第22話 そんなのもう辻斬りじゃん!

「ん、なに――――っ⁉」


 綾香は身体を一気に強張らせて立ち止まり、目を白黒させながら、一颯に問う。


「あ……え……な、なんで、手、握って……」

「暴れないで聞いてくれ。怪我が悪化する」


 一颯も立ち止まり、真剣な眼差しを綾香へ向けた。


「人の身体を視姦する性癖を披露するのは恋人相手だけにしとけ、本当に。いらんトラブルを招くことになりかねない」

「あ……う……ちが……」


 一颯から目が離せないまま、口をぱくぱくさせる綾香。心なしか顔も上気しているが、走って逃げるようなことはないようだ。物理的に綾香の行動を抑制するためわざわざ手を握ったのだが、一定の効果はあったらしい、と一颯は安心して続ける。


「三浦の、俺の怪我に対する気に掛け具合は少し病的だ。ともすれば、一度病院に行って診察を受けることをお勧めするが」


 目の前で他人が刺傷され続け、血を流し続けるという光景、加えて彼女自身も、一時的に追い詰められていた。それらが心的外傷の要因になっていたとしてもおかしくはない。


 もし本当に綾香がPTSD等を気付かず抱えていて、何らかの弾みで再びあの時のように取り乱すことになれば、どんな結果を呼び込むか。予測がつかないからこそ、芽は早いうちに摘んでおくに限るのだ。


「…………」


 綾香は先程の動揺も忘れ、ぼうっと一颯を見上げる。


「聞いているのか?」

「あ、うん、聞いてる……」

「俺は大丈夫だと思っていいのか」


 上の空気味な綾香に、念を押すように一颯は尋ねた。一瞬、息を呑むようにした綾香は、


「うん」


 と、一颯をじっと見つめたまま頷いた。


 一颯はひとまず納得して、綾香から手を離す。綾香の様子を窺いながら、ゆっくりと歩みを再開した。


 綾香はその後ろに続き、


「ありがとう、藤見君」


 と、一颯へ、陽だまりのような笑顔を向けた。


 それからしばらくして、部室に着く。お互い定位置に腰を下ろし、一息。


 不意に綾香が「ねぇ」と一颯に声を掛けた。


「藤見君ってさ、専門の方に行くの?」

「ん? ああ、そのつもり」


 さっきの話の続きか、と思いながら一颯は答える。


 このままの成績を維持出来れば、『基礎魔道学コース』、『応用魔道学コース』の二つのどちらに所属するか選ぶ権利が得られるだろう。定員は前者が二十五名で後者が十五名。成績上位者から順にその希望が優先されるわけだが、一颯の成績は学年で五指に入るのだ。


「……そっか」


 綾香の表情が僅かに暗くなった。


 専門コースの生徒は、専門コースの生徒だけのクラスに所属することになる。もし綾香が一般コースに進み、一颯が専門コースに進むとしたら、来年から二人は別々のクラスということだ。


 彼女の現状を思えば、不安に思うのも仕方がないことだろう。


 勿論、今の暗い顔が、そんな未来を憂いてのものとは限らないが。


「先のことばかり考えても仕方ないぞ? ほら、勉強教えてやろうか? 進級できる?」

「し、進級ぐらいは出来るからっ。藤見君、私のこと馬鹿にし過ぎっ」


 不満そうに一颯を睨む綾香。


 それを一颯が適当に宥めていると、不意に部室の扉が開いた。


「ん、白希先輩」

「一颯、休憩」

「え? ああ、はい」


 初理の突然の言葉を受け、居住まいを正し始める一颯。その膝の上に、ごくごく当たり前のように初理が腰を下ろした。そのまま一颯の上体を背もたれ代わりにして、リラックス体勢に入る。


「――え?」


 呆気にとられる綾香を余所に、一颯は鞄から取り出した漫画の単行本を、初理に言われるでもなく、初理にも見えるように開いた。


「ん、一颯、これ前に読んだわ」


 一颯の両腕に挟まれている初理が、一颯を見上げる。


「ああ、そうでしたっけ。じゃあ、別ので」


 一颯が鞄から別の漫画本を取り出す。今度はそのまま、一颯がページを捲る役を担いながら、二人して読み進め始めた。


――え……なに、これ。


 目の前の光景に、綾香は言葉が出ない。それでもなんとか気を落ち着けて、声を発する。


「ふ、藤見君、ちょっといい?」

「ん、なに?」


 一颯が視線を上げる。


「それ、どういう――」

「一颯、次」

「ああ、はい。悪い三浦、話は後で」


 狼狽する綾香を一切気にしない初理に、一颯は合わせる。彼女の気まぐれはほとんど天災みたいなものなので、綾香に融通を利かせてもらうしかないのだ。


「――――、」


 まるで恋人同士や家族のひと時のような光景に、綾香は呆然と眺めるのみ。


 ぺり、ぺり、とページを繰る音だけが部室内に響く。


 綾香は動かない。まるで彼女の時間だけが止まってしまったかのよう。


 事実、綾香の思考はほとんど止まっていた。しかし、一颯も初理もそれに気づかないまま。


 数分が過ぎた頃、初理が一颯の腕の中で寝息を立て始めた。


 一颯は漫画本を閉じ、静かに机の上に置く。しな垂れ落ちそうになった初理の姿勢を正して、優しく抱き込んで、初理の腹部を抱えるようにする。


「それで三浦、さっき言いかけてた話は?」

「あ、ううん、何でもないの――」


 抑え気味の一颯の問いかけに、綾香はやけにカラッとした笑顔で首を振った。

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