05 河越緒戦






 あしからじ よかれとてこそ 戦はめ なにか難波田なばたの 浦崩れ行く


 山中主膳


 君おきて あだし心を 我もたば 末の松山 波もこえなん


 難波田善銀






「……出陣」

 関東管領率いる、関東諸侯同盟軍が河越城への包囲網を形成する刹那、北条孫九郎綱成は出陣し、八万の兵を相手にいくさを試みた。

 北条黄備きぞなえ、備えの長たる綱成が玉縄の城を預かる身のため、玉縄衆ともいう。

 朽葉色の練り絹の六尺九寸の八幡旗、地黄八幡じきはちまんがひるがえる。


「物見」

 黄備えの隊から一騎、前方へ躍り出た。

「お指図を」

「山内上杉」

 物見の騎馬武者が、無言でうなずき、河越城外の湿地帯を、危なげなく駆ける。遠くから関東諸侯の兵たちが見ているが、あまりにも颯々としていて、誰も手が出せない。そうこうしているうちに、騎馬武者が綱成の前に戻る。


「……あれに」

 騎馬武者の視線が、河越の城の南を向く。

 竹に雀の幔幕が張られている。

「かかれ!」

 綱成が馬を馳せる。無言で黄備えもつづく。とどろく馬蹄の音が、河越の山野に響く。

 山内上杉家の兵が気づいた時には、もう黄備えは目前に迫っていた。

「関東管領ではない、禅師を探せ。黒衣の宰相をつらまえよ」

 全速力で駆ける馬上から、綱成はゆっくりと矢を矢筒から出し、そして構える。

「敵襲! てきしゅ……ぐわっ」

 いち早く気づいた山内上杉家の兵が射られる。

 綱成が乗馬ごと幔幕に突っ込む。幔幕が倒れる。竹に雀の紋所の幔幕が。

「うぬ、小癪こしゃくな!」

 山内上杉家の臣、本庄実忠さねただが乗馬にまたがり、綱成に向かって槍を構えた。

「われこそは関東管領の臣、本庄実忠なり。地黄八幡北条綱成、われが相手ぞ」

「……承知」

 いつの間にか傍らに控えた黄備えから槍を受け取った綱成は、実忠に相対した。しながらも周囲をうかがう。


 山内上杉憲政がいる。今にも床几から滑り落ちそうにしている。

 重臣、本間近江守がその隣に。いざとなれば、主君の前に、楯になろうとしている。

 そして……いた。

 墨染の衣に青竹、とぼけた表情――太原雪斎。気づくと、にこやかに笑って、手まで振って見せた。


「どこを見ている!」

 本庄実忠の槍がうなりを立てる。

 激しい横薙ぎ。

 しかし、見切れる。

 槍を立てて受けた。

 綱成の槍は微動だにせず、逆に反動で実忠の腕に衝撃が走る。

「がっ」

 腕に痺れに悶絶する実忠を横目に、雪斎の前へ馬を走らせる。

「太原雪斎、覚悟」


 八万の軍勢を、関東管領が統御できるわけがない。

 この禅師がとなって、統制しているにちがいない。

 ならば、その頭を潰すまで。


 槍が雪斎の頭上に振り下ろされる。

「……ぐっ」

 今度は綱成が衝撃に耐える番だった。

 雪斎の頭上、差し出された皆朱の槍が、綱成の槍を受け止めていた。

「本庄藤三郎、見参」

「見事、藤三郎。そのまま地黄八幡を逃がすなよ」

 本庄藤三郎。本庄実忠の一族の若者で、実忠が特に目をかけている、武勇に優れた男である。その藤三郎の皆朱の槍が、綱成の槍をからめとろうとする。

 綱成は巧みに馬を操り、槍を離す。

 しかし、雪斎からは遠ざかる。

 ひとつ息を吐いて、気持ちを切り替える。

「皆朱。貴殿が、山内上杉随一の武辺か」

「応。地黄八幡、北条綱成どのとお見受けする。一騎打ちを所望しょもう!」

「参る」

 槍と槍。豪風を発して激突する。







 河越緒戦






 一方、城の北側では、扇谷おうぎがやつ上杉朝定ともさだの軍が動きを始めていた。

「伊勢の鼠賊そぞくが動いた! しかも山内上杉の方へだ! 好機ぞ!」

「ははっ」

 河越城の南側での喧噪を物見させていた朝定は、北条の黄備えと山内上杉軍の激突を知り、出撃を命じた。

 朝定は、意気揚々と出陣し、草深い湿地帯を、まっしぐらに河越城を目指す。

