(6)
「ちょっと……不愉快な思いをするかもしれないわ」
わたしの数少ない友達で、親友を自負しているエリーはそう言って難しい顔をした。
結婚や結婚後の引っ越しの準備のためにしばらくスクールを休んでいたのだが、することを終えれば復帰しない理由はない。
それほどの向上心がないわたしなんかは、結婚すればスクールを辞めるものだと思っていた。けれども望まない結婚をした今となっては、逆にスクールは逃げ場となっている。現実問題としてジョーンズ邸にいてもわたしができることなんてたかが知れていたし、ザカライアさんとの蜜月が期待できない以上、家にいても仕方がないと思ってしまっているからだ。
結婚してもスクールに通う女の子は、いることにはいるが、そう多くはない。わたしが「結婚すれば退学するもの」と思っているように、世間もそう思っているからだ。例外として、結婚したあとにスクールへ入学する女の子もいたが、こちらもそう多くはないのであった。
「結婚してもスクールに通い続ける女の子」がどういう目で見られているかなんて、わたしは自分がそうなるまで真剣に考えたことはなかった。そういう現実に直面して初めて、彼女らがあまりいい目では見られていないということを知った。
結婚後、初めて登校したスクールで、あからさまな嘲笑に晒されたわたしは、困惑した。そんなわたしを哀れに思ったのか、親友のエリーは「早く教室に行きましょう」と腕を引っ張って促す。
名前も知らない同級生のクスクス笑いが忘れられなくて、わたしは自分のした結婚はそんなに笑われるようなものだったのかと、授業中も上の空。お陰さまで一度先生から叱責を受けてしまい、一部のクラスメイトがまたわたしを見て笑うのだった。
上級生の学年でひどいいじめがあったとか、それが問題になったとか耳に挟んだことはある。けれどもわたし自身はそういう意地悪とは無関係な場所で過ごしてきた。だから唐突にその渦中へと放り込まれたことは、思いのほかわたしから困惑を引き出す。わたしの結婚が笑われるようなものなんだと思うと、胸が痛くなった。
「ねえ、エリー。わたしの結婚のことってみんな、どれくらい知っているのかしら?」
わたしよりずっと友達が多いのに、「貴女が心配だから」なんて言っていつもついていてくれる優しいエリー。しっかり者で、幼い頃から婚約者がいると言う彼女にそんなことを尋ねる。
わたしよりも遥かに事情通のエリーは、また朝のように難しい顔をした。
「学年中……いえ、スクールのほとんどの生徒が知っているわ。だって、ザカライア・ジョーンズと言えば界隈では有名だもの」
「そうなの? 知らなかったわ。……どんな風に有名なの?」
ザカライアさんのことなんて、失礼ながら今回の結婚の話が持ち上がるまでさっぱり知らなかったわたしは、エリーにまた尋ねる。釣り目がちの美しい顔を、やっぱり難しくさせて、エリーは言いにくそうにしながらも、結局は無知なわたしに教えてくれる。
「前妻さんのことはどれくらい知ってる?」
「まったく知らないわ。知っているのは、離婚歴があることくらい……いえ、前の奥様が不倫されたと聞いたわ」
「そう。それは嘘じゃないのよ。本当らしいの。でもね、不倫に走った理由はザカライア・ジョーンズにあるってもっぱらの噂だわ」
「ええ? ……それは、どんな噂なの?」
なんだか、開けてはいけないと言われた箱を空ける娘のような気分になって、ドキドキしながらもわたしはエリーに先の言葉を促す。エリーはますます難しい顔をして、わたしの耳に顔を寄せ、内緒話でもするように教えてくれる。
「噂よ。あくまで噂だけれども……とにかく束縛が激しくって、妻を管理したがって、最後には監禁しようとしたって……噂よ」
監禁。剣呑な言葉にびっくりしてわたしは飛び上がりそうになった。不倫という言葉よりも、ずっとずっと不穏で、わたしは言葉を失くしてしまう。
「でも、そんなことはされなかったのよね? だって、前の奥様は不倫されたんだもの。監禁……されていてはできないわよね?」
「だから、あくまで噂なの。その前妻さんが嘘を吹聴している可能性もあるから、みんな半信半疑ってところ。でも好奇心旺盛な人は、監禁しようとしたって話の方が面白いから、そっちを信じたいんでしょうね。それに前妻さんは社交界じゃそこそこの人気者だったから……」
監禁。そんな、非人道的なことをする人がいるのだろうか? エリーにはよく世間知らずだと言われるわたしには、妥当な判断が下せるとは思えない。けれども――。
けれども、思い出すのは初夜の出来事。リボンでわたしの手首を縛りあげて、物騒な言葉を壊れたように繰り返すザカライアさんの姿。……もし、ああいうことを前の奥様に対してもしていて、そしてそれがエスカレートしたのだとすれば――?
