Episode025 人としての生

 …――演じる。全力で。幽霊を。


 俺は、元の世界で喜劇を演じる役者を生業に生きてきた。


 だからと言ってはアレなんだが、演じるのは得意な方だ。


 そして、


 今日も舞台に立つ。常識が歪んでしまった世界で幽霊という役を……。


 そうだな。なにを言っているのか、いまいちピーンと来ない方のほうが多いのではないだろうか。軽く、今、在る、この世界を説明しようか。まず、この世界の常識は、ひっくり返っている。つまり、人間が幽霊で、幽霊が人間という状態なのだ。


 いや、つまりとは言ったが……、


 その状態をパッと理解できる人は、とても少ないのではないだろうか。


 言っている俺自身も、頭がおかしくなってしまったのではないかと思うくらいだ。


 まあ、でも端的に言ってしまえば、元の世界で死んでしまって幽霊と呼ばれていたもの達が日常生活を送り、逆に生きている人間達が幽霊として存在している世界なわけだ。もちろん、この世界の幽霊達の見た目は決してホラーめいたものではない。


 生きている人間と変わりがない。


 だからこそ、ともすれば幽霊達が幽霊には見えず、生きている人間にも見える。いや、むしろ生きている人間との違いが分からない。彼らは老いもするし、寿命も尽きる。ただ、自分が生きているから、やつらは幽霊なのだと、そう感じるだけだ。


 兎に角。


 我らは、生きているのだから腹も空くし、眠たくもなる。


 そして、


 逆に幽霊達のそれらも実は必要らしい。幽霊達は日常生活を送っているのだから、飯も食うし、眠りもする。それらの生命維持活動を疎かにすると死ぬ。死ぬという概念があるのかは分からないが、その存在が朽ち果て消え去る事は間違いがない。


 そして、


 そんな歪んだ世界で生きていく為には、くどいようだが幽霊を演じる必要がある。


 食べ物を得る為、寝る場所を得る為、幽霊を演じるのだ。


 幸い幽霊達からは我らが見えない。ゆえに元の世界での幽霊のよう幽霊達を脅かして居場所を確保する。つまり生活する場の確保だ。その上で食料を作る。無論、定期的に幽霊達を驚かせ、呪われた場所という演出を加え、近寄らせないようにする。


 生きる為には、どうしても、だ。


 時には、女の幽霊の耳元で、いきなりプロポーズをして。


 誰ッ!?


 と……。


 また時には男の幽霊の背中を押して、頑張れ、頑張れと。


 なにッ?


 と……。


 もちろん、喜ばすだけでは芸がない。いや、むしろ驚かす事の方が多いわけだが。


 まあ、脅かす事自体は悪いとは思うが、我らとしても生きていく為には必要な事なのだ。などとも言ったが、正直、暇つぶしという側面もある。幽霊達が跋扈する世界で決して表舞台には出られない我らの、ちょっとした、いたずら心で悔し紛れだ。


 まあ、元の世界での幽霊達も、こんな気持ちだったのだろうか、などとも思った。


 そんな事をしながら何とか生き抜いて、云十年が経った。


 どうやら俺も死期が近づいてきたようだ。老いだろうか体が思うように動かない。


 呼吸をするのが苦しい時がある。


 食べ物や水も喉を通らない時もある。ああ、俺は死ぬのだと、ごく自然にも思う。


 ただし、


 もう幽霊を演じる必要もないのだと思うと感慨深くもなる。常識が、ひっくり返った世界で、ずっと幽霊を演じてきたからこそ、もう演じなくてもいいのだと思うと心が軽くなったのだ。まあ、いい暇つぶしだったよ、と憎まれ口も叩きたくもなった。


 幽霊達は相変わらず何気なくも、のんきに日常を送っているからこそ余計に、だ。


 そして。


 遂に……、俺は息を引き取った。


 その時、思った。俺は、このまま幽霊になって、この世界で幽霊達の仲間入りを果たし、日常生活を送る側になるのだろうかと。今度は人間に怯える幽霊を演じるのかと、そんな事を思ったのだ。人間側の事情を知っているが為。心が重い。苦しい。


 また演じるのかと、そう思うと。


 大きく深い、ため息が出てくる。


 演じる、ほろ苦さを思い出してしまって、心が重くなり。


 途端ッ!


 世界が戻る。元の価値観と常識を保った、あの世界へと。


 つまり、


 生きている人間が表舞台で日常生活を送り、幽霊達が人間を驚かせていた、あの世界に。ガラガラと石を崩して砂利が降り注ぐような音を立て世界が転換してゆく。不思議と、そんな感覚が俺の中で芽生える。今まさに価値観が変わったのだと。


 何故だか、そういった確信が心の中にしかっと生まれる。


 だが、だがな。だからと言ってなんなのだッ!