 北条の兵力が南に向かっている今、城をとしてしまおうとする策だ。


 その軍勢の後尾、太田全鑑ぜんかんは苦言を呈した。

「……かように、うかうかと出てよいものか」

「それはいかなることでござるか、全鑑どの」

 全鑑の苦言を聞いて、そばにいた扇谷上杉の重臣・難波田なばた善銀が問う。

「あの地黄八幡が、城攻めの隙を与えるようなをするか、と……」

「しかし全鑑どの、これは雪斎禅師の与えてくれた策でござる。敵が攻めなば、他方より城へ寄せよ、と」

「常の将帥が城の頭なら、それでよかろうよ。しかし、あの黄備えは油断がなりません」

 全鑑は、扇谷上杉の対北条の最前線である岩付の城主である。その経験から来る、何かがあった。

「……待てよ、黄備え? 善銀どの、たしか物見は……黄備えと申されたか?」

「左様でござるが……」

 全鑑は目を見開き、周囲の兵に鋭く声をかけた。

「物見の兵! さきほどの物見の兵はおらんか? お前か? 聞かせてくれ、たしかに地黄八幡が、黄備えを率いてきたのだな? 

 善銀にも、全鑑の気づいたことが分かった。

「全鑑どの! これはもしや……」

「全軍、止まれ! 何をしている、止まるんだ! 何? 先鋒はもう、渡河している?」

 河越城の北側は、川が堀の代わりをしている。全鑑にとっては、他ならぬ曽祖父である、城作りの名人・太田道灌が縄張りした名城であり、それが今、扇谷軍に向かって牙をむこうとしていた。

「かかれ!」

 渡河中の扇谷軍に、突如、川原のくさむらから現れた兵が躍りかかる。

 旗印は三つ鱗。

 率いる将は……

「しゅ、主膳どの……」

「善銀どの、先日の台詞を返そう。今は歌合せしている暇はござらん。さあ、いざ槍合わせを!」

 山中主膳が、河越の城兵を引き連れてきており、綱成の指示通り、伏兵として潜んでおり、まんまと通りかかった扇谷上杉軍へ襲いかかったのが今であった。


 北条綱成は、自らの黄備えが目立つことを知っている。そして、それ以外の兵が目立たないことも、当然、知っていた。ゆえに、自らは派手に山内上杉軍へ切り込んで、周囲の耳目を集め、そこへ乗り込んでくるであろう、扇谷上杉軍を罠に引っ掛けたのだ。

 本来、兵力を分散させるのは兵法として禁じ手。しかし綱成は、あえてその禁じ手を採り、山内上杉と扇谷上杉を手玉に取ったのだ。


「おのれ! 神四郎、かまわん、先へ行け!」

「承知!」

 扇谷上杉朝定は怒りのあまり、周囲の予想を超えた決断を下す。先鋒であり、渡河を終えた馬廻り衆の曽我神四郎に突撃を命じた。

 馬廻り衆を率い、神四郎は河越城へ向けて突進する。

「……しもうた。逃したわい」

 主膳は、やはり歌合せすべきだったかなと少し後悔したが、目の前の仕事に専念することにした。

「……まあ、ええわい。ここで御大将の首を頂けば終わること」

 飄然とうそぶく主膳。そうはさせじと善銀が刀を抜いた。

「全鑑どの! 殿をお守りしてくれ! この場はわしが!」

「応!」

 善銀はさすがにここで主膳を抑えることが、主君のためになることを知っていた。だからこそ、その危地に敢えて自ら飛び込む。その覚悟を悟ったからこそ、全鑑は敢えて敵に背を見せ、朝定の元へ向かった。


 河越城内。

「盛昌さま! 扇谷上杉の馬廻り衆、城に接近しつつあり!」

「心得た」

 大道寺盛昌は、自慢の大弓を片手に、櫓を登った。

「ふむ……渡河と伏兵で、さすがに百か二百か。それにしても、ほかの関東諸侯とやらは、ちっとも攻めてこんの」

「おそらく、綱成さまの読みどおり、自軍のみを負いたくないからかと」

「だろうな」

 綱成は今回の作戦の実施にあたり、よほど有利な状況にならないと、関東諸侯の同盟軍は手を出してこないと踏んでいた。なぜなら、下手に手を出し、被害を受けたくないからだ。とてつもなく有利な状況となり、自分たちも勝利のをあずかることができるのなら、押し寄せてくるとも。

