赤と緑

大谷寺 光

第一章 PUZ1500

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 ディスプレイに突然、ログインウィンドウが現れると、オートログイン設定がされたCPUは勝手にIDとパスワードを入力し、アプリケーションを立ち上げた。そのCPUには、この部屋の全てを集中管理しているPUZ1500がインストールされていた。PUZは室内に部外者が居ない事を検知し、オートログイン機能をアクティブ化させていたのだ。立ち上がったのは”緊急”フラグの立ったEメールの受信画面である。ディスプレイは薄暗い部屋の中にあって眩しいほどの光を放っていたが、睡眠カプセル内で熟睡中のタカヒサを覚醒させるほどの光量ではなかった。その睡眠カプセルは眠っている人間の自律神経の活動状況をモニターし、微妙な温度コントロールによって快適な睡眠を約束する優れモノで、同時に、供給酸素濃度を若干高目にする事によって、疲労回復や自然治癒力の増強効果も付与されていた。もちろんその制御もPUZが一手に引き受けていた。


 カプセルの中でなおもタカヒサがまどろみ続けていると、午前9時を告げる電子音が聞こえ、透明な扉がガルウィング風に開いた。と同時に室内灯が点灯され、川のせせらぎと小鳥達のさえずる声が枕元のスピーカーから流れ始めた。これで爽快な目覚めを演出するらしい。その音に何故そんな作用が有るのかタカヒサには判らなかったが、その不思議な効果は実感していた。ただし川や小鳥など、生まれてこのかた一度も見た事が無かった。「川ってどんなものだろう?」彼は毎朝、同じ疑問を抱きながら目を覚ましていた。タカヒサはカプセルの縁に腰掛け大きな欠伸をした。そしてディスプレイの受信ウィンドウをチラリと見やったが、放っておくことにした。どうせつまらない勧誘メールだろう。


 タカヒサは朝食の準備に取り掛かった。準備と言っても自分で料理するわけではなく、メニューから選択してボタンを押すだけである。朝はどうしても食欲が無い。タカヒサはいつも通り、ポップコーンとコーヒーのボタンを押した。すると壁に埋め込まれた、そのフードサーバー・モジュールが喋り始めた。

 「タカヒサ。貴方の食生活は偏っています。No.13の、ベーコンエッグとサラダのセットをお勧めします」

 またいつもの小言が始まったと、タカヒサは思った。

 「ウルサイなぁ。朝は食欲が無いんだよ!」

 「貴方の食生活に足りない物は、ビタミンA、ビタミンB1、ビタミ・・・・」

 「判ったから、今日はポップコーンを出してくれよ!」

 フードサーバー・モジュールは、尚も喋り続けた。

 「このままでは、10年後の貴方の脳梗塞の発症確立は34%、心筋梗塞は26%、糖尿病は・・・・」

 「あぁぁぁ、もう朝から不吉な単語ばっかり並べやがって!ご主人様の言う事が聞けないのかっ!?」

 「”ご主人様”とはどういう意味ですか? フードサーバー、モデル902の所有権の事でしたら、それは連邦厚生薬事局が保持しております。当局と貴方の間にはモデル902に関する賃借契約が成立しています。もしお忘れでしたら、その契約書のコピーを取得する手続きをいたしましょうか?」

 タカヒサはボリボリと頭を掻いた。

 「ちなみに貴方が今、会話している私は、モデル902本体ではなく、ローカルCPUにインストールされている健康管理ソフト、ヘルスケアラー、ver.2.12.3です。お忘れですか?」

 とうとう我慢できなくなったタカヒサは大声を上げた。

 「PUZ!この面倒臭いクソアプリを黙らせてくれ!」

 ヘルスケアラーはPUZの管制下にあるサブアプリケーションなので、PUZを経由すれば、その起動制御が可能である。PUZは言った。

 「ヘルスケアラーの言う通りですよ、タカヒサ。私も彼に賛成です」

 「お前までそんな事を言うのか?」

 更に食欲の無くなったタカヒサは椅子に腰掛けると両手で顔を覆い、グッタリした様子で言った。

 「もうイイから、コーヒーだけ出すように言ってくれ」

 PUZはヘルスケアラーにコマンドを送った。フードサーバーからはコーヒーとポップコーンが出てきた。


 タカヒサが衛星TVのチャンネルを回しながらポップコーンを食べていると、PUZが言った。

 「タカヒサ。”緊急”フラグの立ったメールが届いていますよ」

 「どうせ、つまらんセールスメールだろ? 削除しといてくれよ」

 TV画面から目を離さずにタカヒサが言うと、PUZが応えた。

 「B&F社のエバニッシュ氏からの動画メールです」

 「エバニッシュさんだって?」

 この時代、どんなに大規模な経営をしている会社でも、いわゆる”社員”と呼ばれる人間は代表取締役以下数十人しかおらず、殆どの企業活動はテンポラリーな契約社員によってまかなわれていた。タカヒサも複数の会社と契約を交わしており、エバニッシュはその中の一つ、BRIDGE&FIRE社のフィールドリサーチ部門を統括している”社員”である。タカヒサはディスプレイの前に座ると、デスク上に置かれたB5版程の透明な板、いわゆるワイヤレス・タッチマウス・ボードを指でなぞってカーソルを動かし、メール上でダブルクリックした。すると動画再生ウィンドウが開いて、エバニッシュが現れた。

 「おはよう、シズクイシ君。新しい仕事の依頼なんだが、メールでは詳しい話が出来ないんだ。今日の午後2時に、社の方に来てもらえないか? 君の探している物が見つかるかもしれんゾ」

 意味深な動画はそれだけであった。画面には返信選択ウィンドウが開いていた。タカヒサは、”ACCEPT”の上にカーソルを移動すると、人差し指でコツンとクリックした。

 「俺が探している物って何だと思う?」

 タカヒサは問いかけたが、PUZは何も応えてはくれなかった。

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