第10話
「よくもやってくれたなと言いたいところだが、村人を先に傷つけたのは我々だ。その代償だったと思おう……ずいぶんとでかい代償だがな」
血の跡を地面にくっきりと付けながら、柰雲と稀葉によって命を落とした兵士たちが次々と脇に運ばれていく。
柰雲は立ちすくんだまま動けずにいた。握りしめて大刀の切先からは、いまだに血がぽたぽたと垂れている。
「負傷者も入れたら恐ろしい数だ。たった一人にこれだけやられては、我々一軍の面目が立たない。そなたは、命を奪うことに躊躇が無いのだな」
「こうならないために、いつも最初に領主や大王を押さえつけるのだが……今回は誤算だった。青年、そなたの条件を聞こう。それに、我らも負傷者の手当てをしたい」
落ち着いた調子で話す阿流弖臥に、速玖而がカッとなって立ち上がろうとした。
「なにを、いまさら……!」
「お前は黙っていろ。私はこの青年と話をしているんだ」
速玖而は阿流弖臥の冷たい一蹴に黙る。有無を言わせない圧倒的な存在感に、速玖而でさえも一瞬気後れしたのだ。
「青年よ、聞いているか?」
返り血を浴び酷く顔色の悪い柰雲は、頭が真っ白になっていた。彼の頬を、温かくて湿った稀葉の舌が舐める。そうされて初めて、我にかえった。大刀を取り落とすと稀葉に両手を伸ばす。
「稀葉、すまない……」
稀葉の碧い瞳を見つめて、血で汚れた口元を見て、柰雲はやるせなくて目をぎゅっとつぶった。村人たちと共に坐らされている大巫女の、深い叡智を称えた瞳と目が合った。老婆は何も言わないが、穏やかな笑みが口元に乗っている。
――
大巫女に諭されたのは、昨夜だったか。柰雲は老婆を見つめ、稀葉を撫でながらうつむいた。
「……和賀ノ実があれば……こんなことにはならなかったのか……」
絞り出すような柰雲の独白に、阿流弖臥が首をかしげた。
「はあ? なにを言うかと思えば、三賢人の神話の話か。そんなものをこの辺りの村々はいつまでも信じているのか。神はなにもしてくれないぞ」
柰雲は改めて阿流弖臥を見つめた。立っているだけで威厳がある姿だ。
「村から引き取ってもらえないですか?」
稀葉に顔をうずめてから心を落ち着かせると、阿流弖臥にまっすぐ向き直った。
「ははは、莫迦か。断る。我ら一族とて生きている人間だ。肥沃な土地を求めてなにが悪い」
「だからといって、村に押し入るのは良くないことです」
「こうでもしなければ土地を渡さぬくせに。押し入ってはいるが、村人にも畑にも、危害を加えるつもりは初めからなかったのだぞ。最初から、降伏するように打診しながら攻め入ったのだ。畑を焼いた油も、火をつけるように見せておくだけのもので、後々に畑に混ぜれば栄養になるものであった」
柰雲は口を引き結んだ。阿流弖臥は、この惨状を良しとしていないようで、恨み節たっぷりでねめつけてくる。
「……そなたたち平地の民にはわかるまい。ここよりもやせ細った大地に、雪に閉ざされた人々の絶望に凍えた心が。あの地では、老人たちが夜中にこっそり消えて行く。なぜかわかるか? 口減らしすれば若者が生き残る。だから老い先短い命を自ら雪山に捧げる」
阿流弖臥は鋭い笑みと視線を柰雲に向けた。
「生き残った者たちは、自分たちの将来も雪山に命を捧げることしかできないのだと悟らざるを得ない。そんな人生しかない命の絶望を、わかれとは言わないさ」
「……誰もが過酷なのは同じことです」
「そうだ。だから、こうしている。こうするしか、生き残れないからだ。神は土地と恵みを一族に与えてくれなかったが、屈強な精神力と体力、恵まれた体格をくれた。これを存分に使って、なにが悪い。我らが悪いと言うならば、我ら北方民族を創り出した神を恨むがいい。助けもせず、和賀ノ実を持ち帰った、強欲な神々をな!」
ふいに襲いかかる悲しみに目から涙がこぼれた。誰かが救ってくれれば。神話に語られる和賀ノ実さえあれば。こんな無益な殺生や争いや、悲しいことなんて起こらないのに。
自分の弱さが心底苦しくて、柰雲は嗚咽を漏らした。
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