 逆に、山内上杉と扇谷上杉は、今回の同盟の首謀者であるため、自ら動かざるを得ない。

 だからこその襲撃と伏兵だった。


「盛昌さま、旗印が見えます! 馬廻り衆の将は、曽我神四郎と思われます!」

「よし……わしも綱成どのに及ばずとも、弓はそれなりということを示してやろうかの」

 盛昌はゆっくりと弓を構え、矢をつがえ、そして放つ。

 ひょう。

 そういう音が響いたかと思うと、矢は、神四郎の兜の鍬形にあたった。

「なっ、何ッ」

 神四郎は頭蓋に衝撃が走り、思わず落馬してしまう。

「神四郎さま!」

「かまうな、進め! 城は間近ぞ!」

「射よ!」

 最後の声は盛昌である。

 最低限残された城兵であったが、それがすべて矢を射る。

 城に全速力で集中して接近したため、馬廻り衆はかえって矢を浴びることになり、多くが落馬してしまった。

 衝撃から回復した神四郎は、馬廻り衆が次々と射られていく姿に、切歯扼腕しながらも撤退を命じた。



 ……数合におよぶ槍合わせの末、ようやくお互いの距離を取ることにした綱成と藤三郎は、双方とも肩で息をしていた。

 綱成は、藤三郎の力量をかなりものと判断した。


 生まれながらの膂力。

 未完成だが、光るもののある技倆うでまえ

 このまま成長していけば、あるいは自身を上回るやもしれぬ。

 いや。

 自身も成長せねば。

 あの時。

 父を討った、あの武者のように。

 強くありたい。


 気がつくと、自身の背後には本庄実忠が位置取りしていた。綱成を討つというよりは、一族の藤三郎を守らんとする心算つもりらしい。いずれにしろ、挟み撃ちのかたちをとられてしまった。

 黄備えは、多勢に無勢の状況でよく頑張っているが、綱成になかなか近寄れないらしい。このあたりは、山内上杉家の重臣・本間近江守の指揮によるものだろう。

 太原雪斎は、いつの間にか山内上杉憲政の隣に位置していた。


 抜け目のないやつだ。

 綱成は、息をひとつ、吸って、吐いた。

「……よろしいか」

 同じく呼吸を落ち着かせた藤三郎と目が合った。

「応」

 微笑を浮かべた藤三郎に、思わずこちらも微笑んでしまう。

 そのとき、黄備えが山内上杉兵の囲みを突破し、そのまま両軍入り乱れて、どっと場に突入してきた。

 綱成と藤三郎が無言で槍を突き出す。神速とも思えるそれは、互いの胴を貫き通すように見えた。

「がっ」

「ぐっ」

 綱成と藤三郎が同時に落馬する。

 二人そろって立ち上がり、ともに無事であることを知った。

 そしてなぜ無事であるかも知った。

「何やつ?」

「誰だお前は?」

 場に、三人目の騎馬武者が、馬上より二人を見下ろしていた。その騎馬武者は初老であるが野性的な若々しさを感じさせ、その彼の持つ槍が、綱成と藤三郎の槍を同時に弾き飛ばし、その衝撃で二人を落馬せしめたのだ。


「……そちらの小僧は知らんが」

 騎馬武者は馬から下り、藤三郎をちらりと見た。そして次は綱成を見た。

「こちらの小僧は知っておる。のう……たしか勝千代と云ったか、今は北条孫九郎綱成か。立派になったものだ」

「貴殿は……!」

 冷静沈着な綱成が色を失う。黄備えはそんな彼を無言で囲んで守ろうとする。山内上杉兵はそれをさらに包囲せんと、わらわらとうごめく。


「静まれい!」

 武者の大喝が、場にいる全員の動きを止めた。

「よいか! この勝負、わしが預かる! この原美濃守虎胤の名において、これ以上は慎めい!」


「お、鬼美濃……」


 武田家中にその人ありと知れた、鬼美濃こと原美濃守虎胤。

 かつて、武田と今川との戦いにおいて、綱成と弁千代の父を討った男である。






河越緒戦 了

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