(23)

「理想の夫婦」計画は絶賛推進中だ。エリーのアドバイスに従い、ザカライアさんとのあいだに「理想の夫婦」になるため、いくつか決まりごとを設けた。具体的には毎晩おしゃべりの時間を作ってみたり。


 おしゃべりの内容についてはあえて制限を設けず、くだらない、どうでもいいことでも伝えるようにしてみた。なにが親近感を持つに至るきっかけとなるかわからないし、こういったどうでもいいおしゃべりができる関係、というのは大事だと思う……とわたしはザカライアさんに熱弁した。


 もちろん、特に根拠はない。けれどもさりとて「理想の夫婦」像をザカライアさんに押し付けるつもりもなかった。しかしザカライアさんは快く受け入れてくれたので、わたしはスクールであったどうでもいいことを毎晩ザカライアさんに報告している。


 ザカライアさんも、問題のない範囲で仕事の話をしてくれる。わたしがわからないところは噛み砕いて説明してくれたりするので、意外と話がわからなくて退屈、という事態には陥っていない。


 けれども話していてわかったのは、わたしとザカライアさんには共通項が少なすぎるという点だった。仮にわたしが男性であれば、ザカライアさんと同じ、お父様の仕事についても話せるのかもしれないが……そもそもわたしが男性であれば、ザカライアさんとは夫婦になっていないので、たらればにしても虚無の極みである。


 ザカライアさんの話に耳を傾けていると、やはり高頻度で登場するのがジョーンズさん――つまり、ザカライアさんのお父様で、わたしの義父であった。


 ザカライアさんはジョーンズさんの愚痴を言ったりはしないものの、伝え聞く感じではあんまり関係が上手く行っていないような感触を得た。そもそも、前妻さんが他の男に走ったきっかけが、ジョーンズさんと上手く行かなかったから……らしいので、そのことにザカライアさんはなにかしら引っ掛かりを感じているのかもしれない。


 又聞きなので、わたしはジョーンズさんにどれだけの非があったのかはわからない。そもそもの話として、いくらジョーンズさんがひどい人であったとしても、不倫に走った理由を正当化できるとは到底思えないのだが……。もしかしたら、家族としてずっと付き合いのあるザカライアさんからすると、また違う意見がある可能性もあるが。


 とにもかくにも、ザカライアさんとジョーンズさんの仲はあんまり上手く行っていないようだ。ザカライアさんの話を総合すると、どうもジョーンズさんはいわゆる過干渉なタイプのようである。あれをしろ、これをしろ、こうしろ、とザカライアさんはもうとっくに成人した男性なのに、子供に対するように細かな命令をしがちのようだ。


 それを素直に指摘したところ、ザカライアさんはおどろいた様子もなく「そうかもね」と力なく笑った。「一度、妻に逃げられた不甲斐ない男だから、父は私を一人前とは認められないんだろう」とも。


 男親とその息子の関係というものは、わたしには想像するしかできない。わたしは女だから、男の世界のことは肌感覚としてわからないこともあると思う。


 けれどもあきらめきっているように見えるザカライアさんも、そんなザカライアさんを一人前とは認めていないらしいジョーンズさんも、わたしにはちょっと理解できなかった。


 しかし今、わたしが取り組むべきは夫婦関係だ。このぎくしゃくとした、家庭生活だ。ザカライアさんの言を借りるならば、わたしとちゃんとした夫婦になれれば、ジョーンズさんはおのずと息子であるザカライアさんを一人前の男と認めてくれるだろう。……本当にそうなるのかどうかは、わからない。


 一方、スクールでは人脈豊富なエリーに頼んでわたしとザカライアさんに関する噂を流してもらっていた。要はわたしたちは仲が良くて、特になんの変哲もなく、面白みもない夫婦なのだという、表向きの状況を理解してもらえればいい。


 おしゃべりと平行して週に一度はいっしょにどこかへ出かけるという取り決めもした。これは先のザカライアさんの言葉も合わせて、周囲に夫婦関係が良好だとわからせることが目的であり、いい噂が回ればジョーンズさんが心配することもないだろうとわたしは説き伏せた。


 ふたりきりで定期的にお出かけするほど仲良し……。そういうようなこともエリーに頼んでスクールでそれとなく噂になるように仕組んでみたのだが――。


「うーん……」


 ――上手く行かないなー! ……と、叫びたいのを我慢して、わたしは静かに唸るに留めた。


 夜のおしゃべりの話題は幸いにも尽きてはいなかったし、週に一度のお出かけも続けている。これは夫婦としては仲がいいほうだろう。新婚であればなおさら、周囲には「あのふたりってば、ずいぶんと仲がいいのね」と思わせられている……はずだった。


 しかし現実にはなぜかわたしが浪費家だという噂が出回っている。毎週のように夫であるザカライアさんに高い品物を要求しているのだとかなんとか……。これにはわたしは頭を抱え、エリーは微妙な笑いを見せていた。


 わたしとザカライアさんが仲がいいという噂を流してくれたエリーの手落ちでもなければ、わたしの頭が足りなかったというわけでもないのだと思う。噂は噂。生き物のように扱いにくい。だからこそ人間は噂に翻弄されるのだ。……と達観してはみたものの、やはり頭を抱えざるを得ない。


 そしてザカライアさんとの仲も、実際のところ進展しているのかいないのか、よくわからなかった。人間の本心なんて、本人以外には知り得ないし、愛情なんてものは計器で計れるようなものでもない。そのことはじゅうぶんわかっているつもりだったのだが、いざ現実に直面してみると、安易に形あるもので確認したくなってしまうのが人情というもの。


 それ以外の場面――たとえば、晩餐会や舞踏会といった夜会の場でザカライアさんの妻として振舞っていても、今のわたしはどれだけ上手く振舞えているのか数値化して欲しいと思ってしまう。個人的には上手くできているつもりでいるし、ザカライアさんも特に不満はなさそうだし、「あそこの奥さんの態度はヒドイ!」みたいな噂にはなっていないから、大丈夫だとは思うけれど……。


 あれこれと考えつつ、手元に視線を落とす。ザカライアさんに贈ろうと思ってちくちくと刺しているハンカチーフへの刺繍。図柄は悩んでスミレにした。女性からの贈り物だとわかりやすい方がいいかなと、なんとなく思ったからだ。


 そしてこういう単純な作業をしているときほど、とりとめもなく、詮無い考えばかりが浮かんでくるもの。


「うーん……」


 わたしはまた唸る。唸るけれども、そんなことをしたって、現実を解決するヒントにはなりはしないのだった。

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