一瞬、一瞬だけ、エリーに初夜に起こったおどろくべき出来事を告げようかと思った。親友で、わたしより賢くしっかり者のエリーに聞いてもらって、判断を仰ぎたい気持ちはいっぱいある。
しかし閨での出来事を一方的に暴露してもいいものかどうか、わたしは悩んでしまった。もしかしたらザカライアさんの名誉を傷つけることになるかもしれない。……とは考えたのは事実だが、もっと言えば、そんなザカライアさんを夫としたわたしの名誉が傷つかないかどうかが気にかかってしまう。
ザカライアさんの例の言動の真意は、わたしにはわからない。たしかに閨でひどくされたわけではない。殴られたわけでもないし、手酷く純潔を奪われたわけでもないし、罵倒されたわけでもない。……けれども、しかし、と考え込んでしまう。
黙り込んでしまったわたしを見て、エリーはしまったとばかりに心配そうな顔をする。
「あくまで噂よ。別に、ひどいことはされなかったんでしょう?」
「ええ……」
「それじゃあ、やっぱり噂は噂ね」
エリーはポンポンとわたしの背中を軽く叩く。そんな彼女の仕草を見ていると、とてもじゃないけれども、これ以上心配をかけるのは気が引けた。エリーのことだから、わたしが初夜の出来事を打ち明ければ、真剣に悩んでくれるだろうことは目に見えている。
結局、わたしはエリーに相談したい気持ちを心の奥底に押し込めた。まだ、結婚して二日しか経っていない。初夜での消耗が激しかったせいか、はてまた仕事に疲れていたのか、昨日はザカライアさんとの夜の営みはなかった。だから、初夜での出来事はわたしが産み出した妄想のような気さえしてしまうのだ。
わたしは話題の矛先をそらすように、エリーにまた尋ねる。
「学校のみんなからしたら……わたしの結婚は面白おかしいものみたいね」
「気にしないでいいわ。他人の人生を笑う連中なんて、クソだから」
「そんな、汚い言葉を使っちゃダメよ……」
「失礼。でも気にしなくていいっていうのは、本気で言っているからね」
「意外とみんな事情通なのね。わたしなんて同級生の家庭事情なんて、全然知らないのに……」
「そこはアンのいいところでもあり、ちょっと困ったところかもね。でもね、貴女の家庭事情が伝播しているのは……残念ながら、積極的に面白おかしく広げているヤツがいるからなの」
「……え?」
再び難しい顔に戻ったエリーの顔を、まじまじと見る。
お父様と同じ業界にいる親を持つ生徒は、スクールにはいくらでもいるので、事情が伝わっているのは仕方のないことだと思っていた。けれどもエリーに言わせれば、どうやら違うらしい。
「一度釘を刺しておいたけれど、あの女、全然懲りてないみたいでさ」
一瞬だけ、犯人は元恋人のライナスかと考えた。けれどもエリーが「あの女」と言ったことで、わたしは予想が外れていたことを知る。けれども――案外とその予想は、大外れ、というわけではないらしい。
「タビサ・ロートンって知っている? 私たちよりひとつ上の。そいつが……貴女が付き合っていたライナス・アースキンの新しい恋人よ」
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