古文が必修になってつらい

風花ふみ

第1話 古文が必修になった

今年から専門科目で古文が必修になった。正式な科目名は『古代日本語基礎1』『古代日本語基礎演習1』(それぞれ2回生配当必修1単位)だそうだが、みんなめんどくさいので単に『古文』とか『古文演習』とか呼んでいる。ちなみに後期には2も開講される。今年は通年で源氏物語をやるらしく、わざわざ近くの大学の文学部から詳しい先生を講師として招いて行うらしい。平安時代を中世だと思っていたのは僕だけでないはずだ。


8年くらい大学にいる先輩によれば、古文がうちの学部の2回生専門科目で必修化するという噂は十数年前から流れていたらしい。ちょうどその頃、理学研究科のナントカって教授がノーベル賞を受賞し、新しい研究所ができるとかですごく賑やかだったのをうっすら覚えている。そんなお祭り騒ぎに水をさすような噂話だったのもあって、当初は誰もが「そんなバカなこと」と口を揃えて笑っていたのだが、2年くらい前になんらかの通達が出されてからいよいよ現実味を帯び始め、そして今年から実施されることになった。4月1日にアナウンスされたのでエイプリルフールかと思ったがそうでもなく、しかも履修要覧によれば初年度から本当に必修で、古文を1つでも落としたら4回生の研究室配属ができない(実習科目や演習科目以上の扱いだ)、らしい。これが冗談ではなく受け入れるべき現実だと理解した時の絶望的な空気はいうまでもないだろうし、きっと古文が好きであろう文学部の先輩も「興味があって勉強するのはいいけど、必修にされるのはなんか嫌だよね」と言っていた。全くこんなことは馬鹿げている。


古都の大学に来ておいてなんだけど、実際のところ僕は古文に興味なんてこれっぽっちもなかった。多分、僕と付き合いのある学科の友人も大半がそうだと思う。入学試験の答案用紙に、傍線部の現代語訳やら説明やらを書き終えたらおしまい、それで生涯における永遠の別れを告げる、苦行だと思って丸暗記した助動詞やら敬語やらともおさらばだ、そんなもんだと思っている。なのになんだ、なんで今更、大学2回生にもなって源氏物語なんかやらなきゃいけないんだ。


大学の必修科目古文の講義は高校や予備校のそれとは大きく違っていた。まず不思議なのが、とにかくひたすら音読すること。古文なんて今は誰も喋らないし、そもそも当時どのように話されていたかなんて正確なことはわからないのに、とにかく何度も何度も、グループに分けて音読させられた。この前は、班ごとにシーンを割り当てられて寸劇みたいなこともやらされた。そういえば般教のドイツ語の演習もこんな感じで(僕らの班は去年ブレーメンの音楽隊をやった)、グループワークとか少し苦手な僕にとってはまぁまぁな地獄の時間だった。だって気まずくないかい、大して仲良くない人となれない言葉で辿々しく話すことになるのは。


もう一つ、特徴的なのが演習科目だ。こちらは源氏物語から当時の文化や政治、生活様式を学ぶ科目で、実際に当時の衣装の再現を着てみる、なんてものもあった。これはこれで楽しかったし、現代の洋服というものがどれだけ優れているかを身にしみて理解するいい機会になったと思う。ただ、当時の身分制度とかなんかよくわからない官位の話とか、そういう部分の講義は本当につまらない。多分教室の半分以上は寝ていたと思う(必修科目だという意識はあるのだろうか)。そういえば起きている人の顔を見ると、あまり見慣れない顔が大半で、彼らが自分の知らない学科の同期なのかなんなのかよくわからない(だって人数多いし)。わざわざ他学部から潜りにくる(あるいは他学部聴講を申請する)ような科目とも思えない。しかし、彼らはなぜかしら結構真剣な顔をしていたように感じた。


クラスの大勢は前期の最後まで集中力とモチベーションを高めることに失敗した。そのせいもあって、試験前にはそれはもう目も当てられないような状況だった(それはそうだ。必修科目だもん)。かろうじて無欠席を貫き、ノートも程々真面目にとっていた僕の周りに人が集まるのは必然だった。その対価として僕は数週間食事に困ることはなくなったのだが、この話は今はいいだろう。僕の周りに集まっていた友人たちはギリギリ単位を取ったようだが(自分の名誉のために言うと、僕はA+だった。なんだかんだ言いながらも出席していたおかげかもしれない)、クラス全体の状況は惨憺たるもので『古代日本語基礎1』は約6割、『古代日本語基礎演習1』に至っては7割近くが単位を落とした。残念ながらこの科目は単位が降ってくるなどという伝統とは無縁らしい。

単位を取得できたのは僕と僕の周りにいた友人、そして講義を起きて聴いていた物好きな見慣れない顔の学生だった(あれから意識してみたんだけど、他の講義でもあまり顔を見かけることはなかった。何者なんだろうか)。


ちなみに、単位を取れなかった大勢は、まず教務課に講義に行ったらしい。「なぜ古文が大学の専門科目で必修扱いで、これが取れないと卒論着手要件を満たせないのか。理不尽ではないか。」というのが大多数の主張らしかった。当然、これらの主張が受け入れられることはなく、彼らの落単と次年度の再履修が確定した。その後の夏休みのほぼ全期間、どこに行っても彼らの怨嗟の声を聞くことになったのはいうまでもないだろう。


「古文が必修なんて間違っている。俺らはなのに」


この大学で管理強化が叫ばれて久しい。様々な事象の影響が、単位の実質化なる出席の重視と、科目の必修化という形で現れている。と誰かが言っていた。この言葉は、今でも間違ってはいないと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る