第57話:惜しむべき命
「最後の警告だ。俺は賞金稼ぎで、俺の損得でしか動かねえ。ここから逃げる奴に用はない。槍を構えるのは、後腐れなく死ぬ準備が出来てからにしろ」
成り行きや、上からの指示に従っただけ。そんな弱さを否定したくなかった。
ザハークのように誰にでも噛みつき、まずくなれば逃げる。そんな割り切った生き方を、誰もが出来ると驕ってはいない。
しかし一人ずつに問うてやれるほどの暇も持ち合わせなかった。流される者が、このひと言で去ることなど出来ぬと分かっていても。
――俺も言いわけが多いな。
自嘲するザハークの背に、サリハが頬を擦りつけた。彼女はとても強いと思う。強く、固すぎて、脆い。
「取り囲めば仕留められる! 騎士団の足止めは、神官戦士に任せよ!」
低空に逃れた騎士長が、再び高度を戻した。いや、先よりも高く、ザハークが見上げる位置にまで。
騎士団の正面へ向かわせていた、部下の四騎を引き連れて。
「おっと、正解だ」
一度で見抜いた騎士長の慧眼を、称えねばなるまい。どれだけ間合いの有利があろうと、全方位を同時に対応するのは不可能だ。
ダージの牙や炎が向くのも、ザハークの槍が届く範囲と一致する。
「今度こそだ、押し包め!」
対応を考える猶予を与えてはくれない。高低に差をつけた五方向から、黒い巨鳥がそれぞれ突撃を開始する。
ひと口に黒と言っても、微妙に違う。降下を始めたタイミングも、少しずつずれた。けれどザハークに斬りつける瞬間は、同時に迎えるはずだ。
一人や二人の死は覚悟の上。その役となる真正面には、騎士長が急降下してくる。
――殺すのは惜しいか?
天空騎士団の練度は、恐るべきものだ。取り纏める騎士長とて公爵に忠実なだけで、手ずから悪行を行う意図はないのだろう。
愚直な戦いを見れば、そんなことも理解できてしまう。しかし手加減するほどの余裕もない。
「ダージ、
一瞬と呼んではまだ長すぎるほどの、僅かな
「キュエッ!」
ダージは尻を地面へ向け、落下を始める。頼んだ眩い炎は、天頂へ向いた口から吐き出された。
しがみついたサリハの腕が強張っている。ロープで支えられてはいても、離れて落ちる恐怖がそうさせるのだろう。
それでも彼女は声を上げず、ザハークの背をただただ抱きしめた。
「ハッ! 臆して慌てたか、見当違いだ!」
白い炎は、ザハークの居た位置を貫く。が、早すぎる。黒い巨鳥は、一騎としてその空間に居ない。
「通過、反転!」
垂直に落下したことで、天空騎士団の槍もまた、ザハークに届かない。だから騎士長は、通り過ぎてすぐに反転をしろと命じた。
縦向きになったダージがどちらへ向かうも、姿勢を立て直す時間が必要と判断したのだ。
――やっぱり惜しいな。
しかし残念ながら、誤っている。ザハークの騎獣が竜でなければその通りだったが、ダージは天頂を向いたこの姿勢から、また上昇することも出来た。
「再攻勢をかけ――何だっ!」
騎士長の誤りが、もう一つ。
彼らの飛び込んだ空間は、ダージの炎によって急激に温度を上げた。防具のおかげで火傷などはすまいが、膨れた空気の影響は免れない。
空の只中へ生まれた、風の落とし穴。天空騎士団の面々は、残らずその断層を落ちる。驚愕に焦り、艷やかな黒羽をいくら羽ばたかせても、掴まえる空気そのものがないのだ。
「これで終わりだ!」
絶妙にタイミングを合わせたが為に、五騎は折り重なる。そして落ちた先は、ザハークの構える槍の直上。
「ひっ、ひぃぃぃ!」
「き、騎士長!」
「コーダミトラの護りは我らの肩にあり!」
死を悟った騎士たちの口から、絶叫が溢れた。恐怖と、信頼と、誇り。どれも戦士には重要だと、ザハークも頷く。
だが、だからと刃を止めはしない。自ら戦いに臨み、十分に警告もあった。ならば死をも望んだと割り切るしかない。
ここで遠慮するようでは、生き抜くことなど不可能なのだから。
「逝ってこい!」
赤い光の刃が、大きく弧を描いた。人間も巨鳥も平等に、左右へと身体を引き離される。
返す刃を再び振り抜く。今度切ったのは、降り注ぐ血の雨だ。ザハークとダージは構わないが、サリハに浴びせるのは酷であろうと。
「……終わった、のですか」
上昇に転じ、姿勢を水平に戻したところでサリハが聞いた。
「ああ、とりあえずな」
「怖ろしくて、眼を開けていられませんでした」
「それがいいさ」
言わずとも彼女の胸の鼓動が、恐怖の色をしていた。話し始めると直ちに落ち着いていったので、肝は据わっているほうだと思う。
「でもまだ騎士団と神官戦士団は戦っているのですね」
「あれには手出ししねえけどな。騎士団長の爺さんに叱られちまう」
眼下では、まだ殺し合いが続いた。騎士も神官も、サリハには馴染みの相手ばかり。優しい心根にはつらい光景に違いない。
「他人に任せていては、何も乗り越えられない。ザハークはそう言いましたね」
「そんなこと言ったっけか?」
何度も、何度も。サリハの唾を飲み込む動作が背中へ伝わる。呑み込んでいるのだ、現実を。
「では城へ行くのですか?」
「だな。まあまだ用のある奴が、一人残ってるが」
「用が?」
何のことかサリハの問いに、答えは必要なかった。その当人が、目の前へ舞い戻った為に。
「ざ、ザハーク!」
「さすが、うまく切り抜けたな」
サリハが驚くのも無理はない。失速し、部下と一まとめに切られたはずの男が、傷一つない姿を見せては。
「貴様、どういうつもりだ――」
「どうもこうも、お前だけは避けて切ったんだよ」
「それを何ゆえと聞いている!」
天空騎士団の騎士長。彼とその巨鳥だけは切らなかった。理由を聞かれても、何となく惜しかったからとしか答えられないけれど。
「手元が狂った」
「なぜ私だけを残した。よもや私よりも、部下たちのほうが脅威だったなどと言うのではなかろうな」
「それで納得するなら、それでもいいけどな」
正直に言っても信じぬだろうから、曖昧に答えた。しかし却って、自尊心を傷つけたらしい。
「貴様というのは、どこまでふざける気だ!」
「ふざけちゃいねえ。俺は俺の損得でしか動かねえと言っただろ」
「私を生かすことが、貴様の得と?」
この一戦にザハークは勝ち、騎士長は敗れた。敗者の問いに答える義務はなく、その通りにした。
せめてもと肩を竦め、槍先で城壁を示す。
「生き恥を晒し、閣下の下へ戻れと言うのだな。それが私に似合いだと、貴様は侮辱するのだな」
「んなことは言ってねえ」
返答をしたところで、頭に血を上らせた騎士長は聞く耳持たない。
「良かろう、期待に答えよう。代わりに貴様だけは、私の誇りにかけて滅してくれる」
血を吐くように。呪いの言葉を低く落としながら、騎士長は城壁へと飛び去った。
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