 やったッ。元に戻ったなんて思うわけがない。


 はふぅ。


 もう遅い。時すでに遅しだ。俺は幽霊になったのだ。無論、幽霊を演じる必要はなくなった。正真正銘の幽霊になったのだから。それでも、また生前と同じ事を繰り返すだけ。ようやく長い日陰ものの生活から解放されたのに、やはり驚かす側で、


 その驚かす為には、当然、演じる必要があり、もう厭だ。


 沢山だ。


 そんな事を考えてしまい、余計に重い嫌気がさしてくる。


 そして思う。俺は果たして本当に生きている人間だったのか。ともすれば始めから幽霊であり、幽霊として寿命を迎えただけではないのかと。だとするならば死んだ、今、俺は幽霊になるのか、それとも別の、なにかになるのか。それとも……、


 今度こそ人間として生まれて演じる事から解放されるのか。一体、どっちなんだ。


 と……。


 そんな中、不思議な声が、俺の意識へと届く。消えゆく、重苦しい意識へと……。


 劇作家、ウィリアム・シェイクスピアは、こう遺しています。我らに。


「この世は一つの舞台である。すべての男も女も役者にすぎない。それぞれの舞台に登場しては、消えていく。人は、その時々に、いろいろな役を演じるだけなのだ」


 と……。


 不思議なる声の主は分からない。


 分からないが、シェイクスピアの言葉の意味は分かった。


 ああ、そうか。しょせん、我らは人間だろうとも幽霊だろうとも役者に過ぎず、その己という生を演じ続け、全うするしかなかったのだと。そう思ったら、なんだか心が軽くなった。そして、また演じる生活へと戻ってゆく。それが生なのだから。


 人間にしろ幽霊にしろ……、だ。


 それを区別する事自体が、些細な事なのだと知ったから。


 そして、


 今日も生きる、幽霊としてなのか、人間としてのか、その生を全うする為に……。


 そのどちらでも、もはや、どうでもいいとばかりに……。


 終幕ッ!


 ワー、パチパチ、とスタンディングオベーションなここ。


 霊界で行われた演劇公演、表題、生きるとは演じる事という演目。霊界でも有名な俳優、俺さんの熱演が会場を包み込み、うねった熱気が観客の熱を冷まさない。そんな中、一組のカップルが涙を流しながら語り合う。熱が籠もった言葉で……。


「良かったね。面白かったねッ!」


 と女の幽霊が満面の笑みで言う。


「ああ。まさか、ああ、なるとは。最後にシェイクスピアの言葉を持ってくるのは反則だろうが。てかさ。俺さん、相変わらずの演技で、マジで体に震えがきたわ」


 と男の幽霊が両二の腕を互い反対側の手のひらで抱える。


「だね、だね。また見たいよ。エンディングを知ってても何度でも観たい気分ッ!」


「でもさ」


「なに?」


「俺さん、実は、もう演じたくないんじゃないかな。その意味を込めて、この作品の主演を受けたのかも。そんな事を考えちゃったよ。これって、考えすぎかな?」


「あッ! この作品への冒涜。最後の言葉を忘れてるでしょ。その生を全うする為にってやつをさ。俺さんは全うするんだよ。生という演技をね。精一杯さ」


「そうなのかな。でも演じ続けるって苦しいぞ」


「だからこそ全うするのよ。その生を精一杯に」


「かな?」


「だと思うよ。あたしも実は良く分からなかったないけど、多分、そうじゃなかな」


「まあ、そうしておきましょうか、お姫様の意見が正しいとね。アハハ」


「もう、また茶化してさ。怒るよ」


「ごめんごめん。お詫びに海が見えるレストランで豪勢な夕食を奢るから許してよ。もちろん好きなもの食べていいよ。それでチャイね。チャイ。オッケーだよね?」


「うん。許す。よし、うんと高いもの食べるぞ」


「ゲッ!」


 などと彼らは生を演じた。今、この瞬間を精一杯。この後、婚約指輪が用意されていて女の幽霊にプロポーズする予定の男の幽霊という互いの役を必死で。そして幸せへと続いてゆく彼らという演目も、また一つの舞台なのであろう。そう思う。


 今し方、開催されたものと同じくとして……。


 そして、


 彼らの子供が生まれる、また生を演じる為に。


 人間だ、幽霊だと、区別する事もなく、人としての生を。


 今度こそ、本当の終劇であるッ!

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