41 関東の覇者






 夏草や つはものどもが 夢の跡


 芭蕉






「……遅くなった」

「……新九郎」


 北条新九郎氏康に肩を支えられ、北条孫九郎綱成は、嬉しそうに笑った。

 しかし、次の瞬間にその表情を曇らせる。

「……すまない、山内上杉憲政は、逃がしてやった」

「……いいさ」

 今度は氏康が笑った。

「お前がそうした方がいい、と思ったのなら、それでいい」

「だが……じい様の……伊勢新九郎のが……」

「おい、孫九郎」

 氏康は綱成に顔を寄せる。

「今の伊勢新九郎はおれだぞ。じい様でも、父上でもない」

 新九郎という名乗りは、代々伊勢家、今は北条家の当主に受け継がれることになっている。だから、氏康こそが今、北条新九郎であり、伊勢新九郎である。


「…………」

 黙りこくる綱成。

 その綱成をさとすように、なあ、今、おれは思ったんだが、と氏康は語る。

「じい様は、全て自分の言うとおりに受け継いで欲しかったのなら、そう言うさ。だが、そうは言わなかったそうだ。父上も同じさ。受け継ぐってのは、そっくりそのままやれってことじゃない。受け継いだそいつが、そいつなりのやり方でやっていいってことじゃないのか? おれはそう思う」

 綱成は何か言おうとしたが、そこで地平線上に、まばゆい光が走ってきて、思わず言葉を失う。

 見ろよ朝日だ、と新九郎もまぶしそうに目を細めながら言った。

「……そもそも、足利義政公の私憤が発端なんだ。その程度のことさ。大仰にとらえることはない」

「……それは言い過ぎじゃないのか?」

「言い過ぎじゃない」

 氏康は確信をもって答えた。

「おれは父上に聞いた。じい様は、ちょうど気の合う仲間たちと、国盗りがやりたかったんだと」

「国……盗り……?」

「そうよ。知ってるだろ? 御由緒家。もし、この仲間の誰かが大名になったらば、他の仲間はその家臣になる……と誓った七人の侍を」


 大道寺太郎、多目権兵衛ごんべえ、荒木兵庫頭ひょうごのかみ、山中才四郎、荒川又次郎、在竹兵衛尉ありたけひょうえのじょう……そして伊勢新九郎ら七人の侍は、戦乱に荒廃する京に失望し、己の国を、と国盗りを目論んでいた。そこへ新九郎が、従兄弟の伊勢貞宗の伝手を利用して幕臣となり、諸国をめぐり、足利義政の銀をめぐるいざこざに巻き込まれ、そこへ関東征伐の密命が下ったのである。


「そして見事、じい様、伊勢新九郎は大名と成ったのさ……だから、あのは、その程度のことでいいのさ」

「新九郎……」

 朝日は今やその姿を現わしつつあり、いつの間にか氏康と綱成の周囲に、仲間たちが集まってきていることを教えてくれた。


 清水小太郎が、金棒かなぼうを振るっている。

 山中主膳が、原虎胤に肩を貸されて、歩いてきている。

 風魔小太郎と二曲輪ふたくるわ猪助が駆けてくる。


「皆……」

 そこまで言ったとき、かねが聞こえてきた。

 黒備え・多目元忠の退き鉦である。

「……終わったな」

「……ああ」

 氏康と綱成は、仲間たちに手を振った。


 ……河越夜戦は、ここに終結した。






 関東の覇者






 北条軍一万一千と、古河公方・関東管領・扇谷上杉及び関東諸侯同盟軍八万の戦いは、北条軍の被害がわずかであるのに対し、同盟軍は一万三千から一万六千の被害を出し、北条軍の圧倒的な勝利に終わった。

 だがそれは飽くまでも結果であり、諏訪左馬助さまのすけのような犠牲者がいて、氏康としては手放しには喜べなかった。

 一方で敵方にも、扇谷おうぎがやつ上杉朝定ともさだ難波田なばた善銀、難波田なばた隼人正はやとのしょう、曽我神四郎、本間近江守、赤堀上野介こうずけのすけ、倉賀野三河守、そして本庄藤三郎といった犠牲者がおり、氏康は、全軍に敵味方問わずに黙祷するように命じ、しかるのちに勝鬨を上げた。


