顔を悟られない様に俯きながら、こう言うのが精一杯であった。

 「い、いえ、大丈夫です。一人で行けます」

 健太郎の手から器具をむしり取った京子は、そそくさと足早に三年の教室を後にした。その背中で「うぉーーーーっ!」などと意味不明の雄叫びが上がるのが聞こえた。


 そんな接点が有りながらも、健太郎の意識内に京子が常駐することは無かった。簡単に言うと「覚えてもらえない」のだ。昨年の球技大会では、当然、サッカーに出場した健太郎を、京子はクラスメイトと共に応援しに行ったものだ。

 「きゃーっ! 健太郎先輩、カッコイイッ!」

 そう叫ぶ同級生と共に、京子も一緒になって騒いだ。

 「今、健太郎先輩、私のこと見たよ!」

 「違うよ、私だよっ!」

 「いやいや、私だって」

 そんなどうでもいい話を、友人たちとワイワイ騒ぐのが大好きだった。

 そんなある日、たまたま校庭横を通りかかった京子の足元に、サッカーボールが転がって来た。それを追って健太郎も近づいてくる。京子の胸の中では、心臓がポップコーンのように跳ねまわっていた。

 「ごめーん! そのボール、蹴ってくれる?」

 京子は自分の顔を指差しながら、息を飲んだ。

 「へっ! 私?」

 健太郎先輩のたっての頼みとあれば、ここは蹴らざるを得ないだろう。ここで女子とは思えない華麗な足さばきを見せて、なんとしても健太郎先輩に自分の存在を覚えて貰うのだ。京子は助走を付け、得意の無回転シュートを放つべくボールを蹴った。それは『華の湯』で悪ガキを成敗するために用いられる、あの必殺技だ。

 「先輩! 私を見て! やーっ!」

 グキッと嫌な音がした。京子の脚が捉えたのははボールではなく、その手前の地面であった。

 と同時に脊髄を駆け抜ける激痛。京子は足首を抑え、転がるようにのたうち回った。

 「ほぉーっ! やってもぉーたぁーっ!」

 健太郎が慌てて駆け寄る。

 「君、大丈夫かい!?」

 涙がちょちょ切れたが、これ以上健太郎先輩の前で醜態を晒してはならない。京子はズキズキ痛む足を引き摺りながら、その場から逃げ去った。

 「大丈夫でーすっ! 部活、頑張ってくださーぃ!」

 そう言いながら走り去る京子の背中を、ボンヤリと見つめる健太郎であった。

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