第六章 オオサワ
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「・・・で、どこに向かってるんです?」
随分と走ってから、タカヒサは大事なことを聞くのを忘れていた自分に気付き、あわてて質問した。車窓から見る地球は止むことも無く、水滴をガラスに叩き付けていた。灰皿でタバコをもみ消しながらアオタは応えた。
「港」
エバニッシュの言った通りだ。やはり船をチャーターして南極に向かうらしい。火星で港と言えば、宇宙船の発着場の事だが、ここ地球では、海に浮かべる船のターミナルを指すと、地球に向かう船内でPUZが教えてくれた。「水に浮かぶ船」を想像できずに、タカヒサはブルッと身震いした。もし船が沈んだらどうするのだろう? タカヒサは泳げないのだ。
「どうして船を浮かべるんです? 空を飛べば楽なのに」
タカヒサは心に浮かんだ素朴な疑問をアオタに投げかけてみた。しかしアオタの反応は、質問に対する答えにはなっていなかった。
「オオサワに会う・・・」
「どなたですか? そのオオサワさんって?」
「・・・船長」
なるほど、エバニッシュの言うところの『漁師』が、そのオオサワなる人物なのか。異常気象が頻発する地球で、海に船を浮かべるなどリスクが高い。言ってみれば、自分の命をその『漁師』に預ける事になるのだ。タカヒサは、オオサワについてもっと色々聞きたがったが、アオタから適切な答えを聞き出すのはほぼ不可能だと諦めるしかなかった。
先ほどまでの土砂降りは息を潜め、雲の切れ間からかすかな光が差し込んでいた。
港に着くと、アオタは車を停めた。雨上がりのヒンヤリした空気と潮の香りがタカヒサの鼻腔をくすぐった。なんとも不思議な匂いである。深呼吸しているタカヒサに向かってアオタが声をかけた。
「こっちだ」
置いてきぼりを喰わないよう、タカヒサは自分のザックを背負うと、小走りでアオタの後を追った。
倉庫の様な無機的な建物の角を曲がると、タカヒサの目の前に広大な水が現れた。
「うぉ~っ! これが海ってヤツですか!? これ全部、水なんですか!?」
生まれも育ちも火星のタカヒサには、信じられない風景であった。こんなに大量の水が一箇所に集まっているなんて! 答えを期待していた訳ではないが、あれやこれやとアオタに聞かずにはいられないタカヒサであった。
「これ、塩水だってホントですか? 魚とか言う生物が水の中に棲んでるんですよね? 魚はしょっぱくないんですかね?」
アオタはただ、はにかむ様な笑顔を返すだけであった。
更に進むと、岸壁に横付けされた小さな船が見えてきた。まさかアレで南極に行くつもりか? タカヒサには、それは無謀な冒険としか思えなかったが、アオタはなおも無言で歩を進め、その木造船の横で足を止めた。
「オオサワ!」
アオタが大声をかけると、船内から一人の男が顔を出した。その男は片手を挙げて挨拶すると、こっちへ来いと手招きして再び船内へと姿を消した。
聞くまでも無い事を聞いてみた。
「コレで南極まで行くんですよね?」
「大丈夫だよ」
アオタにしては長めのセンテンスで答えてくれたが、それでもタカヒサの不安を払拭する事は出来なかった。
船に乗り込むと、アオタはタカヒサを置いて、とっとと船内に消えてしまった。仕方が無いのでザックを適当な所に下ろすと、タカヒサは船上をあちこち見て回る事にした。そこには、見た事も無いような合成樹脂のボールや、おそらく魚とやらを捕獲するのであろうネットが整然と並んでいた。船べりから体を乗り出して下を覗くと、確かにこの船は水に浮いている。その証拠に、波が来る度にユラユラと揺れる甲板はタカヒサの足元を怪しくしていた。代わりに出てきたのはオオサワであった。機械オイルで汚れた手をツナギの袖で拭きながら言った。
「シズクイシさん? オオサワです。よろしく」
ここにもまともな人が居てくれた。タカヒサは胸を撫で下ろし、オオサワが差し出す手を握った。
「シズクイシです。南極までよろしくお願いいたします」
オオサワの日に焼けた顔と紳士的な態度がなんだかミスマッチな感じもしたが、メガネの奥から覗く視線は、いわゆるブルーカラーとして生きてきた者のものではなかった。かと言ってエバニッシュの言うような、いかれた「物好き」の類とも違う。この地球での生活に己のアイデンティティを確立している自信のようなものを感じさせた。
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