第11話
「ふん。泣きたいのはこちらのほうだ。こんなに兵を殺されたのは初めてだ。しかも、たった一人と獸にやられるとは情けない」
燃え盛る畑からの熱風で額に汗をにじませながら、阿流弖臥は口元を引き結んだ。その目には怒りと悲しみが滲んでいた。
「柰雲と言ったか、泣くのは止せ……そうだな、先ほど口走った和賀ノ実を持ってくれば、この村を解放しよう」
その言葉にはハシリ一族の兵士たちのほうが騒めいた。彼らを片手で黙らせてから、阿流弖臥は向き直る。柰雲は目頭を押さえてから彼女を見た。伝聞師が言っていた話がわかる人物は、彼女に違いない。
「私は神話を信じる気持ちはこれっぽっちもない。だが、本当のことなら面白い。神を信じるというのなら、その証拠を見せてみろ。兵士を殺し、自分の情けなさに泣いたそなたに、果たしてそれができるか?」
柰雲は血で濡れた袖口で涙をぬぐうと、息を深く吐いた。そんな神話を信じても仕方がないと言ったのはつい昨夜のことだった。神が救ってくれるはずなどないと大巫女に伝えたのは自分の口だったはずだ。
しかし、今はその神話だけが、この村の生き残る最後の頼みの綱となっていた。大巫女の意味深な笑顔が、瞼の裏に蘇る。
「和賀ノ実を、持ってくればいいんですね?」
阿流弖臥はにんまりと朱色の口元をほころばせる。妖艶な表情だが、眼差しは雪山のように厳しかった。
「ああ。私は嘘をつかない。実を持ってきて我々に分けよ。そうすれば、この村と一族を解放する。我らも実を故郷へ持ち帰ろう。和賀ノ実は寒い土地でも、痩せた土地でも芽を出し、一粒が一万粒に増えるというからな」
柰雲は笑う阿流弖臥を見つめた。彼女の口元には笑顔が乗っているが、目には怒りと狂気が満ちている。部下の兵士を何人も殺されては、軍を任された身としてこれ以上に腹立たしいことはないのだろう。
しかし、一軍の隊長として阿流弖臥は、怒りに任せて物事を交渉するのは良くない結果になるとわかっているようだ。だが本当ならば、今すぐにでも自分のことを殺したいと目が物語っている。
阿流弖臥という女はやり方は強引だが、多少なりとも話しがわかる人物であると感じた。振り返って大王を見つめると、熱い視線が柰雲に注がれている。
それは、柰雲に一縷の望みを託すという熱だ。柰雲は父の視線に胸を焦がされ、呼吸を整えてから阿流弖臥に穏やかに答える。
「……わかりました。必ず持って帰って来ます」
村人たちは心配そうに二人のやり取りを黙って見ていた。ただ一人、大巫女だけが満足そうにうなずいていた。
「良い。取り引き成立だ。では、そなたが戻るまでは、この村と村人たちは捕虜とする。もし、和賀ノ実を持って帰って来れなければ、お前を我ら一族の奴隷に墜とし、老い先短そうな村人たちから殺す。生きている者が少ない方が、たとえ凶作でも生き残れるからな。口減らしはどの民族でも妥当だ」
異論を唱えようとしたが、阿流弖臥の瞳を見た瞬間、柰雲からは反撃する気持ちが萎えてしまった。
「必ず持って帰ってきます。三年待ってください」
「一年で持ってこい」
「しかし……」
「それ以上は待たない。一年で持ってこなければ、この地は芋の畑に代わり、ジャロ芋を食べ慣れていないそなたたちは馴染まずに死に耐え、村人たちが半分減る。肝に銘じて行くがよい」
柰雲はうなだれるように頷いた。神話でしか語られず、さらに場所さえ不明瞭なのに、どうやって探すというのか。
しかし、今はその文句を言える状況ではない。運ばれていく死体が目の端に映るたび、口の中を苦いものを嚙んだようになる。
「わかりました」
その一言をもって、場は収まった。
縄を打たれた者たちは解かれ、集められた村人たちは全員解放された。しかし、畑作業に使う道具以外の武器という武器を集められて、押収された。それに抵抗する村人は一人もいなかった。
柰雲は落胆する村人たちの横でただ一人、身を清めて着替えを済ませ、速やかに出立の準備をする。
場所さえ曖昧なところをたった一年で目指し戻らなければならない。約束をしてしまった手前、一秒でも時間が惜しかった。
村人たち全員の命が、柰雲の両肩に乗る。その重圧に耐えかねて吐き気を催したが、必死に耐えて涙をしまい込んだ。昼を過ぎた頃に旅の準備を整え、稀葉と共に村外れまで来ていた。
誰一人柰雲に聲をかけなかったが、屋敷を出る時に大王だけが肩にそっと手を置いてくれた。
大巫女は穏やかな笑顔でうんと頷いただけで「それがそなたの運命じゃ」と小さく紡ぐのを柰雲は聞いた。
柰雲は稀葉にまたがると、押し黙ったままの見送りの人々に深々と頭を下げた。さらに裏の丘までやってくると、村を見渡し目の奥にしっかりと刻みつけた。
一礼をしてから、東に続く深い森に入って行く。暗く厳しいそこを抜けて、約束の和賀ノ実を探すために、東の伝説の地に向かった――。
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