(9)

 二度目の夫婦の営みは、初夜とそう変わりはなかった。相変わらずザカライアさんはわたしを縛り上げることを要求し、最中はよくわからない物騒な言葉を吐き続ける機械と化していた、ということだ。


 けれどもわたしはそれでよかった。だって、その方がわたしの空想には都合がよかったから。


 別に、拘束されても痛くはなかった――腕や肩はダルくなるけれど――ということも、わたしが空想に浸れる余裕を生みだしていた。物騒な言葉を吐かれても、わたしには「物騒だな」という以上の感想を抱けなかったし、ことさらわたしを傷つけようという言葉にも聞こえなかったので、やっぱりわたしは余裕だった。


 最中は上手いとか、下手だとかはやはりわたしにはわからない。わからないけれど、「わたしはひどくされているんだ!」と思って陶酔に浸っていた。


 愛のない結婚……世間への、家への義務として子を設けるための愛のない営み……すごく、ロマンス小説の可哀想なヒロインのようだ。


 実質逃げ帰れる家もないし、夫はよくわからないし、家庭生活に温かみを求めるような空気でもない。そしてわたしが接しているスクールという名の世間では、夫の評判は最低のようだし、周囲から嘲笑われるような結婚のようだし……。


 すごい、すごいとわたしは興奮していた。自分の置かれた状況を客観的に並べれば並べるほど、本当にロマンス小説のヒロインになったような気になれて、大興奮だった。急に、ロマンス小説の中に自分が取り込まれてしまったかのような気分だった。


 二度目の夫婦の営みは、やっぱりわたしの気絶するような眠りによって終わったらしかった。今度はメアリーに起こされる前に自然と目が覚めたけれど、きちんと服を着せられていて、体も綺麗にされている。


 ザカライアさんがしているのか、メアリーがしているのか、あるいは別の使用人がしているのかはわからない。けれどもそれがだれなのかわざわざ聞くのはなんだか恥ずかしくて、心の中だけでお礼を言う。


 最中が終わればすぐに寝てしまうなんて、もしかしたらわたしは体力がないのかもしれない。そんなことを考えつつ、スクールの制服に着替える。


 ザカライアさんとの会話は相変わらずほぼ皆無だった。営みの前にちょっと言葉を交わしたけれど、「不足はないだろうか」「はい」というなんとも言えない会話だった。


 そして営みが終わればザカライアさんはわたしが寝ているのもあって、なにも言わずに去っているようだ。そしてわたしが起きるよりも先に商会へと出勤しているらしい。


 新婚であれば、書き置きだとか、言伝だとかを残したりしないのだろうか? わたしはそれを不思議に思う一方、「悲劇のヒロイン」空想の材料とするには「おいしい」と思って、内心でニヤニヤ笑いをする。


 メアリーは相変わらずわたしを心配しているようだった。まだ娘時代の盛りに、望まない結婚をしたことを気にかけてくれているのだろう。閨でのことも漏らさないし、ザカライアさんとの実生活はほとんどすれ違っている。


 ザカライアさんは「付き合い」だとかがあって、夜は遅くまで同業者や取引先と飲み歩いていることが多いのだそうだ。これはメアリーにザカライアさんがいつ帰ってくるのか尋ねたときにそう返ってきたので、事実なんだろう。


 メアリーは非常に言いにくそうに告げたのだが、わたしの感想は「ふーん」というようなものだ。仕事の一環であれば仕方がないなというのがわたしの素直な感想であった。しかしあとあと思い出してみると、新婚ほやほやであれば今は蜜月の期間であり、そんなときに外で飲み歩いている夫はいかがなものかというのがメアリーの感想なのだろう。


 わたしは内心でまたニヤリと笑ってしまう。新妻のわたしを深夜まで待たせて帰ってこない夫……わたしとは義務で夜の営みをする夫……。


 ――やっぱり、わたしって「悲劇のヒロイン」っぽいじゃない!


 鏡の前でスクールの制服に不備がないか確認する。鏡に映るわたしの顔は、どこかキラキラとしているように見えた。


 腑に落ちないことと言えば、ライナスが新たな恋人に選んだタビサ・ロートンだろうか。彼女の身だしなみやはしたない振る舞いを思い出すと、あれだけいつも身綺麗にして、可愛くあろうと努力していた自分はなんだったのだろう……と鏡を見ていて思う。


 けれども結婚したからと言って身だしなみに気を遣うことをやめるなんてできなかった。現実的な問題もあったが――最大の理由は、「悲劇のヒロイン」が野暮ったい身でいるなんてことは、わたしの美学に反するからだ。


 ――ヒロインならば、いつでも美しくあるべきよね!


 そう、たとえどれだけ生活が虚しく、荒れていようとも、ヒロインは常に背筋をピンと伸ばしてプライドは失わず、けれども儚げに不幸そうに微笑みをたたえるようなか弱さも持ち合わせていて……まあ、とにかくそういうヒロインがわたしの目指すところだった。


 わたしはザカライアさんが不在の食卓で朝食を済ませると、メアリーら使用人たちに見送られてスクールへと向かった。


 ここ数日間に受けた衝撃や憂鬱は、もはやわたしの中にはなかった。


「貴女、このあいだ、未練がましくライナスを見ていたでしょう?」


 待ち合わせをしていたエリーと合流し、スクールの門をくぐって校舎に向かおうとしていたわたしたちを捕まえたのは、タビサ・ロートンだった。なにやら鼻息を荒くして、野暮ったいデザインの丸眼鏡の位置をしきりに気にしている。


 わたしはタビサ・ロートンの言っている意味がしばらくわからなくて、ぽかんと間抜け面を見せていたことだろう。


 反応するのは、わたしよりしっかり者のエリーの方が早かった。


「初対面だっていうのに、いきなりなに? 貴女となんて話したことはないと思うけれど」


 エリーはこちらを気遣ってか、前に出てタビサ・ロートンとわたしのあいだに立ちふさがった。


 エリーの言葉を受けてわたしはハッと我に返った。たしかにこちらはタビサ・ロートンのことを知っているし、わたしの悪い噂を吹聴しているらしい彼女もまた、こちらのことを知っているのだろう。けれどもこうして真っ向から言葉を交わすのは、これが初めてだった。


 タビサ・ロートンは勇ましく飛び出してくれたエリーを見て、あからさまに鼻で笑った。


「私より頭の悪い女と話すことなんてないわ。レベルが違いすぎて、私の言葉がわからないでしょうからね」

「じゃ、なんで話しかけてきたのよ」

「そっちがわかってないからでしょ! わ・た・し・の・ライナスをイヤラシイ目で見てっ! 捨てられた女の分際でなに考えてるのよ!」


 タビサ・ロートンが急に大声を出して、地団駄を踏んで怒りだしたので、わたしはまたぽかんと間抜け面を晒した。呆気に取られたのはわたしだけではなく、エリーも同じようだった。


 門から校舎へと向かう生徒たちの好奇の視線が、わたしたちに集まっているのがわかった。


「もしこれ以上私たちに付きまとうようなら、貴女の実家と婚家にこのことを言いますからねっ! ……まったく、頭が悪い女ってのはなにを考えているんだかわからないわ……」


 タビサ・ロートンは一方的にそう言って、わたしたちの前から肩を怒らせて去って行った。


「あいつ……ヤベエわ……」


 エリーのいつになく砕けたセリフが、その場にいたみんなの心を代弁していた。

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