二十話・二十一話
二十
小学四年生になって、一月初めの頃。
私は近所の小さな自動車整備工場の餅つき大会に来ていた。野球俱楽部に所属するセカンドを守っているK君の父親が経営しているとか何とかの関係で野球俱楽部のメンバーは誰が遊びに来ても良かった。他にも近所の住民たちが老若男女問わず集まってきて随分と賑やかな餅つき大会であった。
婦人たちが豚汁やおにぎりを作ってくれたり、老人たちは甘酒やお菓子を配ってくれたり、自動車工場の人は一杯餅をついて我々に食べさせてくれた。
私はこの賑やかな雰囲気がとても気に入ったようで、心身共に舞い上がっていた。野球俱楽部の友人たちと一緒に餅を十五個食べて、私だけ豚汁を五杯も食べた。そのあとめちゃくちゃ吐いた。
本当に苦しかった。胃の中が悲鳴をあげるとはこの事を言うのかと初めて身をもって実感した。吐いたあとの胃液の味は咥内でべったりとへばりついて一生離れないのではあるまいかと不安になり、何度も水でうがいをした。両手両膝をついて何処の誰かも分からない婦人に背中をさすられ、介抱されている私を見た友人たちは、ゲラゲラとめちゃくちゃに笑った。……笑いこけている者もいた。私は途轍もない羞恥心をこの時覚えた。全身がサァットなって冷えて手足の感覚が無くなっていくような感じがした。
この頃にはバタフライを覚えた所でスイミングスクールをとっくに辞めていた。
二十一
18歳になった一時間後、私はひとり、大歳山遺跡公園にいた。14時から16時の間にかけて眠り、23時55分に起床するのが、この頃の私にとって日常だった。ここから見える舞子の景色は、私に心の安らぎを与えてくれる場所の一つであった。
小学三年くらいの頃。ここで父親と最後のキャッチボールをしたことがある。カラーボールを顔面にぶつけてアホみたいに泣くこともなかった。とても普通のキャッチボールだった。
昔。ずっと昔、こっちに越して来てすぐ、一度だけ何かのイベントで、弥生時代に作られたらしい竪穴住居の中に入ったことがある。中はどんな感じであったかあまり覚えていない。ただ住居を囲う竹柵に小粒くらいの赤い実が幾つも生っていて、実には小さな黒い棘があって、周囲にまつぼっくりが落ちていたくらいは覚えている。秘密基地にしたら楽しいだろうなあと思ったことは何度かある。
初日の出の時に、母親にここに連れられて、眠たい目を擦りながら水平線から太陽を見た。知らない人たちが大勢いた。父親は爆睡していた記憶がある。
あとピカチュウの凧揚げで遊んでいたら、知らないちびたちのやつと絡まってしまったことがある。
本当にそれだけの場所。私にとって家の近くにあるただの遺跡公園。大きくなるにつれて来る回数は減り、高校を辞める三ヶ月まで殆ど来なかった。だけどその時期くらいから何か悩みや考え事があれば、必ずここに来て、何もなくても頻繫に足を運ぶようになっていた。
海が見え、漁船やフェリーが見え、明石海峡大橋が見え、海を超えた先にある淡路島が見え、素朴な街並みが見え、山陽電車が見え、そこに生きる人々がポツリと小さく見えた。
朝昼晩と見える景色が変わっていくこの場所は、私に様々な感情を与えた。
朝は昇ってくる太陽が目覚めの希望や活力を与え、年寄りがラジオ体操やカンフー体操をしていて、虫が鳴いて、小鳥が囀り、露濡れの草が確かに存在することを教えてくれた。
昼は小学校のチャイムが鳴り、車のクラクション音や、遠足に来た幼稚園児の騒がしい声が聞こえ、人々の生活から切り離された私に人類の日常音を教えてくれた。
夕方になると犬の散歩をする人が増え、遺跡全体が優しい蜜柑色に塗られ、ひこうき雲が淡い薄紫の線を引いて、放課後の子供たちの遊び声が哀愁を呼んでいた。
夜になると自然な音だけになって、明石海峡大橋がネオンを元気に照らし、近くに住む人々の怒ったり泣いたり笑ったりする声や、カチャカチャと食器が重なる音がよく聞こえてきた。
真夜中になると景色がすっかりと暗に包まれ、ひっそりと月が遺跡全体の芝生を照らし、月のない日には、星々が海のようにキラキラと輝いてみせた。辺りはひっそりとした静けさに包まれている。私はこの自然微かな明かりと虫の鈴音に調和なるモノを覚えた。これぞ地球本来の形である自然に思えて、そこにひとり芝生に寝転んで、目を閉じたり開けたりを繰り返した。
鳴く虫。優しく撫でる風たち。が自然の匂いを纏って私の鼻を通り過ぎる。ひとりでにそよぐ風は世界を旅して、勝手、私の心に無をくれる。
そうしていると、肉をもって息をしている私すらもこの調和を不調和にしている害に思えて悲しくなる、時々。天に申し訳ないような気持ちにもなる。どうすれば私だけがこのひっそりとした調和を、乱さずにいられるか考える。考える。時に馬鹿みたいに考える。暗闇。これを繰り返す。返す。
ああ、苦しいかな悲しいかな。脳みそだけはとても正直で、この調和はとても気持のよいものだと肉体を通して快い気分にさせてくれる。それが凄く罪悪な心持ちにさせる。ひょっとして私はすごく善人ぶった悪人なのではないか。思想、哲学、全てを壊したい。
その次に襲ってくる無力さが、私の心を逆なでる。
本当は禁煙なのであろうけど、腹が立ってきたので、紙の煙草に火を付けた。
ちょうど瞼を開けて入り込んでくる星々に一つ死にかけた赤い星を見つけて、その老星が私だけを見ているように思えて、少し……話してみた。
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