殻裡

meimei

一話・二話

 一


 さて、今となっては誰もが皆、私を「優しい人」だと言う。

 ああ、違う。違うぞ。断じてそんなものではない。いや、結果的にそういう風なことになっているのだからそうであるのかもしれまい。だが私はここに記しておきたい。正直な胸の裡を。

 私は誰よりも人に優しくすることが出来る、ないし誰よりも人の過ちを許してしまえる人間であると自負している。もちろん、人殺しですらも。

 私は人を信用しない。人は人であると信用している。人の存在価値や学習能力みたいな可能性を人に当てはめない。だが機械か、お人形みたいだとも思っていない。それでも人は一度故障、損傷すればしっかりとメンテナンスをして修繕してやればいいと思っている。それは当然の事象から起きた結果であって、自然界の摂理であると実感している。

 だから私は誰よりも人に優しくなれる。そして人一倍、誰よりもひとりでに、失望しているのだ。優しさ。は? 愛とは。ちえっ。くだらない。人が決めた人の価値を誰が信用するってんだい。おお、みんな、みんなですかい、それは、それは大層ご立派なことで。ええ、ではこの様な世俗に生まれてきたワタクシは罪とでもいうのですかい。

 おお、神よ。人は、人はついに此処まできたぞ!

 私は自ら地獄を作り出す事で、自分の存在価値を保ち、自ら地獄に望んで入りこみ、自らの地獄さを慰めることで、己だけ生贄になった気になってようやっと満足する。

 その虚しさ。憐憫。すらも隠そうとするこの肥大しきった自尊心。が、私を誰よりも人に優しくさせる。

 ああ、もう……疲れたのだ。眠りたい。価値も対価もない。どうか優しい世界で、ゆっくりと、安らかに、眠らせておくれ。


 燃える 燃える 太陽神

 青い 青い 空さま 

 白い 白い 雲くん

 揺れる 揺れる 葉ちゃん

 咲いて散ってくれ華たち

 飛んで落ちてくれ蝶や


 幸福も地獄も、強も弱も、酸いも甘いも、のらりくらりもない。

 ああ、愛だけで息が出来るような場所に行きたい。

 笑え。笑え。笑いたきゃ笑え。その分、私が泣いてやる。

 滑稽だ。まさかこの様な文を書く日が来るなんて。滑稽極まりない。ハハハ。ハハハハハハハハハハッ。どうだ。私は笑ってないぞ。

 もう、終わらせようと思う。


 二


 冬の匂いが好きやわ、と十九歳の彼女が言った。

 それに対して私は、「ハ」とか「エ」とか喉を鳴らせばいいものの、真正面にある砂場に足が伸びた青色の錆びた滑り台をただジッと虚しく眺めていた。

 それは私が大阪の美容専門学校を通っていた頃の夏休みに、地元の神戸へと帰省した際に起きたほんの些細な出来事であった。

 彼女が発した言葉は、私にとってあまりにも理解が不能だった。

 先程までの彼女は、子供の世話がどうだとか、やれ成長が早くて毎日大変だなんてぼやいていたシングルマザーだったはず。それが何故か、唐突に詩人にでも変貌しているのではあるまいかと思ってチラと横顔を覗きみたものの、少し丸みを帯びた顎の顔線は、見慣れたそれであった。

 私にとって『冬の匂い』と『好き』という言葉は、街で『銃』と『薬物』を持ち歩いている人を見るくらい理解不能だ。例えばそれがスラム街の中でそういった人を見ればそう思うだけのことであって、この時の私には、ただスラム街の感覚を持ち合わせていなかった。

 私は彼女にそのような言葉を求めていたのではない。ちと一月前に同じ専門学校に通っていたミスMに告白した結果、悉く失恋、つまり振られたのでその精神的疲労に慰安を求めて彼女に会ったはず。だが事は心の裡に描いた感情を起こしてくれなかった。

 その一つの理由が胸の谷間にある。私は彼女が何かの拍子でかがみこむ時があって、その時に見えた谷間を見て、今までの私であるならば経験上、目を逸らすのだがこの時ばかりは凝視していたのだ。何故か。自分でも驚くほどに何も思わなかったからだ。いけないモノを見てしまったという感覚が全く起こらなかったからだ。それは決してよぼよぼのばあさんの胸を見たのではなく、ぎりぎり未成年者の瑞々しい胸のはずだった。

 これは私が悪いのか、彼女の魅力の無さがそうさせるのか。答えは分かりきっている。私は信じたくなかったのだ。そうだ。私だ。私が悪いのだ。私はついに此処まできてしまったのだ。

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