B・B -DISASTER-

緋空

プロローグ -破滅-

 都市は全滅していた。

 むせかえるような血の匂い、吹き付ける熱風、広がる死の匂い。焼け溶けた家の、その下敷きになった屍からは臓腑が飛び出し、その持ち主は目を見開いて絶命している。

 道端に転がる死体の背中には、ぱっくりと開いた刀傷。そこからは何かに引っ張られたように骨の断面が飛び出ている。ドロドロに溶けてしまった死体からは、性別も顔も判別できない。

 熱さが世界を支配し、死がすべての生物に伝播している。

 ビルらしき建物からは、融合した人体らしきものが飛び出ていた。”らしき”と言わざるを得ないほど原型を保っていないそれは、熱と暴力が滅ぼした都市の、中心にそびえたっている。

 ”生”を感じない、”死”の空間。

 そんな都市の郊外、焼け落ちた一軒家の中で、彼は目を覚ます。

「った…」

 思うように動かない体、焼け溶けた下半身。下半身はかろうじて原型を保ってはいるものの、骨が見えてしまっている。

 ベッドの上で横になっていた腹の上では、溶け落ちたガラスがじゅわじゅわと音をたてていた。

 漂う死臭。少年はゆっくりと首をひねってあたりを見渡し、状況を把握しようとする。

(父…さん……?)

 少年の部屋の入り口には、成人男性のものと思わしき死体が、脳みそを床に暴露した状態で倒れていた。顔は原型をとどめておらず、下半身が何者かにちぎられたように、腹の途中で体が途切れている。

 少年はそこで我に返った。

「母さん…ヴィオラ……?」

 母親と妹の姿を探すが、当然そこにはいない。

 朝一度起きた時は、出かけると言っていたはずだ。だが、どこに行くかは聞いていない。もしかするともう――

 そこまで考えて、少年は首を振り、否定する。

(生きてる…生きてる、必ず)

 少年は動いた。異常な生への執着心と、生命力で。その足はもう歩くことを拒んで震えているというのに。

 下半身が溶けて歩けないため、手で這いつくばって部屋の外に出ようと試みる。腹を引きずり、痛みに苦悶しながら進む。溶けたガラスがじゅうじゅうと音をたてた。

 父親の飛び散った臓腑を乗り越え、何かに追われ道端から逃げ込んできたらしい犯された女の、股の裂けた死体を乗り越え、頭のない小さな子供の死体を乗り越え、ドアノブに指を引っかけ、そして――

 ドアを開けたその先に広がっていたのは、果てしのない”死”。それだけだった。

「…は?」

 少年は思わず声を漏らした。

 熱と、脂と、血の匂い。道のいたるところに散乱する臓腑は、もはや誰のものかもわからない。息絶えた見知った顔を見て、それまで”死”を認識してこなかった幼い少年は、ただ、戦慄するのみだ。

――この間孫が生まれたと自慢していた近所のおばあちゃん。四肢をもがれて死んでいる。

――美人の娘がいるいかつい大工の棟梁。自分の道具で、原型をとどめていないほど殴られ、ほじくられている。

――今度結婚式を挙げる予定だった、近所の若いお兄ちゃん。下半身がやけに細いなと思えば、未来の奥さんと下半身が入れ替えられていた。

――見た目によらず苦労している、ギャルなお姉ちゃん。体には大量のピアスホールが開いている。

――いたずらして怒られても、いつも笑顔だった双子の子供たち。片方の腹が、まるで同じくらいの人間を飲み込んだかのように膨らんでいた。

――よく飴をくれる、近くの公民館の清掃のおばさん。持っていたモップは、上の穴から下の穴まで貫いていた。

 全員、疑いようもなく、死んでいる。

 もう、息をしていない。

 すでに、心臓は止まっている。

 もう永遠に、少年と話すことはない。

 もう、もう、何も――残っていない。

「あ…あああ…ああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」

 気が付くと少年は叫んでいた。

 のどが焼け、掻きむしり、天を仰いで見開いた眼からあふれ出た涙が、地面については数秒で蒸発する。鼓動が早鐘を打ち、怒りと、憤りと、悲しみと、胸を切り裂く慟哭が、少年の心を淘汰する。血はどろどろと流れ出る速度を速め、全身の力が抜けていく。生命の気配が、少年の体から抜け落ちる。

 少年は、ついに絶命した。

 息ができるのが不思議だったのだ。

 生きているのも、不思議だったのだ。

 間違いなく死んでいるであろう家族を思い、少年は空を掴む。

 どす黒い恨み、妬み、辛み、怨みが、少年の中に渦巻く。

 少年の手が、どさりと地面に落ちる。

 少年は、息絶えた。

 数々の屍とともに。


 悲しみの歌が聞こえる。

 地の底のような鎮魂歌が聞こえる。

 血で黒く染まったビルが、少年を見下ろしている――

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