うまくいかない恋の話 ①

 午後8時を少し過ぎた頃。

 今日最後の予約客を送り出したユキがサロンの看板の明かりを消すと、辺りは更に暗くなった。

 街灯が頼りなく住宅街の路地を照らしている。

 薄暗く人気のない路地はなんとなく気味が悪くて、ユキは足早にサロンの中に入った。

 ドアの鍵を閉め、ロールカーテンを下ろす。

 ミナは一足先に仕事を終えて帰ったので、サロンの中にはユキ一人しかいない。

 ユキが最後の客に使った道具を片付け終えて、パソコンで今日の売り上げや明日の予約などを確認していると電話が鳴った。


(もう営業終わったんだけど……予約の電話かな?)


 せっかく電話をくれたお客さんをがっかりさせるのは申し訳ないと思ったユキは、受話器を上げて電話に出た。


「はい、Snow crystal……」


 ユキが言い終わらないうちに電話は切れてしまった。

 受話器からは発信音だけが鳴り続ける。


(……また?やっぱいたずら……?それとも嫌がらせか何か?)


 閉店時間は過ぎているし、普段はこの時間に電話が掛かってくることは滅多にない。

 ミナが電話に出た時には無言で切れたことなど一度もないと言っていたのに、ユキが電話に出る時ばかりを狙ったように、今日はこれでもう5度目だ。

 できるだけ気にしないでおこうと思っていたけれど、日に日にその回数は増えてきて、さすがに気のせいでは済まされなくなってきた。

 しかしユキとミナの二人だけしかスタッフがいないので、まったく電話に出ないと言うわけにもいかない。


(私が電話に出た時だけなんて、なんか気持ち悪い……)


 どこかから見張られているのではないかとか、帰り道で後をつけられたりはしないだろうかと少し不安になる。

 だけど今の段階では気のせいかも知れないのに、大袈裟に助けを求めるのもどうかと思う。

 サロンから自宅までは徒歩で15分ほど。

 迎えに来てくれる人もいないし、周りを警戒しながら歩いて帰るしかなさそうだ。


(こんな時、すぐに駆け付けてくれる人がそばにいてくれたらなぁ……。でもこんなことでタカヒコさんには頼れないし……)



 ユキの付き合っている彼、植村 貴彦ウエムラ タカヒコは36歳。

 手作りの家具や雑貨を取り扱うショップのオーナーをしている。

 1年ほど前、ショップやサロンのオーナーばかりが集うSNSのコミュニティーで知り合った。

 最初はサロンに置きたい雑貨をたくさん買うから安くしてくれないかと、値段交渉などをしていただけだったが、何度か連絡を取ったり、実際に店に足を運んで顔を合わせているうちに、タカヒコの方から付き合って欲しいと言われ付き合い始めた。

 住んでいる場所も少し離れているし、彼もまた仕事で常に忙しく、なかなか会えない。

 おまけに買い付けに遠方へ出掛けると長期間帰って来ないことも珍しくないので、月に一度か多くて二度ほど、彼の都合の良い時に会う程度だ。

 そんな付き合いが半年ほど続いている。

 一緒にいる時は優しいけれど、付き合い始めて半年ほど経った今も、タカヒコのことはよく知らないし、ユキもまた本当の自分を出せてはいないと思う。

 なかなか会えない上に、彼は連絡もあまりマメではないらしく、あえてお互いのことを知ったり、愛情を深めたりはしていない気がする。

 ユキ自身、本当にタカヒコのことが好きなのかもよくわからなくて、このまま付き合っていてもいいのかと時々思うこともある。

 年齢的にもそろそろ結婚を考えなくもないが、サロンもようやく軌道に乗って仕事は楽しいし、この調子では結婚などまだまだできそうにない。


(最近会ったのはいつだったかな……)


 ユキは帰り支度をしながらぼんやりと考える。

 たしか、先月はタカヒコが買い付けのためにしばらく海外に行くと言って、かれこれもう1か月は会っていない。

 帰国したと連絡はあったものの、それからまた忙しいようで、ここ1週間ほど連絡はない。

 頼りたい時や甘えたい時も自分からは何も言えず、いつも受け身になっているとユキは気付く。


(こんなんで付き合ってる意味あるのか?……ってか……これって付き合ってるって言うのかな……?)


 ユキは小さくため息をついて、バッグを手に立ち上がった。

 遠い日の恋心がユキの脳裏を掠める。

 恋愛はいつもうまくいかない。

 もうずいぶん昔の話だが、ユキにはとても好きな人がいた。

 友達同士で遠慮なく言いたいことを言って、いつも自然と笑顔でいられた。

 けれど、彼を好きだと自覚してからは、好きになるほどその関係を壊すのが怖くて何も言えず、友達の顔で笑ってそばにいることを選んだ。


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