6話 出発

「お姉ちゃんもう行っちゃうの!?」


「嫌だよ~!」


 二日後。これから学校に行くはずの二人に母が「お姉ちゃんは今日出発するのよ。お別れしなさい」と言うと二人はぼろぼろと泣き始めた。


 こうなることを分かっていたから当日に言うつもりだった。けれど、当日でも泣くことに変わりはない。


 香奈と奈緒の気持ちもよく分かる。だってまだ帰ってきてから一週間も経っていないからね。


 それでも私は行かなければいけない。


 まだ幼い二人に酷なことを言っているのは分かっている。けれど、理解してほしいの。


「香奈。奈緒」


「うぅ」「ぐす」


 ぼろぼろと止まることのない涙を零している二人の涙を拭い、両手を二人の頭に乗せた。


 かつて、父が泣き叫ぶ私にしてくれたみたいに。今度は私がそれを二人にしてあげるの。


「これからお姉ちゃんはここに帰ってこなくなるけど、それは家族のためなのよ?」


「でもぉ」


 ぐずる香奈。その気持ちも、よく分かるよ。


「でもね、父さんみたいにず~っと帰って来ない訳じゃないからね。電話もしてもいいしメールしていいのよ?」


 そう言うと、香奈はまだ泣いているけれど奈緒の涙が止まった。


 奈緒は私の気持ちを分かってくれたらしい。有難いような、少し寂しいような……


「……」


「僕、頑張る!」


 まだ少し涙を浮かべているけれど、最近流行っているというヒーローのポーズを決めて、私にそう言った。


 頼もしい、弟よ。


「偉いねぇ。香奈は?」


 今だ嗚咽をしている香奈を私はそっと抱きしめた。


「ずっと傍にいられなくてごめんね。お姉ちゃんが香奈に寂しい思いをさせてごめんね。でも、香奈は私の大切な妹だから、嫌いになったわけじゃないわ。それと香奈にお願い。母さんや奈緒のことをお姉ちゃんの代わりに支えられる?」


「うぅ……できるぅ!」


 半ば強引に決意させたけれど、それでも文句ひとつ言わず決意してくれた香奈はとても賢い子。


 私が香奈ぐらいの年の頃はもっとぐずって父や母を困らせていた。


 二人を大人びさせているのは私のせい。でも、それが少し嬉しかった。


「うん、偉いね。でも香奈一人で抱えなくてもいいのよ。何か相談事があったらお母さんか、お姉ちゃんそれと喫茶店の小森さんにするのよ?」


「うんっ!」


「今日はお姉ちゃん、学校行く途中まで着いて行ってあげるから用意しようね」


 寮には九時までに到着しておけばいいからまだ時間に余裕がある。


 二人は急いでランドセルを背負い、私の手を握った。


 問答無用で私の手を握る所、やはり寂しい気持ちは抑えきれないらしい。


「それじゃ、母さん少しいってくるね」


「えぇ」


「「いってきます……」」


 いつもよりも目に見えるほど元気なさそうに言った二人に母さんは苦笑していた。


「香奈、奈緒。学校は楽しい?」


 普段あまり聞かないような話題を自ら振る。


「楽しいよ! 香奈とは違うクラスだけどいっつも一緒に遊んでるんだ!」


「うん。そうなんだ!」


 話していると少しずつ元気を取り戻してきた。


 会話も弾みだした頃、そろそろ学校に着く所まで来てしまっていたようだ。


「お姉ちゃんとはここでお別れだね」


「え~」「うぅ」


 最後の、本当のお別れが近づいた。すると二人は再び泣き出してしまった。


「もう泣かないの。可愛い顔が台無しよ?」


 少し涙を浮かべた香奈の目尻を撫で、涙は浮かんでいないけれど寂しそうな顔をしている奈緒の頬を撫でる。


 さあ、奈緒くん。男の子の覚悟を見せるときよ。


「よし、男奈緒くん。これから香奈ちゃんを泣かせずに学校まで送り届けることはできますか?」


「できます!」


 元気いっぱいに返事をした奈緒。


「よろしい! 香奈、奈緒。永遠にさようならじゃないからね。寂しくなったらいつでも連絡してくるのよ」


「「うん!」」


 泣きそうになっている香奈の手を奈緒が強引に引き、そのまま学校への道のりを走っていった。


「ごめんね」


 二人を悲しませることになって、寂しい思いをさせることになって本当にごめんね。





「夜霧」


「どうしたの?」


 八時前。スーツに着替え、荷物を持ちそろそろ出発しようとしていると母さんに呼び止められた。


 振り向くと、小さな袋を私に渡した。


「これ、八郎くんからの餞別よ」


 袋を開けると中には沢山の髪ゴムが入っていた。


 髪ゴムの色は黒で普段使いもできそうだ。だけど……


「もう小森さんったら。私、髪の毛括れないのに」


 ショートカットで、髪を括る必要のない私には髪ゴムは使えない。


 少しドジな小森さんに最後まで笑わされてしまった。でもこれのおかげで私は笑顔で実家を出発できそうだ。


「夜霧」


「ん?」


 玄関で靴を履いていると再び呼び止められた。


 靴を履き、立ち上がると今にも泣きそうな顔の母が、そこにいた。


「無理して実家に帰ってこなくてもいいからね。お仕事終わりは沢山食べて沢山寝ること。いいわね?」


「うん」


「怪我のないようにね」


「うん!」


 玄関を出たあと、何かを啜るような音。それと……






「いってらっしゃい。死なないでねっ」


 何かを耐えるように母の口から出た、その言葉。


 殉職し、帰ってきた警察官を見たからこそ、出た母からの配属前最後の言葉だった――

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