ノー・スイミング、ノー・パンツ

1

 父、光男から番台を引き継いだ京子が、そこに備え付けられている小さな地デジテレビに見入っている時であった。入り口を開けて団体客がドッと雪崩れ込んで来た。総勢、6~7人くらいだろうか。最近、富に増えている外国人観光客で、彼らは、日本の銭湯という文化にも触れようと、こういった下町の名も無い銭湯にまでやって来るようになっていた。聞いたところによると、海外の何処かのウェブサイトに、日本の銭湯を紹介する記事が載ったらしく、その中に、この『華の湯』が含まれていたらしい。おかげで銭湯のシステムをよく判っていない外国人客が増えて、京子たちはその対応に追われるようになっていた。有難迷惑と言ったら罰が当たるか・・・

 まず彼らは、平気で土足のまま上がり込んでくる。玄関に有る鍵付きの下駄箱の使い方も知らずに銭湯に来るなど、言語道断である。京子は直ぐに番台から飛び降りると、慣れない英語で下駄箱の使い方から説明せねばならなかった。中にはやたら足のデカい奴が居て、二つの下駄箱に一足ずつ入れなければならない場合もある。

 ドヤドヤと脱衣所に入って来た彼らは、物珍しそうにあたりを見回した。長身でむさ苦しい風体の中東系の男が、皆に聞こえるように声を張り上げる。

 「ミナサーン、ココがセントーでーす!」

 この中でも「日本通」なのだろうか。見たところ、様々な国から寄せ集めた、多国籍軍的なツアーの様だ。一同はてんでに、訳の分からない感嘆の声を上げた。

 「おぉー!」

 『華の湯』の何処に「おぉー!」な要素が有ると言うのだ?

 その時、日の丸のTシャツを着たプロレスラーのような男が、その場で正座をして合わせた両手を膝の前に突き、深々とお辞儀をした。

 「それ、今は必要無いからっ!」

 京子が突っ込みを入れる傍らで、デジカメでパシャパシャと写真を撮り始める奴もいる。先客のオヤジなど、タオルで前を隠しながら意味も無くピースサインをしたりして。京子が慌てて「ノー・ピクチャー。ノー・ピクチャー」と言いながら撮影を止めさせると、今度は後ろから「ヒュー!」という品の無い声が響いた。振り向いた京子が見たものは、女湯との境目に吊るされた暖簾を掻き分け、普通に覗いている二人組であった。一人は背の高い赤毛のニキビ面で、もう一人は太った背の低い金髪だ。女湯からは「きゃーっ!」と悲鳴が上がり、二人は「イェーィ!」とか言いながらハイタッチをしている。京子は駆け寄った。

 「ちょっとっ! 何やってんのアンタらっ!」

 鬼の形相の京子に恐れをなした二人組は、首をすくめて退散した。「ったく・・・」と言いながら京子が振り返ると、海パンを履いたまま浴室のドアを開けようとしている奴が目に飛び込んで来た。イタリア系なのか、黒髪でまつ毛も長く、何ともいやらしい胸毛がフサフサしている。京子は、またダッシュした。

 「ノー・パンツ! ノー・パンツ!」

 胸毛は驚いた様な顔で聞き返した。

 「ホワイ?」

 「ノー・スイミング、ノー・パンツ」

 「ホワット・アーユー・トーキング・アバウト?」

 そりゃそうだ。英語の成績の悪い京子は知らなかったが、それは「パンツを履かない水泳なんて」という意味だ。通じるはずが無い。

 言語学的にレベルの低い押し問答の末、にっちもさっちも行かないと判断した京子は、実力行使に出た。最後の手段と言ってもいい。その胸毛の前で跪くと海パンに両手をかけ、そして一気にズリ降ろした。胸毛は妙な声を出した。

 「オゥ!」

 その時、色白で太った別の外人が笑いながら、その後ろを通った。

 「ハッハッハ。君タチ、アメリカ人ハ、パブリックバスのマナーをシラナイ。我が母国フィンランドでは・・・」

 そいつはバスタオルを腰に巻いて、月桂樹だか何だかの枝で自分の身体をパシパシしながら浴室に入っていった。京子は叫んだ。

 「ノー・パシパシ! ノー・パシパシ!」

 浴室でそんな植物を振り回されたら、たまったものではない。丁度その時、信之がやって来たので、京子は大声で叫んだ。

 「信之さん! 変な外人がいっぱい来てるのっ! 浴室の方をお願いっ!」

 「よしきたっ! 任しとけ、京子ちゃん!」

 信之は直ぐさま答え、急いで服を脱ぐと浴室へと消えて行った。その時、京子は海パンをズリ降ろされた胸毛を放ったらかしにし、脱衣所にビーチチェアーを並べ始めた、先ほどの覗きの二人組に文句を言っていた。いや、何も言わず、腰に手をやって睨み付けた。サングラスとパナマ帽も用意済みだったが、今度も二人は肩をすくめ、京子の怒りが爆発しない様にコソコソとチェアーを撤収し始めた。海パンをズリ降ろされた胸毛は、次にどんなサービスが待ち受けているのかワクワクしながら、まだ浴室の入り口近くに立っていた。

 そして振り返った京子は、湯気で煙る浴室に、何やらカラフルな色を認識した。それは銭湯に有るはずの無い色彩だ。胸毛の前を素通りし、急いでドアを開けてその色に駆け寄ると、水中眼鏡とシュノーケルを洗っているクルクルパーマのソバカスがいた。京子はそれを無理やり取り上げ、ソバカスの顔に人差し指を突き付けながら絶叫した。

 「泳ぐんじゃねぇ、コノヤロっ!」

 京子は肩で息をしていた。その息が「ゼー、ゼー」するのに合わせて、「スー、スー」という聞き慣れない音が聞こえた。その音の方を見ると、浮き輪を膨らませているメガネがいる。

 「ちょっと待ったぁーーっ!」

 ったく、信之は何をしているのだ? 浴室の方を頼むと言ったではないか。その姿を探すと、信之は裸の黒人と並んで座り、二の腕の力コブを見せ合いっこしながら、その大きさを比べていた。

 「何やってんのよっ、信之さん!」

 そう叫ぶ京子に、信之は能天気に答えた。

 「あっ、京子ちゃん。こいつイギリスから来たジェームスっていうんだ。スッゲェいいヤツだよ」

 「ジェームスです。ヨロシクです」そう言って彼は頭を下げた。

 京子は先ほどのメガネから奪い取った浮き輪で、二人の頭を思い切り張り倒した。

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