第10話

「よくもやってくれたなと言いたいところだが、村人を先に傷つけたのは我々だ。その代償だったと思おう……ずいぶんとでかい代償だがな」


 阿流弖臥あるてがはこんな現状にも慣れた様子で、ふんと鼻を鳴らした。


 血の跡を地面にくっきりと付けながら、柰雲と稀葉によって命を落とした兵士たちが次々と脇に運ばれていく。


 柰雲は立ちすくんだまま動けずにいた。握りしめて大刀の切先からは、いまだに血がぽたぽたと垂れている。


 速玖而はやくじは惨状に眉根を寄せてその場に坐りなおした。大巫女は先ほどの大声を出したとは思えぬほど、静かに事のなりゆきを見つめている。大王も無言で口元を引き結んでいた。


「負傷者も入れたら恐ろしい数だ。たった一人にこれだけやられては、我々一軍の面目が立たない。そなたは、命を奪うことに躊躇が無いのだな」


 阿流弖臥あるてがの聲はよく響いた。それは柰雲にも、そして後ろに坐っていた村人たち全員にも聞こえていた。普段の温厚で気弱な皇子の姿からは想像もつかない現状の凄まじさに、村人たちは涙を流しながら子どもたちの目を塞いでいた。


「こうならないために、いつも最初に領主や大王を押さえつけるのだが……今回は誤算だった。青年、そなたの条件を聞こう。それに、我らも負傷者の手当てをしたい」


 落ち着いた調子で話す阿流弖臥に、速玖而がカッとなって立ち上がろうとした。


「なにを、いまさら……!」


「お前は黙っていろ。私はこの青年と話をしているんだ」


 速玖而は阿流弖臥の冷たい一蹴に黙る。有無を言わせない圧倒的な存在感に、速玖而でさえも一瞬気後れしたのだ。


「青年よ、聞いているか?」


 返り血を浴び酷く顔色の悪い柰雲は、頭が真っ白になっていた。彼の頬を、温かくて湿った稀葉の舌が舐める。そうされて初めて、我にかえった。大刀を取り落とすと稀葉に両手を伸ばす。


「稀葉、すまない……」


 稀葉の碧い瞳を見つめて、血で汚れた口元を見て、柰雲はやるせなくて目をぎゅっとつぶった。村人たちと共に坐らされている大巫女の、深い叡智を称えた瞳と目が合った。老婆は何も言わないが、穏やかな笑みが口元に乗っている。


 ――和賀ノ実わがのみを探すがいい、柰雲。


 大巫女に諭されたのは、昨夜だったか。柰雲は老婆を見つめ、稀葉を撫でながらうつむいた。


「……和賀ノ実があれば……こんなことにはならなかったのか……」


 絞り出すような柰雲の独白に、阿流弖臥が首をかしげた。


「はあ? なにを言うかと思えば、三賢人の神話の話か。そんなものをこの辺りの村々はいつまでも信じているのか。神はなにもしてくれないぞ」


 柰雲は改めて阿流弖臥を見つめた。立っているだけで威厳がある姿だ。


「村から引き取ってもらえないですか?」


 稀葉に顔をうずめてから心を落ち着かせると、阿流弖臥にまっすぐ向き直った。


「ははは、莫迦か。断る。我ら一族とて生きている人間だ。肥沃な土地を求めてなにが悪い」


「だからといって、村に押し入るのは良くないことです」


「こうでもしなければ土地を渡さぬくせに。押し入ってはいるが、村人にも畑にも、危害を加えるつもりは初めからなかったのだぞ。最初から、降伏するように打診しながら攻め入ったのだ。畑を焼いた油も、火をつけるように見せておくだけのもので、後々に畑に混ぜれば栄養になるものであった」


 柰雲は口を引き結んだ。阿流弖臥は、この惨状を良しとしていないようで、恨み節たっぷりでねめつけてくる。


「……そなたたち平地の民にはわかるまい。ここよりもやせ細った大地に、雪に閉ざされた人々の絶望に凍えた心が。あの地では、老人たちが夜中にこっそり消えて行く。なぜかわかるか? 口減らしすれば若者が生き残る。だから老い先短い命を自ら雪山に捧げる」


 阿流弖臥は鋭い笑みと視線を柰雲に向けた。


「生き残った者たちは、自分たちの将来も雪山に命を捧げることしかできないのだと悟らざるを得ない。そんな人生しかない命の絶望を、わかれとは言わないさ」


「……誰もが過酷なのは同じことです」


「そうだ。だから、こうしている。こうするしか、生き残れないからだ。神は土地と恵みを一族に与えてくれなかったが、屈強な精神力と体力、恵まれた体格をくれた。これを存分に使って、なにが悪い。我らが悪いと言うならば、我ら北方民族を創り出した神を恨むがいい。助けもせず、和賀ノ実を持ち帰った、強欲な神々をな!」


 ふいに襲いかかる悲しみに目から涙がこぼれた。誰かが救ってくれれば。神話に語られる和賀ノ実さえあれば。こんな無益な殺生や争いや、悲しいことなんて起こらないのに。


 美爾みしかが死ぬこともなかった。柰雲の悔しさの粒は、大地に静かに吸収されて行った。その涙が、神様に届くことはきっとありはしないのだとわかっている。


 自分の弱さが心底苦しくて、柰雲は嗚咽を漏らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る