 その後、氏康は精力的に戦後処理に取り組んだ。

 まず、北条孫九郎綱成を河越の城将に任命し、周囲に対する軍事外交・内政・治安維持を担当するよう、改めて命じた。綱成はすでに北条家の「御一家」の立場にあり、功に報いるのに所領を加増するわけにもいかず、地位と職務を与えることにしたわけである。

 また、これは、これまでの城将であった大道寺盛昌が、矢傷の治療に時を要することと年齢を理由に隠居を願い出て、後任として綱成を推薦したことにもよる。

 しかし何よりも、旧扇谷上杉領を含む北武蔵一帯の内政と治安を任せたかったという氏康の思惑による。

 のちに、綱成は「新九郎にしてやられた」と弟の弁千代にぼやいたが、職務に手を抜くことなく、北武蔵の復興と安定に努めた。


 盛昌の隠居に際して、宿将・山中主膳もまた、出家して隠居することを願い出た。

「難波田どのの菩提ぼだいを弔いとうござる」

 敵味方とはいえ、和歌を交わした仲である難波田善銀の最期を、主膳は察することがあったのか、彼のために出家することにした。

 北条家の重鎮である主膳が、扇谷上杉の重鎮である善銀のために出家する。これは、新たに北条家の所領となった旧扇谷上杉領の国人らへの、北条家への求心力につながると主膳自身が主張した。出家したいための方便と思われたが、氏康はこれも許した。


 黒備えの多目元忠は、退がねを鳴らす時を誤らなかったと氏康から賞され、五色備え中の首座におかれることになった。


 同時に、青備えの富永直勝は、よく江戸にて自重し、周辺への圧力、治安維持、何よりも下総千葉氏への救援に着目され、五色備えの次席という扱いになった。


 赤備えの北条綱高はやはり綱成と同じく「御一家」のため、曽我神四郎を討った功績は、金銭によって報われることになった。綱高は、それを赤備えの将兵にみんな分け与えてしまった。

「曽我神四郎にも言ったが、おれは奴の油断を利用したに過ぎない。賞するにはあたらない」

 妙なところで生真面目な綱高に、氏康はそれ以上何も言う言葉を持たなかった。


 なお、白備え・清水小太郎吉政は、今川水軍との関係から、北条水軍を任されることになった。出世ではあるものの、今後、今川義元と常に交渉を持たなければならない立場になり、頭をかかえた。実は、綱成の河越城将赴任にあたり、小太郎は綱成に「やったな」と言っていた。今度は綱成がわざわざ伊豆にやってきて「やったな」と言いに来て、取っ組み合いの喧嘩を演じたあげく、北条宗哲に「ばかもん」と説教されている。


 その北条宗哲は、本人が希望したため、特に何も賞されたりはしなかった。

「父上の夢がかなったところを見られた。それだけでも望外の喜びよ」

 そう言ってはばからなかったという。


 北条氏尭うじたかは、綱成が正式に河越の城将となったため、その所領であった玉縄に入り、鎌倉を治め、守護することになった。清水小太郎吉政が水軍を統率することになったのは、この配置にもよる。また、根来金石斎もこれに同行し、これまでと継続して、氏尭の将領としての教育に努めることになった。

 なお、その金石斎は出家し、栄永という法名を名乗った。

栄永翁えいえいおうと元気よく叫んで呼んでくだされ。縁起がよいでしょうが」

 そう言って、氏尭を閉口させた。


 風魔小太郎は、風魔衆の宿願である上杉打倒を果たしたので、その去就が注目されていたが、粛々と任務を継続していた。

「それがしも、風魔衆も、他の仕事や商いを今さらできませんので」

 と弁千代に語ったと言う。

 ちなみに、そろそろ引退を考えており、次代は二曲輪ふたくるわ猪助に託そうと思っているが、猪助はまだ一線で働きたいと思っているので、迷惑がっているという。


 太田全鑑は、河越夜戦の戦後に、難波田善銀および扇谷上杉朝定の居城であった武蔵松山城を押さえ、また扇谷上杉の旧臣に顔が利くことから、周辺の豪族・国人らの慰撫に努めた。


 外交関係において、武蔵千葉家・千葉胤利は所領の石浜城を安堵され、かつ、房総方面への青備えののひとつとして活用されるよう依頼された。

「どうしてこんなことになったのかのう」と言いながらも、胤利は下総千葉家に対しての隔意をあまり感じなくなってきたので、「まあ良しとするか」とつづけるのであった。


 その下総千葉家では、千葉介(当主)であった千葉利胤が亡くなり、弟の親胤が千葉介となった。家宰である原胤清は黙々と葬儀と、妙見宮での継承の儀に取り組み、改めて北条家とのつながりを深めるよう、家臣たちに訴えた。

 弔問に訪れた真田幸綱は、利胤に託された駿馬・疾風はやて号を返そうとしたが、胤清から固辞され、かつ、疾風号も幸綱に懐いて離れようとしなかったため、

「孫子の代まで、疾風号の血統の馬に乗らせていただく」

 と言って、利胤の位牌に手を合わせてから去って行った。


 里見家は、あい変わらず反北条を貫いているが、河越夜戦が終わり、北条家に余力が出てきたので、しばらくは鳴りをひそめる方針らしく、下総千葉家へも弔問の使者を出していたという。


 扇谷上杉家は滅亡し、山内上杉家はその勢力範囲を上野こうずけへと追い込まれてしまった。山内上杉憲政は事態の挽回を図ろうと、北信濃の村上義清と同盟を結ぶ。だが、それは同時に、憲政にとって、新たな強敵を呼ぶのであった。

「勘助、こたびのいくさ、誰を差し向けたものか」

「左様ですな……板垣信方どのが良いかと」

「そうか……では、信方には、真田幸綱を同行するよう、申し伝えておけ」

「かしこまりました、お屋形様」

 信濃への野心を燃やす武田晴信にとって、山内上杉の介入は邪魔以外の何物でもなく、報復として兵を差し向け、かえって山内上杉は上野こうずけまでの侵略を招いてしまったのである。

 ……散々な目に遭った憲政だったが、彼はやがて遠く北の越後まで至り、そこの若き国主と出会うことになる。


 古河公方・足利晴氏には、氏康は叔父の宗哲を派して、「君臣逆道」と今回の出陣の件を非難し、晴氏の代わりに重臣の梁田高助が責任を取って隠居させられ、晴氏自身はやがて、従来の嫡男・藤氏ではなく、継室である氏綱の娘が生んだ、氏康の甥にあたる義氏に家督を譲ることを余儀なくされる。


 ……かくして、関東における中世以来の支配体制――関東公方・関東管領山内上杉及び扇谷上杉の両上杉による支配体制は崩れ去った。



 こうして――北条新九郎氏康は、関東にならぶものなき、覇者となった。



「……そうは言うても、また誰ぞ、新たなる敵が来るやもしれんのう」


 太原雪斎は、駿河への帰途、つぶやいた。

 雪斎については、実は今川義元が河越夜戦の前に北条に対して助命を頼んでおり、見返りとして今川水軍の内海(江戸湾)駐留と、北条水軍復興の際の撤兵を約束していた。これに対して、清水小太郎吉政が河越へ駆けつけるにあたって、北条孫九郎綱成が仇として討つ場合はやむを得ないとの条件を付けていた。

 だが当の綱成が、雪斎を討つことはなく、雪斎は駿河へ帰ることになったのである。


 そして、その雪斎を護送を務める者が、雪斎のつぶやきに反応した。

「……それは誰でございましょう、雪斎禅師」

 真田幸綱である。

 幸綱は、北条の者が雪斎を駿河へ連れて行くと、今川に対して角が立つというので、志願して雪斎の護送を務めることになった。幸綱自身が、甲斐へ、そして真田の里へ駆けつけたいという思惑もある。

 道中、幸綱は聞き上手なので、雪斎としては、つい、いろいろとしゃべりたくなってしまい、駿河へ着く頃には、藤三郎の死で沈鬱となっていた雪斎の心中は、ある程度回復していた。


「誰、と言われてものう……山内上杉憲政はまだ上野こうずけに残っておるが……長野業正なりまさと反りが合わないと聞くし……」

「……存外、関東のもっと外からの脅威が来るやもしれませんな」

 幸綱はこのとき、何気なくそう言ったのであるが、後日、この台詞を振り返って、やれやれとため息をつくことになった。


 そうこうするうちに、雪斎と幸綱、そして陰ながらついてきている草の者たち十人は、駿河に至り、道は駿府への道と甲斐への道との分かれ道になった。

「ここらでお別れですな、禅師」

「うむ。ほどなく承芳、ではない、義元どのが迎えに来るでな」

 では一服して待たせていただいてから、甲斐へ行きますと言って、幸綱は道端に座った。

 すると、雪斎がその隣に座り、言った。

「……こたびの河越城の戦い、拙僧は八万の大軍を動かすという、その難しさの一端に触れた。これはいずれ、今川義元の、いや、そうでなくとも拙僧の教えを受けた者が、天下を望むときに役立とう」

 雪斎の、久々に力強い台詞に、幸綱はいぶかしむ。

「……何がおっしゃりたいのです」

「分からんのか。このまま、拙僧と共に、今川に来い。悪いようにはせぬ」

 雪斎は幸綱と同行して、その智恵に舌を巻き、ついつい六韜三略りくとうさんりゃくや孫呉の兵法を教えていた。

 この者を今川に迎え入れれば、今川は天下へまたひとつ近づける。

 雪斎はそう確信していた。


「…………」

 幸綱はしばらく空を眺めていたが、雪斎のうながすような視線を受けて、こたえた。

「……それがしとて、その八万の大軍を相手にするという、その難しさの一端に触れました、禅師」

「……それが答えか?」

「左様」

 今川が天下を望むのなら、武田とて同じ。

 であるなら、自分は武田に、武田晴信に賭けてみたい。

 幸綱はひそかに、晴信にそこまで期待を寄せていたのである。

「まあ、それがしができなくとも、それがしが育てた子や孫が……で、ござる」

「そうか」

 そして雪斎は笑った。幸綱も笑った。

 ひとしきり笑い合ったあと、ちょうど今川義元の一行が見えたので、二人は笑顔で別れた。


 ……このときの二人には知るよしもなかった。

 戦国という時代が終わる時。

 太原雪斎の最後の弟子と、真田幸綱の孫が、大坂という天下の名城を舞台に激突するということを。



「……ああ、釣りがしたいのう」


 北条新九郎氏康は、久しぶりに小田原へ戻って来たが、すぐの出立しゅったつを余儀なくされ、愚痴を言った。

「左様なことを申さず、ぜひ、わが弟に会って下されや」

「……お前にそう言われると、是非もないのう」

 氏康の隣には、その正室が座っていた。彼女は今川家の出身で、今川義元の姉である。

「……もう、綱房は行ったのか?」

「……はい、美濃さまと一緒に」

「であれば、行かざるを得んか。やんぬるかな」

 氏康はそれっと立ち上がり、ひとつ伸びをして、正室の方へ振り返った。


「……では、行ってくる」

「弟によろしゅう。善得寺は、よいところです。ごゆるりと」

「うむ」

 氏康は歩き出したが、ふと思い出したように立ち止まった。

「そうじゃ」

「なんです」

「善得寺より戻ったら、修善寺に行こう。湯に入ろう」

 家族やみんなでな、と氏康が言うと、妻はにっこりと笑った。

「はいはい。では、皆に、申し伝えておきますね」

「頼む。では、今度こそ、行ってくる」

「よき旅を」


 ……こうして、氏康は、駿河の善得寺に向けて旅立った。

 善得寺にて、今川義元と武田晴信と会い、正式に同盟を結ぶためである。


 ――これが世にいう善得寺の会盟であり、のちに甲相駿三国同盟と呼ばれる同盟である。






関東の覇者 了


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